ReProject: ARK -追放者たちのエデン- コンセプト版
うちやまだあつろう
続きはまだ無い
今から百年以上も昔。人類が地上で生活していた頃は、みんな母親のお腹から産まれていたらしい。哺乳類にとってはそれが自然で、当たり前だった。
「やーい! 鬼子!」
「股から産まれた野蛮じーん!」
今日も変わらず、僕は背中に罵声を浴びながら家路に就いた。
「ただいま…………」
誰もいない家に僕の声が響く。スライド式の扉が閉まると、『ルキ様、おかえりなさい』と無機質な音声が聞こえてきた。
僕は母の家で、母と二人で住んでいた。
真っ白な六畳一間。世間では狭い部屋らしいが、十歳の僕にとっては十分すぎるほど広かった。虫型の自動清掃ロボのおかげで、床も壁も埃一つ無い。
でも無菌室みたいな部屋の真ん中には、似つかわしくないようなボロボロのヌイグルミが置いてあった。
「ただいま、ルフェール」
そのヌイグルミに声をかける。当然、返事は無い。
よれよれの翼に、ふにゃふにゃの爪。真っ黒な丸い目をしたドラゴンのヌイグルミ。母親がくれた、大事なヌイグルミだ。
母は今、精神病院に入れられている。なんでも、数十年前なら死刑になってもおかしくなかったらしいけど、今では刑罰が存在しなくなったから病院に入れられるだけで済んだとか。
母が犯した罪。それは、僕を産んだことだった。
人工子宮が開発されてから、人間が人間を産むことは倫理違反になった。過度な痛みがどうとか、子供の発育がどうとか。難しいことは分からないけど。
妊娠が分かると、妊婦さんはお医者さんに胎児を取ってもらうらしい。そして、胎児はそのまま人工子宮で育てられるのだ。おかげで流産は無くなったし、障害を持っていると分かった場合は薬で治される。
産まれてきた正常な子供は、そのまま保育施設へと送られていくのだ。
完全にシステム化された社会から追放された、僕はいわゆる「はみ出し者」だった。
『来客です』
不意に来客を報せる音声が聞こえた。放課後、こんな場所に訪ねてくるのは「あいつら」しかいない。
僕はすぐに立ち上がると、玄関まで走っていった。
「よっ、ルッキー!」
「はろはろー。牧場いこ」
扉の向こうに立っていたのは、同い年の少年と少女。男の子のほうはミック。女の子のほうはラフィー。施設からこっそり抜け出てきた彼らに出会ってから、かれこれ六年もの付き合いだ。
「行こう!」
僕は急いで靴を履くと、汚れ一つ無い街の中に飛び出した。
◇◇◇
牧場。昔の人が聞いたら、きっとのどかな景色を想像するだろう。今の時代「牧場」と言えば、灰色のだだっ広いグラウンドと、それに併設された真四角の建物を指す。
そして何より、ここで育てられているのは牛だとか豚だとかではない。
「おっちゃん! 来てやったぞ!」
建物に入るなり、ミックが大声で言った。ガラスケースと睨めっこしていた男は、こちらを振り向くと「来たな、クソガキども!」と笑った。
彼はこの牧場の管理者。みんな「ドラさん」と呼んでいて僕もそう呼んでいる。本名は忘れてしまった。
「みんな元気?」
ラフィーが尋ねると、ドラさんは頷いた。
「元気すぎて、困るくらいだぜ! そうだ! アイツなんか、この前火吹きやがったぞ!」
オーバーオールのポケットに手を突っ込みながら豪快に笑うドラさん。彼が「アイツ」と指さした区画を見て、僕らは顔を見合わせた。
「ルフェールが!?」
「そうさ! 来い!」
案内しようとするドラさんを追い越して、僕らは牧場の隅にあるガラスケースにへばりついた。
『グァウ………………』
中で寝ていた小さめの「それ」は驚いた様子で頭をもたげる。眠たげな眼で僕らを見つけると、嬉しそうに背中の翼を広げた。
「あと数年ってとこかな。言葉を覚えたら外だな、こいつは。……ったくよぉ! 俺ァ、まぁた立派なドラゴンを育てちまったぜ!」
鼻の穴を膨らませてドラさんが言った。
黒くてツヤのある鱗に、そびえ立つ二本の角。両手の爪は鋼鉄でも引き裂けそうなほどに鋭く、床は爪とぎの跡がいくつもあった。
ファイアドラゴン、純種。火炎晶石を核に創られた、混じりっ気のない黒龍だ。
「どうだ。今日も乗ってみるか?」
ドラさんが尋ねる。
「ルフェール! 一緒に飛ぼう!」
僕が言うと、その黒龍はガラス越しにペロリと僕の顔を舐めた。
◇◇◇
「痛いところはあるか?」
牧場の広いグラウンドで、ドラさんは僕をルフェールの背中にぐるぐる巻きに巻き付けて尋ねた。こうでもしないと、飛翔時の慣性力に負けて振り落とされてしまう。
最初に飛ぶのは、ジャンケンで僕に決まった。
「ぅぇぁぃぁぃ……………………」
「え?」
飛行用のマスクを着けているせいで声が伝わらない。僕は大きく息を吸うと、思いきり叫んだ。
「うでがいだい……!」
「腕が痛いか! 大丈夫だ! 飛んでりゃ忘れる!」
豪快に笑うドラさん。彼はいつもこうだ。
「よし、ルフェール! 一人前のドラゴンってのを見せてやりな!」
『グァァ――――ォッ!』
ルフェールは一つ叫ぶと、大きく翼を広げた。
初めて出会ったとき、ルフェールは翼も生えていない小さなトカゲだった。翼が生えたのは二年前。それから瞬く間に巨大なドラゴンへと成長してしまった。
ルフェールはちらりと背中を見る。黄色い瞳と目が合った。
「行こう! ルフェール!」
僕が言うと、「彼」は小さく火を噴いて一気に羽ばたいた。
グンッと強い力がかかった。僕は歯を食いしばって
『…………い……。おーい。気絶してないー?』
耳元の通信機から聞こえるラフィーの声で気がついた。頬を吹き抜ける風が心地いい。
僕はルフェールの左わき腹を軽く叩いた。ルフェールは翼の角度を変えて左に旋回する。
『あはははは! ルッキー、今起きただろ!』
耳元でミックの笑い声が聞こえた。続いて『ルキ、ぐっもーにん』と、ラフィーの声がする。言い返せないのがもどかしい。
『ルキ。いい調子だ』
ドラさんの落ち着いた声が聞こえてきた。
『姿勢を水平に戻して、ゆっくり目を開けな』
僕はルフェールの脇腹を両手で叩くと、ゆっくりと目を開けた。
「はは…………」
思わず笑いが漏れた。
視界に飛び込んできたのは、澄み切った真っ青な空。前と同じ景色のはずなのに、何倍も速度が速いせいで僕はやけに興奮していた。
『今向いてるのは東だ。そこから百八十度まわって西に向くぞ。合図するまで右に旋回だ』
僕はルフェールの右わき腹を叩く。その拍子にかかった強い力のせいで、腹の中身が出るところだった。
『止まれ』
その言葉で僕は再び両わき腹を叩いた。
『どうだ、景色は。…………おぉーっと、答えなくていいぜ。ゲロの雨は浴びたくねぇ』
放課後の西の空。茜色の光を全身に浴びながら、僕はルフェールと風になった。
僕にも翼があったら、きっと二度と街へ降りはしない。僕にも大きな顎があったら、罵声を浴びせてきた奴らをかみ砕いてやるのに。僕も火を噴けたなら…………。
そこまで考えて、僕は目尻に涙が溜まっていたことに気付いた。
他の人間へ危害を加えようなどという思考は、現人類にはありえない発想だ。人工子宮の時点で、薬によって犯罪的な思考が抑制されるためである。それによって犯罪も完全に無くなった。
でも、僕は違う。「普通のひと」にはなれない。
その時、突然身体の向きが百八十度変わった。ルフェールが上下反転したのだ。戸惑う僕を他所に、そのまま一気に加速していく。『どこ行くんだよ!』という慌てたミックの声がした。
僕らはそのまま街を超えて、「島」の端を超えた。ルフェールはそこで急降下を始める。
白い雲を突っ切り、視界が晴れた。
雲の下へ行くのは初めてだ。雲の下へ行けるのは限られた人間だけだから。
『おい! 帰……てこ………………!』
ドラさんの声がノイズの中に消えた。安物の通信機では、この距離が限界らしい。
いけないことをしているのは分かっている。でも、ルフェールと一緒なら、怒られるのも怖くなかった。
目の前に広がっていたのは無限に続く大陸。遠くには地平線まで見えた。鳥が飛ぶ下では、深い緑の中を大きな河が流れている。
「ありがと……、ルフェール…………」
僕は小さく呟いた。ルフェールは身体を水平に直す。
ドラゴンは操者の意図を汲み取るために、感受性が高く設計されている。彼は僕の落ち込んだ気持ちを感じ取って、慰めてくれたのだ。
僕らは自由だった。
この美しい地上に「奴ら」はいない。
第四次大戦後。人類は自然現象を司る存在、かつて「精霊」と呼ばれ、今は「悪魔」と呼ばれている者たちに地上を追われた。追放された人類は浮島をいくつも造り、その上に街を築いて生活を始め、今に至る。
「エデン」と呼ばれる浮島。それが地上に大きな暗い影を落とす。
『……! …………い! 聞こえるか!』
通信機が復活した。
「きこえるよ……」
微かな声で返事をすると、耳元で安心したようなため息が聞こえてきた。
『ルフェールの両脇腹をさすれ。それが「ハウス」のサインだ』
僕は言うとおりにした。ルフェールは不満げな声で唸ったが、すぐに方向を変える。
『……そういえば、この時間なら「ハウンドドッグ」も見られるんじゃないか? そろそろ帰ってくる時間だ』
僕は龍鞍の横から顔を出して下を覗き込んだ。
ドラさんの言った通り、僕らの下では数匹のドラゴンが陣形を組んで飛んでいるのが見えた。
「ハウンドドッグ」というのは、龍騎兵のみで組織された地上探索部隊である。雲を超えられるのは、ドラゴンを操る彼らだけ。
彼らが地上へ降りるのは「悪魔討伐」のため。火炎晶石をはじめとした「魔晶石」と呼ばれる高エネルギー結晶の材料である、悪魔の死体を入手するのが目的だ。
魔晶石はドラゴンの核にも、「エデン」を浮かせる燃料にもなる。「エデン」が生活の基盤となっている現代、魔晶石が無ければ人類はすぐに絶滅するだろう。
『ルキ、ずるい。私も見たい』
ラフィーが言った。唇を尖らせている顔が目に浮かぶ。彼女は部隊員のカードを集めるくらいに、ハウンドドッグのファンなのだ。
『次オレだからな!』
ミックの声が聞こえる。彼もラフィーの影響か、将来の夢はハウンドドッグと言っていた。
僕は地上探索部隊になんか興味はなかった。でも、これほど壮大な地上の景色を見てしまった後では、そんなこと言っていられない。
「みっく……、らふぃー…………」
僕は絞り出すように言う。
「僕もなりたい……。いや、なるよ………………! ハウンドドッグに…………!」
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