第5話 生きていい理由

 思えば高校生の頃から、両親の喧嘩は絶えなかった。父が女性の影をチラつかせたことをきっかけに、出張や単身赴任から帰ってくる度に母は父の不倫を疑うようになった。温厚な母はヒステリックになり、父は母に責められる腹いせに私や弟に厳しく当たるようになった。幼少期の記憶にあった優しい父の面影は、悲しいことにその頃にはどこを探しても見当たらなくなっていた。

 

 中学三年生の夏、何を思ったかは自分でもわからないが、学校の先生達に哲学的な質問を投げかけて回ったことがある。


 「どうして人は生きているんですか?」

 

 家族のため、子孫繁栄のため、与えられた生を全うするため……先生達は色んな答えをくれた。悩める思春期の子どもの唐突な質問に、どの先生も嫌な顔せず答えてくれただけ幸いだったけれど、なぜか当時の私が納得できた答えはそこに存在しなかった。

 

 その理由がわかったのは、大学受験を失敗したときだった。昔から本番に弱くて、試験当日無駄に緊張しすぎて十分に実力を発揮できず、志望していた大学に落ちてしまった。

 受験結果が分かった直後、父は鬼のような形相で激怒しながら私に言い放った。

 「お前みたいなクズは、進学より働けばよかったんだ。余計な手間も金もかけさせやがって、この親不孝者!」

 昔から成績のことに厳しい父ではあったけど、こんなに怒り狂った姿は生まれて初めて見た。あまりにもショックで、そのときのことは今でもきつく脳裏に焼きついている。

 

 もしかしたら、当時の父の言葉を真に受けて、私はずっと無意識に自分の存在価値を否定し続けてきたのかもしれない。中学生のときにも、同じような心理状態に陥った時期があったのかもしれない。

 

 私があのとき本当に知りたかったのは、人が生きている理由ではなくて、私自身が生きていていい理由だったんじゃないだろうか。存在価値のない自分でも生きていくことが許される。そんな言葉を、本当はあのとき求めていたような気がする。

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