第121話 謎の探し物と牙剥く少女たち


 部屋に備え付けられた燭台の一つに火を灯して、アルセーナはその全容を見渡した。

 ぼんやりと照らされた視界の近くに映ったのは、漆黒に輝く【鷲獅子グリフォン】の羽根ペン、くすみ一つないまっさらな植物紙、そして屋敷の人間の髪と同じ琥珀から削り出された封蝋用の印璽。それらが規則正しく並べられているのは、一枚板の白い・・黒檀製執務机だ。

 部屋の中央奥に存在感を示すように据え置かれたその机の両側には、これまた白塗りに金箔を張り合わせた竜胡桃製の本棚が並べられている。

 そこには元あった全てを自分好みの高貴な色に塗り染めた、この部屋の主人の傲慢な性格がこれでもかというほどに表れている。

 窓の外から降り注ぐ月明かりに照らされて、その身に持っていた趣を圧し殺された素材の嘆きが影となって彼女を見下ろす。


「……可哀そうに」


 それらに対して心の中で祈りを捧げ、死んだ家財たちを一瞬だけ哀れんでから、アルセーナはすぐさま元の怪盗としての冷徹な己へと意識を切り替えた。

 残念ながら、損なわれた芸術を悼むような時間は今の彼女にはない。


「急がなければ、不審に思った誰かが来てしまいますもの。ごめんなさいね」


 手に持っていた傘を机の端に立てかけ、彼女は侵入したこの館の主――アヴァル・ヴェルジネアの執務室を手当たり次第に探り始めた。

 手始めに本棚の隣に置かれていたガラス張りの戸棚をばっと開き、その中に雑多に陳列されていた茶器や彫刻などを余すことなく取り出して、空っぽになった内部を手でまさぐっていく。


「……ありませんわね。次」


 そうしてなにも手ごたえがないことを確認すると、アルセーナは次に戸棚下段の扉を開いて、同じように内容物を外へ移して中をぐるりと見やる。

 それが終われば彼女は隣の本棚に移り、中身をさっと覗いてから、同じように今度は近くの小棚の上に積み上げていく。


「――『ユースティティア王国大法典』、昨年度版ではないですか! 羨ましい……『貴血家系一覧』、こちらはどうでも良いですわね。『ベアトチェに捧ぐ我が愛の歌』に『星聖詩・・』……誤字に誤訳本ではないですか。装飾だけは大層ご立派ですが、訳者は三流ですわね……いえ、本はどうでもよろしいのですわっ!」


 数々の目を引く書物についつい気を取られつつあった自身を律しながら、彼女は棚の中を漁っていく。

 そうしてすっきりとなった棚の仕切りを再び撫でて感触を確かめて、アルセーナは肩を落とす。


「やはり、すぐに見つかりませんか。あの男も一目見て分かるような場所に置いているとは思えませんもの……」


 彼女はそう言いながら、次の棚の中に入っていた精巧な火竜の彫刻を無造作に足元に下ろした。

 香木から削り出されたそれは売却すればそこそこの値段になるはずだが、アルセーナはそれに目もくれずに次の高そうな置き物を邪魔だと運び出す。

 どうやら、それらは彼女の眼には叶わなかったらしい。

 それどころか巨大な宝石を埋め込んだ壺すらも中を覗き込んだだけで放っておいて、彼女は渡り鳥のように次から次へと別の家具の中へと興味を移していく。


「……ないですね」


 そうして一通りものを収納できる家具を開帳し終え、肩を竦めたアルセーナ。

 しかし彼女は諦める様子を見せず、続いて今度はぴたりと近くの壁に耳を当て、こんこんと叩き始めた。

 返ってくる石材の反響に目を閉じて集中しながら、彼女は広い部屋の中を少しずつ時計回りに音を確かめていく。

 それで手応えがないと分かれば、今度は手に取った傘の先端でこつこつと床を叩き始めた。

 敷かれていた見事な赤絨毯を無理やり引っぺがし、露わになった石床を、先ほどと同じく耳を澄ませながら歩いていく。

 かこぉぉんっ――僅かに透き通った音が聞こえた。


「今のはっ……」


 彼女はすぐさま音の変わった場所へとしゃがみ込んで、敷き詰められた石床にじっと目を近づけて観察する。

 すると、そこには指三本ほどを差し込めそうな穴が近くの壺の底に隠れて空いていた。


「この大きさからして、鍵となりそうなものは……あれでしょうね」


 今の季節では使われていない暖炉へと近づいて、傍に置かれていた火かき棒を手にして戻る。

 その折れ曲がった先端を鉤のようにして引っ掛けて思いっきり引っ張ると、蓋となっていた石板が捲り上がった。

 その中に秘されていた小箱を手に取った彼女は、見えやすいように机へと持ってきて周りの紐をしゅるりと解く。


「……これは」


 そこに入っていたものは、いくつかの手紙のようだった。

 日付は底の方から順に新しく、文末を見ればどれもアヴァル宛ての物となっている。

 しかもご丁寧に、頭には愛しのだの麗しのだのと危険な形容詞が連なっている。そしてその後ろに続くのは、どれも女性の名前だ。

 流し読みをすれば頭が痛くなるような錯覚を覚えたアルセーナは、思わずべしっ! と、それらを机に叩きつけてしまった。


「どれも恋文のようですわね。しかも送り主は……いえ、口にはしないでおきましょうか」


 精神衛生上、少なくとも封筒の裏に書かれていた名前はアヴァルの妻であるパルマのものではなかったとだけ、彼女は記憶の底に刻んでおくことにした。


「これはこれで有用かもしれませんが、決め手には欠けますわ。やはり、例の物・・・でなければ……しかし、壁にも床にないとすればどこに? もしや、そもそもこの部屋には置いていないのでしょうか……」


 彼女の唇から漏れ出た、謎の探し物。

 それは部屋の片隅に放置された宝石の埋め込まれた彫刻でも、暖炉の上に交差するように飾られた金銀細工の宝剣でもない。

 ヴェルジネアの民に【月の憂雫ルナ・テイア】として知られる、【怪盗淑女ファントレス】の代名詞である高級品には目もくれず、彼女の暗い飴色の眼は一通り探し尽くした部屋の中を物色し続ける。

 ――しかしどこにも彼女のお目当てのものは気配すら感じ取れないようで、彼女は深く落胆の息を吐き下ろす。


「……仕方ありません。こちらの方は、今宵はこの辺りで引き下がると致しましょう。二兎を追う者は一兎も得ず、でしたか? 拘り過ぎればもう片方を落としてしまいますからね」


 そう言って、彼女は足元へと目を向ける。

 逃走経路となる窓の外ではない、屋敷の地下――そちらに眠る今夜のもう一つの目的の代物へと狙いを定めて、彼女はアヴァルの執務室から踵を返そうとした。

 蝋燭に鐘の形をした火消しを被せ、アルセーナは僅かに廊下の明かりが漏れ出る部屋の入口へと戻ろうとして――。


 ――避けろ!


 聞き慣れたの声が全身に響いて、怪盗は咄嗟に左へと跳んだ。

 それとほとんど同時に、


「――【枯風乱嵐ヴェン・テンペスタース】」


 魔力を伴った逆巻く竜巻が静寂を切り裂き、部屋の中心部を扉から最奥のガラス窓まで一直線に喰い破った。

 がたん、とアルセーナがあえて直視を避けていた、やたらと鼻が高く描かれたアヴァル・ヴェルジネアの巨大な肖像画が無惨に引き裂かれて壁から床に落ちた。


「おっと、これは後で親父殿にどやされるか? でもまあ、仕方ないよな。街を騒がせる怪盗を捕らえよとの面倒……もとい、無茶難題なんだからな。これくらいの犠牲は許容範囲内に違いない。懐の大きな父上ならばきっと許して下さるだろうぜ」


 唐突に明るくなった部屋の中に、散らばった瓦礫を踏み躙って一人の青年が足を踏み入れる。

 周囲に三人の護衛――全員が女中服と、途中で外れた鉄鎖のついた首飾りを身につけていた少女たちだ――を引き連れた彼が、アルセーナを見て嗤う。


「おっと、今のを避けてみせるとはな。不意を打ったつもりだったんだが、よく無事でいられたな」

「……その蛇のような邪な気配までは隠しきれていませんでしたよ」


 嘘である。

 アルセーナは先ほどの謎の声が聞こえていなければ、確実に目の前の襲撃者――アヴァルの第二子、セルウス・ヴェルジネアの魔法攻撃を避けられなかった。

 その警鐘の声についてはひとまず置いておいて、余裕ぶった態度を保ちながら彼女はセルウスの前へ歩み出る。

 すると、二人の間に短剣を持った少女三人が盾となるように割り込んだ。

 それを満足そうに見据えながら、セルウスが語り掛ける。


「さあて、こんな所でなにをのんびり道草を齧っていたのやら」

「貴方に答える必要はありまして、セルウス・ヴェルジネア?」

「いいや無いな。だが、少しくらい教えてくれてもよかろうに。俺はヴェルジネアだぞ? ここで印象を良くしておけば、後の自分の待遇に影響することくらい分かると思うがね」


 仰々しく腕を広げたセルウスが、顎を上げて女盗人を見下ろす。

 それに床を軽く踏み鳴らし、アルセーナは武器代わりの傘の柄を握りしめる。

 生まれ持った名前に威を借る彼が気に入らなくて、その問いを彼女は切って捨てる。


「有り得ない未来を考えることほど無意味なものはありませんわ。良いからそこを退いてくださりませんかしら? 私は貴方と違って、暇ではないのですよ」

「ははっ、こいつはまた随分と嫌われたものだ。いやはや高潔な怪盗様は俺みたいなお貴族様は嫌いらしい――だが、そういった女ほど一度服従させればとことん尽くす。お前が甘えながら俺を求める声が、今から楽しみで息子が疼いちまうぜ」


 彼が指揮者のように腕を振るうと、配下たちが一斉に構えを取る。

 逆手に短剣を二つ、牙のように構える少女たち。どうやら誰もが異形の剣の使い手であるようだ。

 それらを前にこの場を切り抜けるための戦術を模索しながら、アルセーナが吐き捨てるように呟いた。


「どうしてこの館の男性は、誰も彼もが下でばかり物事を考えるのですか? 下品で下劣で低俗で、嫌らしい……」

「つまらないことを言うなよ【怪盗淑女ファントレス】。俺たちは誰だって、生まれながらにしてその内に獣を抱えてる。その囁きに従って愉しみを味わうことのなにが悪い? ――その肉体が何のためにあるのか、この俺が教えてやろう。行け、アン、サンク、オンズ。新たなお仲間の歓迎会だぞ――」


 アンサンク十一オンズ

 無機質な名で呼ばれた従者の彼女たちが、アルセーナを迎え入れようと牙を剥いて駆け出した。

 月が導く怪盗の夜会は、まだ終わる気配を見せない。

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