第9話

 空は遠く、山の中は暗く。

 口中に乾いた血の味がする。

 ツルハシと土砂を掻き出す奴隷たちの視線が、今は俺に集中していた。

 商品価値が下がるからとかけられる温情は、40になり『不良品』になっていった俺にはそそがれなかった。

 男達の腕が立ち上がるようにと俺の脇に差し込まれた。

 だが、立ち上がる力もなく俺が死にかけていると分かって、やがて支える腕や声がしなくなった。


 もう、嫌だ。くそったれ。


 全てが白く黒く消えゆく中で、俺はそう思った。


 「何者にもなれなかった貴方…。」


 そんな声がしてから暫くして、俺は暗い洞窟を抜け大きな産声を上げた。


 そこで、俺の夢はぷっつりと消えた。




 起きて、また前世の夢を見た俺は、コーヒーを啜りながらカフェインにまかせて思考した。

 怠惰の罰で落ちた血の池地獄の暖かさは、きっとぞっとするほど人肌だ。

 段々と熱くなって、逃げたい頃には手足が煮えて動けなくなっていく。

 そんな中にあっても前世の夢は動揺を隠しきれない。


 ニートは段々と危機感が薄れていく。ニートするのに安寧などないのに、その自覚もなくなる。


 ある者は無感動になるから刺激に飢えていき、ネットの狭く毒の強いコンテンツを求めて、過剰に情報を摂取し、その結果自己洗脳していき先鋭化していく。

 政治や思想の偏った人々が無職だったりするのは、小人閑居して不善をなすといった所か。

 ちなみに、俺にそこまでの思想信条はない。


 俺は脳を無駄に回転させながら、逃げ回ったときにアイに触れた左腕を見た。

 あいつら、一体何者なのか。


「なぁ。」

 俺は後ろを向いているチカとアイに声をかけた。

「なぁって。」

「何よ。」

 チカが面倒臭そうに応じる。

「俺が死ぬ前の夢とか出てきたんだが、やっぱり前世とかあるのだよな?」

「一ヶ月前に食べた料理さえ忘れてる人間が、自分の前世を思い出すとか片腹痛い。」

「いや、前世思い出す前提がないと、異世界に転生しても何も思い出すことなく一生を終えることにならないか?」

「くたばる気になったの?」

 今度はアイが振り向いた。

「いや、俺が老衰で亡くなった後の話がしたくて。」

 即座にアイの目が曇る。

「そこまで幸福に生きられると思うな駄目無職。やっぱり手を下さないといけないわ。」

 アイは手に千切れた配線の様なものを持っていた。


「今度は、触れていいのよ?」


「感電死を誘わないで下さいやめてそれバチバチいってる。」

「ささ、遠慮しないで、雷に打たれたことにしとくから☆」

「アフターサービスばっちりみたいな声出さないで。いやだ、死にたくない。」

 俺は火花散る殺人妖精の魔の手から部屋中逃げ回った。


「チカ!回り込んで!」

「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない…」

「ゴキブリみたいに逃げるな!この!この!」

 ノートPCを避け、アイと同じく千切れた配線を手に接近してくるチカをくぐり、避けられない所まで飛んできたアイの頭を再び掴んだ。


 硬い!


 鉄の様な感触に俺の右手が驚きながら、そのままあらぬ方向に投げた。

 壁にぶつからずホバリングしたアイが涙目になる。

「乙女の大事な頭に一度ならず二度までも。絶対ぶっ殺す!」

 本気モードのチカとアイが配線を手に滑空する。

 俺は、ドブネズミよりも鋭く、ミミズの様に地を這い、ハエのように宙へと身体を投げ出した。

「速い、汚い、格好悪い!」

「生きてる間は褒め言葉だ!死んでたまるかよ!」

 短期間だけ質量を伴う残像となった俺は、40のスタミナ切れで次第に身体が動かなくなってきた。



 前世というものがあるのだとしたら、俺は確かにチートな事柄を手に入れた。


 次を生きればならないのならば、戦争のない国で奴隷でなく産まれ、餓死することなく生きたい。


 切実な夢は叶ったが、そこから先の努力が足りていない。


「死ぬとか嫌なんじゃああ!」

 出された配線を身をクネクネさせて避けながら、俺は声を上げた。

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