第11話 【2回目の教員採用試験に合格】
1994年4月、真は2回目の教員採用試験に合格し、オホーツク管内の人口約4000人余の町にある高校に本採用が決まった。26歳になった真は、心身ともにエネルギーに満ちあふれていた。今現在は1間口だが、当時は4間口の生徒を抱えていた。
オホーツク海側の中心都市である北見から列車で通学している生徒が7割ほどいて、真面目な生徒たちからは、できれば行きたくないと考えるやんちゃ系の生徒が集う北海道屈指の教育困難校の1つだった。
数々の思い出を刻んだが、暴れる生徒を全身で抑え込んだことで、ろっ骨を骨折するという貴重な経験がその学校の状況を物語っている。列車の中はタバコの煙で充満していた。町内から通う純朴な生徒たちも、次第に彼らの影響を受けていった。
校務の中で、車に例えれば両輪にあたり「教務」「生徒指導」が教育活動の2本柱であるため、新採用の真には先輩たちが「生徒指導」を知らずして一人前の教師にはなれないとの推しもあり、生徒指導部に所属することになった。地歴・公民科、3年副担任、野球部の顧問、生徒指導部(生徒会担当)として仕事をしていくことになった。
1年目の教員は「初任段階教員研修」を受ける義務があり、多くの研修に参加しなければならず、柔軟な対応ができるように配慮される。オホーツクという広大な大自然の真ん中という豊かな地域性を利用して、世界自然遺産の知床での研修をはじめ特色ある研修が豊富であった。参加することで日常の煩わしさから解放され、心身ともに癒やされる貴重なひと時となった。
初任者研修に参加する予定だった10月10日の早朝、真の父が亡くなった。57歳という若さである。前日の夜、闘病で疲れ果てていた父親を見舞い、辛そうな姿にいたたまれなくなって後ろから抱きついてそっと体をさすってあげた。「父さん、辛いけどぐっすり眠らなければダメだよ。とにかく今日は寝よう」そう言って声をかけると、深い眠りについてくれた。
しかし次の日、そのまま眠るように息を引き取ったのである。数日前に病院に行き面会した時、肺に血がたまり、すでに左半身は動かなくなって体は傾いていた。その時も「左の手が動かなくなったので動くようにしているんだ!」と必死になって右手で左手を動かし、病魔と戦う姿に父親からの最後のメッセージを受け止めた。
男ならどんなに厳しい状況になっても最後まであきらめず戦い抜く。これが父親の最後のメッセージとなった。戦いきった父親の顔は生前には見たことのない満面の笑顔であった。この笑顔を見て真はあらためて人生に敬意を表し、父親の偉大さに深い尊敬の念を抱いたのである。
振り返ると、不器用な父親だったかもしれないが、息子への深い愛情は、さまざまな場面の中に描き出されていたのである。真が東京でその日暮らしをしていた時期、後楽園球場(東京ドームの前身)のホットドッグ売りのアルバイトをしている日に、野球の試合はそっちのけで、テレビに映ることを期待し録画をしてたった一度だけ映った真を見つけて嬉しそうに泣いていたそうだ。
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