第5話

翌日の15時。

オーナーに優里の保育園から連絡が来てすぐに迎えに来て欲しいという嘘の話をつけて、店から一旦離れて車で向かった。


保育園に着くと数名の園児と一緒に遊んでいる優里の姿を見つけた。保育士に急用ができたので帰ることを伝えて、自宅に帰った。


家にはまだ誰も来ていなかったが、優里から佐賀夫婦の事で詳しい事情を聞くと、与えられる食事の量も少なく、おろか口さえもほとんど聞いてくれないという。

彼女の口元をよく見てみると、ほんのりと赤く何かが付着していた。だが、彼女は保育園の廊下で転んで傷がついた事だと話していた。本当かと聞いても首を縦に振る一方だった。


やがて美梨と海斗が帰宅して私達の姿に驚き、すぐに向こうの自宅に連絡をしてくれと言われたが、後程伝えると返答した。


「誘拐扱いされたらどうするの?」

「それは大袈裟だ。向こうだって優里の扱いに何をもって接しているのか、恐ろしくなった。俺から連絡するからもう少し時間をくれ」


1時間後に佐賀から連絡がきたので、事情を聞いたが優里が大人しいから見守っているだけだと言い訳をしてきた。

念のため今晩だけ自宅で子どもらを預かる事を伝えるととりあえずは承諾してくれた。

美梨に子どもらを見ているように伝え、再び店に戻り業務に取りかかった。


22時。帰宅した頃には既に子どもらは寝室で眠っていた。その間には佐賀からも何も連絡は来ていなかった。隣で眠る美梨の手を握ると彼女が目を覚ました。


「まだ起きてたの?」

「本当に信用していいかわからない」

「佐賀さん達の事?」

「ああ。海斗は今のところ落ち着いてはいる。優里が前より痩せているように見えるのは俺だけか?」

「私も気にしている。さっき夕食の時もあまりご飯が進んでいなかったし。一時的だとは思うけど改善させるように言えばあの子も良くなるはず」

「そうは、言い切れないが…明日休みだから、優里を行きたいところに連れて行くよ」

「貴方も大変な時にごめんなさい」

「美梨はいつも通りパートに行ってくれ」


お互いに気がかりなところはあるが、優里の事も信じてあげるしか他はなかった。


翌朝になり子どもたちを起こすと、優里は私に抱きついて甘えてきた。支度が終わり美梨と海斗が先に出かけると、私は優里にどこに行きたいか尋ねたら、水族館に連れて行って欲しいと返答した。

荷物を詰め込んだバッグを抱えて車に乗り込み、1時間かけて到着すると、彼女は夢中になって水槽の生き物たちを眺めていた。


鯨やエイなどのいるガラス張りの大きな水槽に行くと、写真を撮って欲しいと言ってきたので、スマートフォンで撮り画像を見せると笑顔でいてくれた。


ひと通り館内を歩いて出口に出たら、優里がお腹が空いたと言ってきたので、高速道路を使いあるパーキングエリアのフードコートに着いた。

優里は自分の好きなお子様ランチのハンバーグに口一杯にして頬張りながら食べていた。私も思わず笑みが溢れて、口元についたソースを拭いてあげた。


「パパ」

「何?」

「またお家に泊まりたい」

「…佐賀さん達が心配する。帰ってあげた方がいい」

「パパとママの傍が良い」

「あともう少ししたら、また帰って来れるんだ。我慢して欲しいな」

「良い子にしているのに、あの2人…優里の事見てくれない」

「何か言われたか、覚えている?」


「もう、あの葛木の家の子じゃないよって。どうしてそう言ってくるの?」


私は呆れて彼女を前にして失笑してしまった。


「他にも、気になった事は?」


私が食事の手を止めると、優里もそれを見て真似するように皿の上に持っていたスプーンを置いた。


「あの2人が喧嘩していた時があった」

「優里の事で?」

「うん。優里がそれを聞いていたら怖くて…怖くなって…」

「どうした?」

「怖くなってお漏らしした」

「何か言われた?」

「あのお母さんが汚いって怒鳴った。でも佐賀さんが着替えを手伝ってくれて、気にしないでって言ってくれた」


胸の奥で湧き上がる沸点に達している厚みを帯びたフラスコが、今にも破裂しそうなきしむ音が聴こえてくるようだった。


食事を済ませて車に戻り、エンジンをかけて優里に話しかけた。


「どこか行きたいところはある?」

「ううん。パパは行きたいところは?」

「…もう少しドライブでもしようか?」


まだ帰すわけにはいかない。

私は自宅とは逆の方向にあたる西へと車を走らせていった。

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