第29話 【再びタイでの野球指導を再開する】

【南部ナコンシータンマラート県で野球指導を再開】

 2023年、55歳になった真は、幕末の激動期に仙台からやってきた伊達邦直公と家臣たちが命をかけて開拓した、石狩管内にあっては最も豊かな自然に囲まれた町の中にあり、3つの学科が併設された特色のある高校に赴任していた。振り返ってみると教頭になって4年目の2020年から、世界中を混乱の坩堝へと陥れた新型コロナウィルス感染症への対応をはじめ激動の毎日を送ってきた。

 学校における様々な教育活動の最終判断は校長にあるが、そこに至るまでに準備を整え、調整し、1つ1つ具体策を作り上げ、実施までのプロセスを創ることは教頭の双肩にかかっている。現場の声、課題の本質を的確にとらえた上で、自分の思考力をフル回転させて考え、組み立て、提案するのである。真は過渡期にある教育現場の中にあって、人任せにすることなく、1つ1つ具体的に提案し、具現化してきたものに思いをはせていた。

 真が敬愛する映画「みんなの学校」に登場する大阪府立大空小学校の木村泰子初代校長先生は、問題の根本は、日本の教育が子どもを「育てる」ための仕組みを作ってきたことです。「育てる」の主語は教師。これでは教師の「当たり・はずれ」によって子どもは育ったり、育たなかったりします。

 大切なのは子どもを「育てる」学校から、子どもが「育つ」学校へとシフトしていくことですと述べている。このことについては後に詳しく述べるが、「生徒主体」の教育活動にシフトできるかどうかが今後の教育を大きく左右するポイントである。

 さて、中学生のナショナルチームを率いてのAAアジア大会を終え、タイにおける野球普及活動はナコンシータマラート県体育学校を軸に進められていた。タイ南部の灼熱の太陽の下、野球を専門として学ぶために集まった生徒たちに対して、野球技術を身につけるために、来る日も来る日も基本練習を重ねて行くのである。

 どの分野でも、基本を身につけるために求められる手法、繰り返して反復練習することには大変な時間と労力を伴うものではないだろうか。コーチのポーンにも基本練習の重要性については理解してもらっていた。

 早朝5時からの練習、放課後の練習にも多くの時間に基本動作を身につける練習メニューを繰り返して行った。真は、久しぶりにナコンシータンマラートにもどり野球の練習に参加した。彼らは実にまじめに取り組んでおり、きっと上達してタイの野球界をリードして行く存在となることを確信した。

 選手たちにはできるだけ自主的に練習にのぞめるように曜日ごとに練習内容を提示していた。月、水、金はディフェンス(守備)、火、木、土はオフェンス(攻撃)を中心に行った。早朝のトレーニングも野球に必要な動作が身につくようにA、B、Cの3種類を考え、粘り強く行っていった。

 仏教徒が9割を占めるタイでは、仏教に関わる行事が暦の中にも多く散りばめられている。旧暦の6月にあたる時期は、雨期の始まりと重なりカオパンサー(入安居)と呼ばれ、満月の日から3か月の間、僧侶は外出をせずにお寺にこもって修行に専念するのである。

 この日はタイの祝日となるのだが、お酒も販売禁止となるため食事に行ってもお酒を出してくれない店が多いので気をつけなければならない。敬虔な仏教徒によっては3か月間にわたり禁酒をする人もいる。

 タイに来て1年が経過したカオパンサーと重なる7月19日(水)から21日(金)までの3日間、持病の腰痛が悪化し全く動けなくなってしまったため、バンコクジェネラルホスピタルに緊急入院した。

 思い返せば、真が高校野球に夢中になっていた時代、バッティング練習中にフルスイングで空振りして「バキッ!」という鈍い音が聞こえその後数ヶ月間に渡り動けなくなったことがあった。

 それ以来、疲れがたまってくると腰痛になることを繰り返し、だましながら乗り切ってきたのである。熱帯の気候にも慣れてきたが、国際大会への参加等初めての挑戦が多く、知らないうちに疲れがたまっていたのかもしれない。もし、治らなければ帰国も考えなければならない状況だっただけに、3日間必死に治療、リハビリを受けたのであった。

 初日は激しい痛みのためほぼ動けない状況ではあったが、優しい看護師の献身的なサポートのおかげでみるみる腰痛がなくなっていき退院となったのである。適切な治療をしてくれた医師、優しい眼差しで患者の痛みに同苦しながら、リハビリにも献身的にかかわってくれた看護師には心から感謝している。

 思えば未曽有の新型コロナウィルス感染症のパンデミックが世界中の人々を不安と恐怖のどん底へと叩き落すような状況にあっても、世界中の医療従事者たちは不眠不休で患者の治療にあたってくれた。

 2020年4月、日本では全国の学校が1ヶ月以上にわたり臨時休校となった。スティホームが日常化し、厳しい感染対策が求められ、社会の分断はさらに広がっていった。

 そんな中にあって本校の生徒たちは自分たちに何かできることはないか。学校に来られない中にあっても、生徒会のメンバーが中心となって考えた抜いた中で、ある生徒が医療従事者を応援する素晴らしいポスターを描いてくれた。農業学科の生徒たちは花の専門家の指導のもと、医療従事者を応援するため青い花を配布し、町のいたるところに植樹して、医療従事者の献身的な働きに心からエールを送った。

 世界中で恐怖と分断が拡大する中にあって、心温かな連帯の動きも大きく広がったのである。フードバンクへの支援、買い物の手伝い、様々な方法で隣人や地域社会へのボランティアの動きが広がった。

 自分の時間を充てて布製のマスクを作ったり、孤独感に苛まれる人と電話で話したり人々の善意は、未曾有の感染症が猛威を振るう中にあって素晴らしい動きが世界中で見られたのである。

 真にとっても未来への明るい希望を感じさせる出来事となり、確かな喜びを胸に目の前の感染症対策に全力を注いでいく後押しとなったのである。しかしながら、この目に見えない恐ろしい難敵である感染症の猛威によって命を落とした方々にはあらためて心より冥福をお祈り申し上げたい。

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