ドロップ・リベリオン ~ゴミ以下の魔力しかないからと捨てられた【英雄】の末裔だけど、大英雄になれるって証明してみせる~

揺木ゆら

第一章 勇と魔の再臨

プロローグ 【英雄】の一族から落ちぶれた者


「うぐっ……ぐすっ……」


 天を覆うほどの大樹が連なり、凶悪な魔獣が跋扈する未開拓領域【深淵樹海アビッサル】。

 その一部で、裸一貫でめそめそと泣く子どもが一人。

 彼こそはラスト・ブレイブス。

 【英雄】の一族として知られるブレイブス家が長子であり、明日には王都で病死・・の発表をされるであろう男の子だ。

 そんな彼は今、子供だけでは到底生きていけないような死地にて一人膝を抱えて座っていた。


「なんで僕が、うぐっ、こんな目に……」


 嗚咽交じりに呟く彼だが、その理由は十分に分かっている。

 それは、彼が【英雄】の血を引いているにも関わらず、魔力容量がゴミ以下と判断されたからだ。

 ――【英雄】とは、かつて魔の者たちの王として人間たちの国を侵略した【魔王】を討伐した、人類最高峰のパーティーにおいて旗印を務めた者を指す。

 生まれ持った膨大な魔力と共に数々の武勇を生んだ彼の力は、後の子孫にも代々受け継がれ、様々な奇跡をもたらしてきた。

 以来、彼の血を引くブレイブス家は籍を置く王国において大きく重宝されてきた。

 ラストも、かつては家族同様に将来は王国を守る盾として活躍を見込まれていた。

 記念となる七歳の誕生日を迎える、今日までは。



 ■■■



「それではラスト様、この魔力計測器に触れてくだされ」


 彼は言われた通りに、老爺の執事長に差し出された懐中時計を模した道具に触れる。

 それは時を刻む代わりに、触れた者の魔力を吸い上げて、その総量の分だけ針が回転するという魔法具だ。

 赤い布の敷かれた箱の中から持ち上げたそれは、子供の手には妙に重く感じ取れる。

 たどたどしい息子の様子を傍で見守っていた両親、ライズ・ブレイブスとフィオナ・ブレイブスがこそこそと囁きあう。


「ねぇ、あなた。この子の魔力はいったいどれくらいかしら」

「むろん、私と君の子どもであるからな。最低でも針の一〇〇周分ぐらいはあろうとも。最近計測したばかりの姪は一五〇だったか? いずれにせよ、八〇は越えねば話にならん。そこらの三流騎士であれば五周分あれば十分だが、我ら【英雄】の一族であるならばその程度では許されん」

「ふふふ、そんな杞憂はいらないわよ。だってラストはお勉強だってとっくに学院の四年生レベルを超えているのよ? 剣だって師範代にも太鼓判を押されるほどだし、きっと魔法だって……」

「ふん。今の時代、剣や頭よりまず魔力だ。剣で城は斬れん。金勘定だけで戦争に勝てるか? なによりもまずは魔力、それが戦う者にとっては全てなのだ」

「お二人とも、お話に熱を上げるのはそこまでになさいませ。そのような様子では、坊ちゃまの初めての魔力計測という一大儀式を見逃してしまいますぞ」


 執事長に注意され、二人は慌てて己らの子どもの下へと駆け寄った。

 その手元に四つの視線を――正確には、周囲で儀式を見守っている二十を超える屋敷の使用人たちのものも含めて――注がれる中、魔力計はラストの魔力を吸い上げ、正しく起動した。


「……」

「……」

「……」

「……」


 無言の時間がしばらく続く。

 だが、一向に魔力計の針は動く様子を見せなかった。


「……もしや、これは壊れているのではないか?」

「かもしれませぬな。長らくブレイブス家の大海の如き魔力を吸っていれば、内部構造に異常をきたしていてもおかしくはありません。今すぐに替えを持ってきましょう」

「そうよ、そうに違いないわ。ラストちゃん、安心してちょうだい。かの【英雄】の血を、現近衛騎士団長を務めるお父様の血を引く貴方に魔力がないなんてことはありえないから」


 執事長が部下に急ぎ替えの魔力計を持って来させる中、フィオナが不安げなライズをあやすように抱き寄せる。


「お待たせしました。この失態、執事長である私の責任でございます。処罰はいかようにも……」

「そんなことは良いから、早くラストちゃんの魔力を測り直しましょう! 貴方の進退なぞどうでもよろしい! 今日はこの子の記念日なのですからね!」


 差し出された新たな魔力計を箱の中からひったくるように取り上げた彼女は、それを息子の手の中にそっと握らせた。


「さぁ、もう一度測りましょう。今度こそは針も動くはず……」


 だが、それでも針は動かない。

 ラストの手の中の魔力計は、秒針一つたりとも刻む素振りを見せなかった。

 恐ろしいほどの静寂が、空間を支配していく。

 この儀式を見守る全ての人間が、この不安と恐れがないまぜになった空気に身動きが取れずにいる。


「……あの、これは……?」


 それを破ったのは、儀式の中心にいたラストだった。

 彼は恐る恐る、己の父親を見上げる。

 視界に収めた彼の顔は、今まで息子に見せたことのない無表情だった。

 厳しくも息子に確かな愛を注いでいた父は、稽古の時には鋭い眼差しでラストを叱咤しつつも、何らかの成果を見せた際には頬を緩ませながら必ずそっと頭を撫でていた。

 しかし、それらのどれともつかぬ氷の如き視線に射抜かれて、ラストはびくりと身体が心臓まで硬直したかのように錯覚させられた。


「……もう良い。ラストは魔力がない、そういうことであるな?」

「そんな馬鹿なことがありますか!」


 ライズの言葉をきっかけに、静かだった部屋の中が突如騒がしくなる。

 壁際にいた使用人たちが騒めく中、フィオナがライズが握りしめたままの魔力計を取り上げて執事長に押し付けた。


「よく見るのです! ライズちゃんに魔力がないなんて、そんな、馬鹿なことがあるわけがないでしょう! 執事長、その魔力計もきっと壊れているに違いないわ! 早く他のものを持ってきなさい!」

「いえ、奥様。よく見れば針がほんの僅かですが、動いているようにも見えます。本当に僅か、0.1秒にも満たぬほどの振れ幅ではございますが……」

「そんなゴミのような魔力など、ないも同然であろうが! 使用人風情がたわけたことを抜かすなァ!」


 ライズの爆発的な声が、部屋全体どころか屋敷そのものを震わせる。

 風魔法の小規模爆発に近いほどの衝撃が、思わず執事長の身に着けていた単眼鏡モノクルを吹き飛ばした。

 彼の生まれ持った膨大な魔力の一部が、感情のあまり声に乗せられて拡散したのだ。

 常人には不可能な芸当が一挙一動に伴うライズ。それに比べればなるほど確かに、ラストの魔力など塵芥に等しいものに相違なかった。


「このような者が我ら【英雄】の一族であるなどと、どうして認められようか。ああ、偉大なるご先祖様に顔が立たぬ。これはもはや血族の恥晒しよ」

「あなた……そんなことをこの子の前で言うなんて……」


 豹変した夫にそっと手を伸ばそうとしたフィオナ。

 だが、ライズはその手をばしりと払いのけた。


「ふん。事実だろうが。それを口にしたところで、何が悪いというのだ? むしろ、このような息子を生んだお前にも責任を問わねばなるまい」

「なんですって?」

「我が英雄の子種から魔法の素質のない子供など生まれるわけがない。とすれば問題があるのはただ一つ、これを孕んだお前が別の男と不義を交わしていたのではないか?」

「なっ、なんてことを!?」


 妻として最大の侮辱を受けて、フィオナが激昂する。


「私が不倫なんてするわけがないでしょう!」

「どうだかな。女は男に隠れて何かをするのが得意だという。密偵のような薄汚れた仕事も、男より女の方が良くこなす。産んだのはお前だ、お前がこれを息子だと言い張るのなら、これはお前の罪だとも。それともこの私の身体に欠点があるとでもいうのかっ!」


 言い争う二人の魔力の余波がそこら中に襲い掛かる。

 シャンデリアはじゃらじゃらと踊るように揺れ、石でできた外壁がぎしぎしと軋む。

 その様子に慌てて使用人たちが我先にと部屋の出口へと駆け出していく中、当事者であるラストは腰を抜かせてへたり込んでいた。

 目の前で繰り広げられる両親の汚い言葉の応酬に、彼は涙すら浮かべていた。

 この儀式が始まるまではこの世の至上とも呼べる幸福に満たされていたはずが、どうしてこうなったのか。 

 わけが分からないまま、ただ彼は両親に落ち着いてもらおうと震える脚で近づいた。


「とうさま、かあさま。落ち着いて――」


 だが、彼はその声かけが更に火に油を注ぐものであるとは気づいていなかった。

 いくら勉学に秀でていても、わずか七歳の彼にはこのような場での正確な対応など分かるはずもない。


「やかましい! 全ては貴様が原因だというのに、何をそう呑気な顔をしている!」


 獅子の吠えるような声を間近で受けて、ラストは部屋の隅へと吹き飛ばされる。

 バンッ、と背中を打った彼が絨毯の上に苦悶の表情で倒れるのも気にせず、二人は彼に対して責任を転嫁するように心無い言葉を浴びせかけた。


「貴様が魔力を、最低限でも持ち合わせていればっ! このようなことにはならなかったというに! 私達に頭を下げて謝罪すべきであろう! それをこともあろうに――とうさま、などとふざけた呼び方をするなっ! 貴様など息子でもなんでもないわ!」


 冷徹を越えて非情な声で縁切りを告げた父の言葉を受けて、ラストは助けを求めてフィオナへと顔を向けた。

 しかし彼女もまたライズに産んだ者としての責任を問われ、その上【英雄】一族に嫁いだことによる生活を手放したくなく、半ばパニック状態になりながら、ラストを氷の槍のような声で突き放した。


「そうよ! あんたみたいな出来損ないが私の息子なわけがない――きっとこれは何かの間違い――そう! 私は悪くないの! 悪いのは全部あんたなの!」


 きっと、通常の魔法使いの家庭であればこのようなことにはならなかっただろう。

 だが、長年と【英雄】の看板を背負ってきた一族の者としての重荷に等しい責任感が、今の彼らから一時的に理性を失わせていた。

 そしてそのしわ寄せは全て、責任を他に寄せて逃げられない者、すなわちこの場における唯一の弱者であるラストへと向けられた。


「貴様のような者が一族に出たと知れ渡ったらどうなるか! 英雄の一族に一点の穢れあり、と世の笑いものだ!」

「そんな、笑われるなんて! それも私の関わりのない子供のせいで社交界で嘲笑われるなんて嫌!」


 いっそ聞く側がおぞましく感じるほどの絶叫を上げて、二人は周囲に止める者もいないまま、彼らだけで話を進めていく。


「あ、あぅ……」


 大の大人であれば気絶しそうなほどの衝撃を罵声と共に何度も叩きつけられて、ラストが呻く。

 しかし、彼らはそんな息子だったものを一顧だにしない。


「単に縁を切るだけでは収まらぬ。ラストこれはもはや我が一族の最大の汚点と言っても過言ではない。姿かたちを残しておけば、厄介ごとを招きかねん。周囲には病死とするほかなかろう」

「しかし、子どもを【英雄】の一族が直接手にかけた、となるとこれまた醜聞の種となるわ。だったら誰にも分からないような場所に捨ててくるというのはどうかしら?」

「うむ、それがよかろう。並大抵の者の眼につかぬ場……となれば、かつての魔王の統治領域が良かろう。その中でも最大の樹海、【深淵樹海アビッサル】であれば容易に立ち入れまい。あそこは今、特殊禁忌領域として厳重に封鎖されているはずだからな。魔族でさえ容易に足を踏み入れんはずだ」


 話がまとまった途端、二人の眼がぎろりとラストを睨みつける。

 血走った瞳、限界までひきつったまなじりはどう見ても正気の沙汰のものではない。

 だが、ここにいるのは狂気に満ちた彼らのみ。

 狂気を狂気と断ずる者がいない限り、狂気は正気として働き続ける。


「飛竜の準備をさせろ! ただちに魔の領域へと向かう! それと先ほどの一部始終を見ていた使用人どもには緘口令を敷いておけ! この事柄に関する言葉を一文字でも外部に漏らせば、その時点で打ち首だと言いつけておけ!」

「わ、分かったわあなた!」


 再び産みの親としての責任を問われてはたまったものでないと、フィオナはドレスの裾を持ち上げて器用に硝子のハイヒールで駆けていく。

 その背を見て鼻息を一つ鳴らし、ライズは息を荒くしながら自分を見上げる元息子のことを見やった。


「ふん!」


 この期に及んでその眼が自分に助けを求めているのが気に食わず、彼は倒れているラストの腹に最低限の手加減を施した蹴りを入れた。


「ごほっ!」


 死にはしない、それでも内臓が破裂しかねないほどの衝撃を受けてラストは気絶した。

 彼が薄くぼやけていく視界の中で最後に見たものは、視覚化した天にも立ち昇る勢いの悪鬼の如きライズの魔力のオーラだった。



 ■■■



「――ひうっ! はぁ、はぁ、はぁ……」


 森の脅威から目を逸らそうとして瞼を閉じても、その度にラストを睨みつける両親の恐ろしい形相が浮かび上がる。

 否応なしに彼は現実を直視せざるを得ないが、騎竜による運搬の直前に身ぐるみを全て――文字通り下着さえも剥がされた彼になにが出来ようか。

 放り出された場所は熟練の武芸者でさえ手も足も出ない厳しい環境だ。

 子供が頼ることのできる最後の砦であるはずの両親は今や彼の敵へとなり果て、手の届かない遠くへ消え失せた。


「くぅっ……ひぐぅっ……」


 残念なことにラストの未熟な心は、未だこの現状を理解できずにいた――否。

 戦況を瞬時に把握する技能を叩き込まれていた彼の頭は、冷静に今の状況が自分にとって非常に危険な物であることを把握していた。

 だが、両親の心無い言葉で罅割れた今の彼の精神は、それを受け止めて先のために行動することを体に命じられなかった。

 ただただ自分の安寧を得るために、殻に閉じこもるように膝を抱え、巨木の根元に出来たうろに蹲る。

 ――これが【勇気ブレイブス】の名を剥奪された彼の、落ちこぼれドロップのラストとしての情けない始まりだった。

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