第27話 何度やったって嫌なもんは嫌だ

「ずああ……」

 我ながら、変な呻き声。

 目が覚めてしまった。

 朝が来てしまった。

 闇ハントの日の朝は、いつも憂鬱だ。

 ああ、行きたくねえ。

 確かにこの仕事を受けると決めたのは自分なんだけどさ。

 毎回、その時の自分の決断を恨む。

 いや、分かってるよ。この仕事の報酬はでかい。

 この金があるとないとじゃ、これからの生活が全然違う。せっかく森井さんが回してくれたコスパのいい仕事だ。断る手なんてない。

 それは分かってるんだ。

 でもさ。同じ金額なら普通のモブ仕事をこつこつと五回やったっていいんじゃねえか……?

 ねえ。無理に闇堕ちハントなんかしなくたってさ。

 今からでも遅くないから、森井さんに連絡して、朝起きたら熱が39度あるとかって言うんだ。そうすればさすがに森井さんも来いとは言わないだろう。

 片腕が折れてて熱が39度あるやつとか、マジで使い道ねえよ。

 闇堕ちハントなんていう重要な仕事に穴を開けちまったら、次から回してもらう仕事が減るかもしれない。そういう心配はある。でももしかしたら、別に減らないかもしれない。それはさ、蓋を開けてみなきゃ分からないじゃん。

 それよりも今、はっきりと分かってるのは、俺がこのまま仕事に行ったら絶対に後味の悪い思いをするってことだ。

 連れて行かれるときのタダシの歪んだ顔がまた思い出される。

 ああ、休もうかな。ほんとに。

 そんなことをぐじぐじと考えながらも、身体は勝手に朝のルーチンを片付けていく。

 シャツを着替えて、髪を濡らして、髭を剃って。

 左腕だけでこういう作業をこなすのに、最初はえらく手間取ったが、人間ってあっという間に慣れるんだな。昨日よりも今日。今日よりも明日。いや、こんなことで成長を実感したってしょうがないんだけどさ。俺は片腕の作業にどんどん精通し、おかげさまで今日も無意識のうちにてきぱきと俺が出来上がっていく。

 ……本当は分かってるんだ。

 鏡の中の少し疲れた顔のモブと目が合う。

 そうさ。結局のところ、俺には仕事をばっくれる度胸なんかない。

 いやだいやだって思いながら、俺はこれからカネのために闇堕ちハントをするんだ。

 森井さんの手足になって、闇堕ち試薬のシールを貼るんだ。

 だって、カネがいいんだぜ?

 金のある連中にとっては、はした金に過ぎないだろうけど、今の俺にとっては喉から手が出るほどほしい金額だ。

 主義も主張もなく、カネのために嫌な仕事をこなす。

 そんなところまでモブらしく小市民的なのだ。

 認めろ。俺はモブだ。

 そんな自分への呼びかけも、一種の暗示のようなものか。

 家を出る頃には、俺はもうどこからどう見ても何の変哲もない立派なモブの顔をしていた。



 大きなオフィスビル。

 普段の俺には、とんと縁のない建物だ。

 豪華なエレベーターホールに、軽やかな音を立てて何台ものエレベーターが到着し、そのたびにきちっとした身なりの男女が乗ったり下りたりする。

 用もなく来る場所じゃない。誰も彼も行く場所がはっきりしているようで、よそ見もせずに慣れた足取りでエレベーターに乗り込んでいく。

 そのホールの隅っこに俺たちは所在なく突っ立っていた。

 現実着げんじつぎ

 闇堕ちハントの通常装備であるこのくすんだ灰色の作業着が、今はひどく場違いな感じだった。

 このビルで働く人たちは、出入りの業者か何かを見るような目で俺たちを見る。

 今日は何かのメンテナンスでもあるんだろう、くらいの感じだ。俺たちが気まずく思うほどには、気にも留めていない。

 まあ出入りの業者という意味では間違っていないのかもしれない。今日はこのビルを舞台にした物語世界で仕事をすることになるんだろうから。

 ……それにしても、森井さん遅いな。

 俺たちは手持ち無沙汰で、森井さんの到着を待った。

 前回のメンバーは全員男だったが、今回は男と女が半々だ。

 男は俺ともう一人、いかにもモブらしい顔をした年上のおっさん。明日にはもう顔を忘れてそうな特徴のない顔をしている。

「あんたとは二度目だな」

 突然おっさんにそう声を掛けられた。

「は?」

「この前のハント、あんたもいただろ」

 そう言われて、このおっさんがどうやら前回のタダシのハントの時にいたおっさんのようだということにやっと気づく。

 まじか。

 名前は確か。

「ああ、ええっと、H川さんでしたっけ」

「そうだよ。あんたはB介っていったか」

「はい」

 正解だった。

 前回の、なんだかやたらとハントに慣れたおっさんだ。

 そういえば前回も、このおっさん特徴がなさ過ぎて次に会っても絶対に分かんねえって思ったんだった。

 まさにその通り。分かんなかった。

 モブ顔を極めたみたいなおっさんだぜ、ほんとに。

 おっさんは俺のギプスを見た。

「腕、どうしたんだ」

「ああ、これはちょっと」

 俺はいつものように答える。

「子供を助けようとして三階から落ちました」

 へっ、とH川が笑った。

「そりゃ大変だったな」

 信じていないやつの口ぶりだった。

 まあ、おっさんの気持ちは分かる。

 骨折してからこっち、いろんなやつにその腕はどうした、と聞かれてきたけど、俺の答えをそのまま信じてくれたやつは誰もいなかった。

 子供を助けようとして、名誉の負傷。

 なんだ、そりゃ。

 これほどモブにふさわしくない怪我の理由があるだろうか。

 俺だってD郎あたりが怪我してて、その理由を聞いたら「命懸けで子供を助けたんだよ」なんて言われた日にゃ、半笑いで「あ、そっすか」って答えるもんな。

 だからまあいいんだ。怪我の理由なんて大したことじゃない。

 俺と梨夏ちゃんとA太が知ってる。それで十分だ。

 今日のメンバーは、H川のおっさんのほかに女が二人いた。

 H川と同じくらいの年のおばさんと、俺より少し年下くらいの女の子。どっちも俺たち同様のモブ顔だ。美人でもないし、ブスでもない。取り立てて目を引くもののない二人。

 今まで、闇堕ちハントのメンバーに女性がいたことはなかった。

「珍しいっすね」

 俺はH川に言った。

「女の人が闇堕ちハントに来るだなんて」

「え?」

 H川は眉をひそめる。

「だってそりゃあ」

 おっさんがそう言いかけたとき、森井さんがやってきた。

「お待たせ。鍵を借りるのにちょっと時間がかかってね」

 いつも通りの淡々とした口調でそう言うと、森井さんは俺たち四人を見て頷く。

「全員揃ってるね。じゃあ行こうか」

 森井さんは次に開いたエレベーターの中にさっさと乗り込む。俺たちも慌てて森井さんの後に続いた。

 森井さんが「20」のボタンを押す。

 20階か。

 俺はエレベーターの壁をぐるりと見たが、普段よく行く雑居ビルのように何階に何が入っているなんて案内表示はなかった。

 そうこうしているうちにあっという間に20階に着いて、俺たちはエレベーターから吐き出された。

「こっちだよ」

 森井さんはフロアの廊下をずんずんと歩き、「第三会議室」と書かれた部屋のドアを鍵で開けた。

 小さめの会議室だった。俺たち五人が入ると、それでちょうどいいくらいの広さだ。

 なんとなく、会議室っていうのはもっと大きいイメージがあった。

 俺は会議室で会議をするような仕事に就いたことがないから、勝手なイメージだけだけど。

「ここで時間まで待機させてもらうから」

 森井さんは言った。

 どうやら、会社のほうでこの会議室を押さえていたらしい。

 さすがに森井さんはそのあたり、手抜かりがない。

「あと三十分くらいあるから、その間に今回の説明をしておくよ」

 森井さんはそう言って、椅子の一つに腰を下ろす。

「みんなも座って」

 言われるままに、俺たちも椅子に座る。

 うわ、すげえふかふかしてる。こんな気持ちいい椅子に座って会議なんてできるのかよ。俺、すぐに眠くなっちまうぜ。

 そんな浮ついた考えは、森井さんの次の一言ですぐに消えた。

「メンバーを見てもらえばわかると思うけど、今回の対象者は女性だ」

 ……え?




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