第28話 【タイチームが戦う集団に生まれ変わる】
試合終了後、情けなさと悔しさに満ちた真は、主催者の韓国が用意してくれていた市内観光などのスケジュールを全てキャンセルし、「これから練習をするのでグラウンドへ連れていってもらいたい」とタイのスタッフ「しんちゃん」にお願いした。真の何とも言えない恐ろしい雰囲気に圧倒されたしんちゃんはすぐに対応してグランドを探してくれたようだが、結局見つからなかったことを真に伝えてきた。
そこで真は「それではこのままホテルに直行してもらいたい」と伝えると、しんちゃんは「せっかくの市内観光が・・・」とぶつぶつと喋りながらうなだれ、しぶしぶ全てをキャンセルしてホテルへ送ってくれた。
ホテルに到着すると、裏にある土手に選手たちを連れていった真は、選手全員を並べて話しはじめた。「今日の試合で、自分の実力を出せた者はいるか。勝敗は関係ない。せっかく1ヶ月以上も朝から晩まで練習してきたのに、なんだあのざまは!もう2度とあんな試合をしないために、この土手の階段を、大声をだしてから走れ!私がいいというまで走れ!」と。
裏の土手とは言え、ソウルの中心街が近く、多くの市民が土手の上を歩いていた。選手たちは恥ずかしかったのだと思う。中途半端な声しか出さずに、遠慮がちにやっていた。その姿を見てこんなことでは意味がないと判断した。
そこで真は「ドリャ―――!」と町中に響き渡るような大声を出し、全速力で坂道を登り、坂の上に仁王立ちし「こうやってやるんだ!」とやり方を見せて、選手たちに同じようにやるよう促した。そのあまりにも大きな声に驚いた通行人は、足早にそこから立ち去り、誰も近寄らなくなった。そうして選手たちには、やりやすい環境が整った。
最初に、責任感の強いキャプテンのオーンが大きな声を出して走り出した。勇気ある行動はあっという間に広がっていくものだ。次々と選手たちが続き、夕闇迫るソウルの街に、彼らの大きな叫び声が響き渡ったのである。そろそろみんなの声も出てきたので、止めるように指示をすると、逆に選手たちは「もう少しやらせて」と言ってきた。汗をびっしょりかき、目が輝いてきたのがわかった。
オーンを呼び選手たちを集合させ「明日はこうやって元気いっぱいに自分たちの野球をやろう」と確認しホテルに戻った。この日は誰に言われることなく、9時前には全員が静かな眠りについていた。
次の日の対戦相手は、これまた強豪の台湾との一戦であった。この試合は、真を心から感動させるものとなった。実力差は大人と子供のような差があったにもかかわらず、相手の強力打線を6点に抑え込んだ。
先発のチャイヤーは、ピッチャー経験も少ない中で、物怖じせずに堂々としたピッチングを披露した。大きな体からくり出すあまりにも遅いボールに手こずったのが真実だと思うが、彼はストライク先行のピッチングで勝負に挑んだのである。
ピッチャーのリズムがいいと、守りのリズムも良くなるものだ。特に、ショートのゲッターにたくさんのゴロが飛んだが、終始攻撃的な守備を見せ何とノーエラーでピッチャーとチーム全体を盛り立ててくれた。バッティングでも彼はセンターへ痛烈なヒットを放ったのである。
2時間という時間制限があったために、6回時間切れとなってしまったが、終始全員が全力で声を出し続け、6対0という好ゲームを演じてくれたのである。この夜は、ノーエラーに痛烈なヒットを放ったゲッターをMVPに選出して新品のソックスをプレゼントした。
6月19日(月)は、ライバルであるフィリピンとの試合であった。この日は、いつものように早朝からジョギングをした後、全力で素振りの練習、午前中の割り当て練習もきっちりやりきって、午後からの試合にのぞんだ。これが試合の明暗をわけたのであった。
試合前の選手たちの様子を見ると、健気なまでに戦う意思を見せていたが、疲労の色は隠せなかった。さらに声を出そうとしても、昨日の試合でほとんどの選手たちの声はつぶれていた。選手のベストパフォーマンスを出させるために、緊張の糸をほぐしてあげることが指導者に求められていたのにしてあげられなかったことが真にとって最大の反省材料となった。
先発ピッチャーのジーは勝たなければならないプレッシャーのため緊張していたのだろう。序盤で打ち込まれ、早めにトーンにスイッチしたが、攻撃も守備面も悪い流れは止められず、終わって見ると11対2の敗戦となった。
真は、全身の力が抜けた。必勝を期し最大のポイントにしてきたフィリピン戦の敗退である。冷静になって振り返れば、相手はのびのびと戦っていた。午前中の練習も全てキャンセルして、この試合にのぞんでいた。こちらは、緊張の糸を最大限に引っ張ったまま、試合にのぞませてしまった。敗戦の一切の責任は真にあったと言ってよい。
この敗戦の責任はきちんととらなければいけない。明日の試合はインド戦である。この試合で真はヘッドコーチから身を引き、スタンドで観戦することに決めた。このやり方には選手や監督、コーチたちを戸惑わせたことだろう。
しかし、真にとってのこの敗戦は、絶対に受け入れることのできない事実でありその責任は全て自分にあること、本音を言えば本当に腰が砕けてしまったような無力感に陥ってしまったことも事実である。インドとの実力差は間違いなくタイの方が上と分析していた真は、どんな形になっても最後は勝つことを信じていたからでもあった。
翌日のインド戦、先発も全て選手たちが考えたようである。練習でやったこともない布陣を敷いたことにより浮足立ち序盤にリードを許したが、プラッグの3塁打、ゲッターのランニングホームランなどの猛攻により、最終的には11対8逆転で勝利をものにした。ゲームセットの瞬間に選手たちは、勝利をスタンドにいた真に手を振って報告した。
6月21日(水)、気を取り直しての今大会の最終戦の対戦相手は日本であった。グランドに戻った真は、元気の足りなかった選手たちに最後の試合、全力で元気に戦うように檄を飛ばしてのぞんだのである。
台湾戦でいいピッチングを見せたチャイヤーを先発とし、台湾戦に続き実に素晴らしい試合を見せてくれた。相手打線を6点に抑えたまま最終回、最後の攻撃となった。ランナーを2塁まで進めたが、すでに2アウトである。
ここで1度も出場機会のなかった、スパーンブリー体育学校のポーンを代打に送った。全員が、最後の力を振り絞って、力の限り応援した。その思いが通じたのであろうか。彼は初打席にもかかわらずヒットを放った。最後の最後に全員で、強豪日本チームから1点をもぎ取ってこの大会を締めくくってくれた。
試合が終わって韓国滞在の最終日、タイチームは全員でソウルの街に出かけた。彼らは家族や友人たちへのお土産を探していた。そしてこの日、真が一番感動したことは、タイの代表選手1人1人が野球連盟からお小遣いをもらっていたが、ほとんどの選手たちがグローブを買っていたことだ。
彼らは「これで練習してもっと上手くなりたい」と言っていた。昨年の大人のナショナルチームと好対照の行動をとった子どもたちの計り知れない可能性に敬意を表し、真は彼らの成長を心から願うのであった。
こうして第1回AAアジア大会を終えて、タイナショナルチーム一行はタイに帰国した。真は、フィリピン戦は落としたものの、上位3チームの中で特に台湾戦と日本戦で好ゲームを演じてくれたこと、そしてこれからの彼らの人生にとって必要なファイティンスピリットを共有できたことを最大の成果と捉え、その後のタイでの野球の普及活動に、新たな決意で邁進していくのである。
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