第18話 【タイではじめて迎える年末年始】


 真はバンコクから一番行きやすいビーチリゾートであるパッタヤーで年末年始を過ごした。スパーンブリー滞在中にずっと車を出してくれて、あらゆる場所に連れていってくれたセンチャイ先生も一緒だった。

 体育大学を卒業した彼の専門はボーイスカウトであった。学校でのカリキュラムの位置付けなど詳しいことはわからないが、自然が豊富なタイではボーイスカウトが盛んで、学校教育の中でも積極的に実践されているようだ。野外活動を通して子どもたちを育成するのである。

 彼は愛車のイスズのピックアップトラックであらゆる場所に連れ出してくれた。夜は毎日のようにスパーンブリーの美味しい名店に連れていってもらった。真は今でもあの時の素敵な夜の思い出が鮮明に蘇ってくるほどディープな毎日を過ごしていた。

 川の上にあるレストランで食べた「ゲンソムプラードゥック」の味が忘れられない。さてここで、少々タイ料理について書いておきたい。タイは中部、東北部、北部、南部の4地域に分かれる。その地域にはそれぞれの料理がある。基本的に辛い料理が多いのだが、一番辛い料理は南部料理である。

 「ゲン」とはカレーのことだが、中部の代表的なカレーに「ゲンキャオワーン」ゲン(カレー)、キャオ(緑色)、ワーン(甘い)の意味で、日本ではグリーンカレーと言われるものである。ココナッツミルクが入っていて口触りは滑らかだが、たっぷり入った香辛料のおかげで、火を吹くような辛さが口いっぱいに広がる。基本的にはどれも日本では手に入らない「プリッグ」という小さな辛い香辛料を使い、汗が吹き出るような辛さが特徴である。食べ慣れると大変に美味しい逸品だ。

 「ゲンソムプラードゥック」とはゲン(カレー)、ソム(酸っぱい、みかん)、プラー(魚)、プラードゥックとはナマズのことだろうか。油で揚げたナマズが丸々一匹オレンジ色のゲンソムの中で、グツグツと煮立ったまま出てくる。どのカレーも特徴があって良さがあるが、真にとってこのゲンソムが一番のお気に入りとなった。

 タイのビールは「シンハー」「チャーン」「リオ」の3種類が有名で、真は「シンハー」派だ。「シンハー」を飲みながら「ゲンソム」を食べるとどちらも引き立つのである。中でも最も辛いカレーは南部の「ゲンプラー」である。

 タイ料理の辛さに慣れた真は、南部での生活でさらにカルチャーショックを受けた。魚のハラワタも全てかき混ぜて作ったどす黒いカレー。この辛さは、口の中に痛みを感じさせるものであった。しかし1年間南部にいた結果、これも好物になったのである。

 庶民的な味は「イサーン(東北部)料理」だろうか。タイの食卓に欠かせないものは「ソムタム」パパイヤサラダである。大きなすり鉢のようなものに、細く刻んだパパイヤを入れてタイの唐辛子プリッグをお好み加え、棒でトントンと叩いて混ぜ、味を浸透させる。

 ナンプラー、ニンニク、ピーナッツ、砂糖、エビを入れたり、カニを入れたりと幾つかのバリエーションがある。これは何とも言えない懐かしい味がする。その他、ガイヤーン(鳥の唐揚げ)は、なぜかもち米と一緒に食べると最高に引き立つのである。

 ナムドック、ラープどれもたまらなく美味しいイサーン料理だ。日系企業の「味の素」が、現地でそれらの味を凝縮した製品を出しているのでお土産に買って帰ると本物の味が日本でも楽しめる。

 他には「トムヤムクン」(エビ入りスープ)、「ヤムウンセン」(春雨の和え物)、「カオマンガイ」(鶏肉ご飯)、飲んだあとの麺類「バーミー」、(中華麺)、「グェッティヤオ」(ライスヌードル)、「カノムチーン」(そうめんに似た米麺)、これには「ゲンキャオワーン」(グリーンカレー)が一番合う料理。

 あげればまだあるが、ぜひ1度食べてほしい。日本でも多くのタイ料理屋さんがあるが、やはり暑いタイで食べるからこそ美味しいのだと思う。最後に、初めて食べたものとして「アリと卵(アリの卵)の油炒め」、コブラ料理とその血で割ったお酒、タガメの唐揚げと何を食べても真にとっては懐かしさを感じさせるものであった。

 ちなみにタイのお酒で質が高く美味しいのは「リージェンシー」である。タイのブランデーと言われている。タイのウィスキーには「ホントーン」があるが、これを飲むと次の日の頭痛がすごいのである。なんと言っても週末にバーで飲むシンハービールの味は格別であった。

 センチャイ先生は優しい人であった。12月25日、26日に彼の故郷ナコーンナヨッグに宿泊させてもらって、次の日のマラソン大会に出てきた。ご両親にご挨拶した時、日本人なのにタイ語を話して面白いと喜んでいただいた。

 マラソンは15キロのコースを一緒に走った。真よりも5歳年上であった彼と並走していたが、ペースが合わずに真は先にゴールをした。彼は毎年このマラソンを走り抜いて、自分の健康・若さをチェックしているのだそうだ。

 その夜もローカルの店に食事に行き、最後はカラオケで締めくくった。ギターを弾きながら歌を聴かせてくれる店で、日本の歌を歌ってほしいとリクエストされた真は松山千春の「長い夜」をそれもギターを弾きながら歌ってきた。大変に盛り上がった夜を過ごした。

 年末年始の「パッタヤー」は、多くの外国人観光客でごった返していた。タイ語で西洋人のことを「ファラン」と呼ぶ。彼らの多くは、タイと言えば「パッタヤー」を思い浮かべる人が多いのではないか。

 ここはもともと小さな漁村だったが、ベトナム戦争が勃発して、アメリカ軍が使用していた空港のそばに保養地を作ったのが始まりである。戦争の終結とともにアメリカ軍は撤退するが、その後も、リゾート地として発展を続け現在に至っている。

 いたるところに、西洋人向けに作られた飲み屋がひしめき合っている。歓楽街ではバンコクには敵わないが、ここにもタイでは有名な「ゴーゴーバー」もある。真は他の協力隊メンバーや日本語教師の友人、センチャイ先生とともに賑やかな南国での年末年始を過ごしたのである。

 2000年1月、真ん中の教え子で会社を経営する将志が送ってくれた野球道具が届いた。これらを持って、さっそくスパーンブリー体育学校にも届けてきた。ここの校長Dr.パタナチャット氏は、アメリカに5年、日本に1年の留学を経験していることを話してくれた。

 来年、中高生の野球大会を開催する件と、将来はここにも野球場を作りたい展望を共有した。年始の協力隊員の総会にも出席し、1月14日(金)、ナコンシータマラート県体育学校での滞在に向け、野球の指導をアレンジしてくれたタイ教育省体育局へ挨拶に行った。

 そこへナコーンシータマラート体育学校のウィラサック校長、ビセット副校長の2人で700キロ以上の長い道のりをへて迎えにきてくれた。いよいよ南部の町、ナコンシータマート県に出発の日となった。車で9時間の長旅である。アジアハイウェイを南下するにつけ、景色や雰囲気が変わっていくのがわかった。

 不安もあったが、優しそうな笑顔で話しかけてくれるウィラサック校長、ユーモラスなビセット副校長と会話をしながら車で疾走し、目的地ナコンシータマラート県に到着したのは夜11時過ぎであった。

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