第172話 子供の扱い方
アルセーナがゼロと呼ばれた少女のことを詰問するよりも早く、セルウスの忠実な下僕であるその他十一人の女中たちが彼女の下へと急襲をかける。
砕き散らかされ、吹きさらしとなったヴェルジネア邸の北棟三階は到底足場の体を成していない。
基礎となる骨組みがそこかしこに剥き出しになっているだけで、加えて明かりとなる燭台が一掃された今、戦う者の視界を補助する役目を担うのは降り注ぐ幽かな星明かりのみである。となれば、そこで戦闘を成立させようとする者には高度の身体能力が必要とされることが容易く想像できた。
「っ、そうくるのでしたら――」
特別な戦闘訓練を積んだわけではないアルセーナは、自身の技量が目前の少女たちより劣っていることを自覚している。栄えある騎士にも劣らない怪盗としての華麗な立ち振る舞いは、偏に強化魔法という誤魔化しによって成り立っているのである。
だが、そちらはともかく、彼女の判断能力は決して劣ったものではない。
アルセーナはセルウスの従者らがこの地面とも呼べない地面を平然と駆ける姿を見るや否や、迷うことなく自身の立つ三階の部屋の端から眼下へと飛び降りた。
「ふん、そうして支配者の血筋たる俺の下で虫のように意地汚く這いずり回るのが、しょせんは平民といったところか。さっさと降参したらどうだ? 今の魔法を見ただろう。この力を前にして勝てるなどと言うのは、どうしたって叶わぬ思い上がりなんだよ」
「誰が貴方になど屈するものですか! そのような幼気な少女さえも我欲で支配しようとする悪辣な輩などに、私は絶対に頭を垂れませんわ!」
せせら笑うセルウスの勧告に聞く耳を持たず、アルセーナは降り立った二階の床の上で打撃武器となった日除け傘を振るう。
二階は上階から落下した瓦礫が散乱しているものの砕けてはおらず、足場として十分な役割を果たしている。
降り積もった煉瓦や家具の残骸の隙間を踊るように駆け、彼女は襲い来る少女たちの短剣を捌く。
黒塗りの刃は相変わらず、視認し難いことこの上ない。
目を凝らしながら、迫りくる僅かな星明かりの反射を頼りに上下左右へと避け、逃げきれないものを打ち払う。
それを繰り返している内に、アルセーナは敵の刃がぬらりとした異様な輝きを伴っている点に違和感を覚えた。
「なにかが塗られているようですね……この鼻につんとくる刺激臭は、毒でしょうか?」
「目敏いな。その通り、そいつらの武器には俺がこの日のために仕入れた特注の痺れ薬がたっぷりと塗り込んである。なあに、死にゃあしないから安心しろ。お前を殺すのはもったいないからな、きちんと生かして甚振ってやるさ」
「お気遣い痛み入りますわ、そのおかげで目に捉えやすくなっていますもの!」
「よく回る口だ。良いぜ、その口を俺のために使ってくれよ?」
「唾でも吐いてさしあげましょうか? ――いえ、やはり撤回させていただきますわ」
ほとんど暗闇に近い環境の中で暗殺者染みた女中たちを複数人も相手どることは、厄介なことこの上ない。
しかし、それを遥かに上回る負の感情を露わにして、アルセーナはセルウスを見上げた。
「私の体液が貴方に触れるなんて、考えるだけで悍ましいですもの! 幼女を弄んで興奮する下品な貴方のためになにかを費やす気にはなれませんわ、少しはまともになってから出直してくださいまし!」
「まとも? まとも、ねぇ……」
セルウスはこれまで、彼女の語る理想的な正義論には一切取り合う様子を見せなかった。
だが、ここにきて彼は珍しくアルセーナの言葉に向き合うかのような反応を示した。
「不思議なことを言うな、ちょっとやんちゃな子猫ちゃんよ。そう言えばさっきは俺に対して悪辣だともほざいていたな」
「どこがおかしいのですか!? この女性たちを物のように扱うばかりか、貴方はその子、ゼロのことを娘だと呼んだでしょう! 他人を奴隷……いえ、奴隷以下の存在としてその意志を蹂躙することでさえ大きな罪であるというのに、貴方は血の繋がった自分の子供までをもそのように扱っているのです! それが下衆な行為以外のなんだというのですか!」
肩を竦めるセルウスに、アルセーナは感情を爆発させるように叫ぶ。
そこには彼女自身の、生まれ育った環境に対する反骨心が大いに混ざっていた。
自分にとっての当たり前を強制しようと、平民から吸い上げた血税をお腹がいっぱいだと訴えてもなお注ぎ与えようとする両親への反発。
全てを金という物差しで測り、子供の付き合いについても金で是非を決める父親。
好きでもない相手と結婚して子供を義務的に産み、後は適当に過ごすことで満足することが女としての幸せだとことある毎に呟く母親と姉。
オーレリーが怪盗アルセーナとして歩む道は、一切合切が貴族としての高潔な義務感のみで舗装されているわけではない。
だからこそ、彼女は目の前の光景が許せなかった。
――もしどこかで間違っていたら、自分も少女ゼロと同じような道を辿っていたのではないか。
――彼女にはこれから死ぬオーレリーとは異なる幸せな道を歩いて欲しい。
「子供は決して親の道具などではないのです、セルウス・ヴェルジネア!」
一際強く振り翳した傘で迫る相手の内三人を纏めて薙ぎ払ったアルセーナ。
セルウスは彼女の奮闘を見下ろしながら、娘の頭を撫でている。
――見方によっては、それは背伸びしようとする少女を上から無理やり押さえつけているようにも取れる。
「……いいや、違うぜアルセーナ。親である俺がこいつを意のままに動かすのは当然のことだとも。子供ってのはな、親にとって一番都合の良い道具なんだよ」
無表情に父と同じ対象を見据えるゼロを手中に抑えながら、セルウスはそうなんの感慨もなく呟いた。
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