第12話 【念願の担任を受け持つ】


 真は採用されてから2年間、担任を持たせてもらえなかった。とにかく1日も早く担任を持ちたくてうずうずしていた。副担任として様々な業務にあたらせてもらったが、やはりどこか物足りなさを感じていた。そして正採用となって3年目の1996年4月から、ついに念願の担任を持つことになった。28歳になっていた。

 真は生徒たちを迎える準備段階から張りきっていた。まず1番最初に考えたのは学級通信のタイトルであった。硬直化した教育界に新しい息吹を吹き込むのだ。そんな強い気持ちがあった。新しい風、真にとってそれは、人間的な温かさを学校に吹き込むことであった。そう考えるとピッタリのタイトルが見つかった。それは「ルネッサンス」であった。

 中世ヨーロッパでは、権威化したキリスト教の教会勢力が、社会全体に大きな力を持っていた。「魔女狩り」に代表されるように、人々は宗教に隷属化し、宗教的権威が人間社会を支配する本末転倒の様相を呈していたのである。

 当時、いち早く経済的な基盤を築いたイタリアを中心に、ルネッサンス(文芸復興運動)は起こった。古代ギリシアのヒューマニズムを理想としており、この時代の芸術作品は、豊かな人間性あふれる素晴らしい作品が特色であった。真は、教育界にルネッサンスを巻き起こすのだとの強い決意を込めて、学級通信のタイトルに「ルネッサンス」を選んだのである。

 戦後から続く日本の教育は知識や学力が重視され、いわゆる知識詰め込み型の授業が行われ、子どもたちには最も大切な「何のために学ぶのか」が示されないまま、知識偏重教育が行われてきたと言ってよい。そのひずみは学校教育に顕著に表れていた。

 学力で輪切りをされた子どもたちは、言い知れぬ不安と不満を抱えたまま、その歪んだ現実を受け入れられなかった。希望する人気のある高校に入学することができないことで、心に傷をおった生徒たちを目の前にして、このような矛盾に満ちた教育界を変えるんだと強く願い、はじめての担任として思い切った実践を重ねていくのである。

 2018年、学習指導要領大きく改善され、生徒を主体とした学びへと大きく転換されようとしている。教育は国家100年の大計と言われる。目の前に生きる子どもたちへの教育の質そのものが、次の時代を決定づける。真は、教育界の質的大転換に対し、大いに期待を抱きつつ、その変化を主体的にとらえていこうと実践を重ねている。

 北海道には今からおよそ100年前、帝国主義を標ぼうしていた日本は、国を挙げて軍事大国化への愚かな道をつき進んでいた。生徒1人の命よりも国家が優先される転倒した社会にあって、そんな状況を真っ向から変えるため「教育の目的は子どもの幸福」という人間主義の教育理念を実践した偉大な教育者が北海道を舞台に子どもを主役にした先駆者がいた。

 真は、この偉大な代表先輩の教育思想を教育実践の根幹にすえていた。まさに21世紀における教育ルネッサンスであった。この偉大な先輩は、毎日、生徒を玄関で出迎えた。寒い冬には、赤ぎれの手を自らお湯で洗ってあげた。お弁当を持って来られない生徒のためには、自ら弁当を作ってあげるなど、目の前にいる生徒たちの幸福のために、自分の命を捧げる実践を貫いたのである。

 その尊い教育実践を貫いた偉大なる教育者を軍国主義で狂った日本は、治安維持法違反の罪でとらえ、冷たい牢獄で獄死させたのである。

正しい人間が闇に葬られる国の未来は暗い。

 古代ギリシアが生んだ偉大なる哲学者ソクラテスは、最も正しい生き方を示し「人類の教師」と呼ばれている。古代ギリシアで一番の繁栄を誇ったアテネが、彼を死刑にした歴史の教訓を忘れてはいけない。

 アテネは、徐々に国力に陰りが見え始めた。それは「陶片追放」によって、正しい人が次々と闇に葬られて行ったことが遠因となっている。デマの語源となったデマゴゴスの暗躍によって嫉妬の標的となり、市民は騙され多くの罪のない人たちが闇に葬られるようになった。

 ソクラテスは最も正しい生き方を貫き、多くの若者に正しい生き方を伝えていた。多くの青年たちの心をつかんでいたため、青年たちから絶大な信頼をもっていたのだ。そんな彼に嫉妬した政治家やソフィストたちが、ソクラテスを死刑に追いやったのである。嫉妬社会に堕落してしまった結果、アテネはマケドニアに併合され滅んだのである。

 真の心の中はいつも熱く燃えていた。目の前にいる生徒のためにはこの身を惜しむことはない。絶対に寂しい思いはさせない。君は君のままでいいのだ。誰にもまねのできない自分にしかできない使命を果たす人生であってほしい。真の情熱あふれる実践は、教科指導、担任業務、分掌業務、部活動指導など全てに及んだ。

 真が長年、自らに課してきた生徒による授業評価アンケートには、生徒たちの率直な思いが綴られている。「真剣さ、熱意がビシビシ伝わってきた」「先生自身が本を読んで詳しく教えてくれてよかった」「優しく1人1人を1人の人間として見てくれて感謝です」それらの評価から勇気をもらい、真剣勝負の実践に磨きをかけていくのである。

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