side1 ゆるい上司は心配性

【side】???

 フカフカの絨毯に足を下ろし、無駄にクルクルと歩き回る。その証拠に、デスクの周りは、絨毯が依れてしまって靴の跡がクッキリと残っている。

 何時もならこんな無駄なことをすることも無いのだけれど、今この時ばかりは我慢できそうになかった。


「これ、きっと怒られちゃうなぁ」

「そうですね。備品は大切にしていただかないと」

「ひゃう!」


 音もなく、高齢の男性が燕尾服をキッチリ着こなして立っていた。彼は、崩れることのないロマンスグレーの髪を目立たせ頭を垂れる。


「もう、貴方は何時も神出鬼没なんだからっ! 毎回驚かされる私の身にもなって頂戴よっ!」

「それは無理なご相談ですな。影からお守りし、影からお力添えをすることが私の使命であります故に」


 そう言いつつ、彼は手にした書類を掲げて見せた。


「それで? 彼はどうだったの!」


 今日はひとつ、彼にお願い事をしていた。それは一本木和成くんの動向を探ること。

 彼は、ここ数年で一番のお気に入りだ。魂の色を見て、心が震えた。彼以外に居ない、とすら思ったんだ。

 そんな彼の着任が今日。彼の動向が気にならない筈もなかった。


「一言で申せば『異様』、付け加えるとすれば『哀れ』でしょうか」


 い、異様?


「左様で。一本木さまは天界のことを何も知らされないまま、いきなり着任し、今日1日で2件に対応、そして7人の獄送に関わっております」


 しょ、初日、で?


「ですが、私が『異様』と申し上げたのは、彼の活躍ぶりではございません」


 イヤイヤイヤ! 自分の身に何が起きたのか理解しないまま、仕事に取りかかれただけでも異様でしょう!


「それは主が要らぬお節介をやいたからでは?」


 えっ? だって彼の魂だったら、情報は極力控えてありのままを見てもらった方が良いと思ったんだもの。


「そのせいで、彼は自身の名すら知らず、周囲から指摘されて名を認識したのですが?」


 あれ? ネームプレートがあれば大丈夫かと思ったんだけど、あれ?


「ネームプレートは、相手に見せるものでございますよ。まぁ、ファーストコンタクトをとった者が役職呼びをした不運もありますが」


 それは流石に悪いことを強いてしまったと、若干血の気が引いた。彼の報告を聞きながら、執務用のチェアーに深々と腰を下ろし、リクライニングを使って天井を仰ぎ見る。自分だったら確実にパニックに陥っている筈だ。


「そこが異様なのです。彼は一度も自分のことで取り乱したりしませんでした。それに──」


 まだあるの!?


「これは……先程までの値なので、現在はまた変動しているかもしれないのですが」


 彼は、言い淀みつつ、手にした書類を私へと差し出した。途中のページを開いているということは、そこに気になる点があると言う訳──


「何で!? 彼の行動で、徳が増えていない筈がない! スッゴい感謝されてる筈だもの! っていうか、なんでこんなに徳が急激に減ったのさ!? コレなんなの!!」


 示されたページには折れ線グラフ……今日の彼の徳の変動が示されている。

 問題はその動き……午後半ばごろまでは着実に徳を重ねている。それこそ平均値よりも高いペースで。


「なんでいきなりゼロ近くまで落ち込んでるのさ!? 彼、なんか悪行を重ねたの!?」


 ズバンッ!

 執務机に書類を叩きつける。


 この動きは有り得ない、そのくらいの変動だ。それに彼がそこまでの悪行に手を伸ばしたというのも信じられなかった。


 天界に引き上げる前の、彼の魂の色は忘れられない。

 正に無色透明……人が生きている限り有り得ないほどの透明。あまりに透明すぎて、空の澄んだ青色が映り込むくらい……そのくらいだった。

 穢れの無さについて、は言うまでもない。


 だから彼を引き抜いた。

 彼は神となる器がある。いきなり神にはできないから候補にしか出来なかったが、そんな彼が──


「悪事に手を染める筈がないよ」


 私の感情が高ぶり、そして収まるのを待っていてくれたのだろう。弱冠涙が浮かんでしまった私に彼は静かに告げた。


「えぇ、悪事になど、手を染めておりませんよ」

「じゃあなんで!」

「だから『異様』なのです。彼が積んだ徳は、一体どこへ流れたのか……」


 徳は、所謂『善行』だ。

 天界は、一般的に天国と呼ばれるような場所ではない。

 獄界は、一般的に地獄と呼ばれる生前の罪を罰でもって償う機関。

 そして天界は、魂を徳で補い、磨きあげる機関だ。

 天界で、魂のまま生前のような暮らしを重ね、負の感情に負けず、誰かのことを思い徳を積み重ねる。その先に転生が待っている。

 知的な生き物だからこそ、誘惑がつきまとう。だから魂を鍛え上げる天界があるのだ。


 だから、死して透明な魂をもつ彼は、貴重な存在だった。そして彼は──一本木和成くんは、確かに期待通りに一瞬で徳を積んだ。


 その徳はどこへ消えたのか……。


「彼の徳が流れたり奪われた可能性は?」

「本日、一本木和成さまが接した人物を中心に、徳の変動を調査を予定しております。しかしながら、結果は流石に明日以降になるかと」

「──それもそうだよね。了解」


 天井を見上げたまま、彼の徳の行方を模索する──勿論、何も見えはせず、そこにあるのは無駄に斜陽なシャンデリアだけだ。


 あっ


「そう言えば、哀れとかって言ってたよね? 何で?」


 私の何気ない投げ掛けに、彼は溜め息をついた。


「貴女様に目付けられたばかりに、天界の常識も知らずに放り出された一本木さまが、ですよ」


「だ、だからそれは、ありのままの──」


 言い訳にしか過ぎないことは理解していた。だってそれはこちらの都合であって、彼の為ではなかったのだから。

 私、彼にお詫びすべき、だよねぇ……どうしよう。

 彼のイケボを思い出しながら、思案する。


 執務室の影に消えた彼が、再び溜め息をついているような気がした。




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