第21話 たまにはいつもと違う場所で
「おあー、久しぶりだな、こういうところに来るの」
トレードマークのジャラジャラとチェーンの付いた長財布をズボンの尻ポケットに突っ込んだA太が、大きな吹き抜けから上を見上げて遠慮のない声を張り上げた。
「ほんと、おしゃれな店がいっぱい並んでんなあ」
そう言って下品に笑う。
「こういう店、行くことねえー」
「そうだな、俺たちには用のねえ店ばっかり」
A太に負けず劣らず品のない恰好をした俺もそう答えて、ひひひと笑った。
ここは郊外に最近できたばかりの大きなショッピングモールだ。
四階建てで、ど真ん中が大きな吹き抜けになった開放感のあるおしゃれな造り。吹き抜けの天井からは、シャンデリアとか幟とかと一緒によく分からないオブジェなんかも吊り下げられている。
「まあでも、たまにはこういうところに来るのも悪くねえよな」
いるところもないので、俺たちは三階のエスカレーターの脇の地べたに腰を下ろした。
地べたっていっても、結構ふかふかした絨毯が敷いてある。座っててもケツが冷たくならない。ヤカラに優しいつくりをしている。
「そうだなー、いつもここだったら困るけどな」
A太はスマホを眺めながら言った。
「金がかかってしょうがねえ」
目の前を通り過ぎていくのは、休日の家族連れやカップルがほとんどだ。たまに女性だけのグループもいるが、男だけのグループはほとんど見ない。
そんな似合わないところに俺たちが何でいるのかといえば、もちろんそれはモブの仕事のためだ。
郊外のショッピングモールで初デートをする初々しいカップル。
ウィンドウショッピングをしているときに彼女がたまたま「あ、これ素敵」と言ったバッグだかアクセサリーだかを、彼氏がサプライズでプレゼントしてあげようとこっそり買いに走る。
わけも分からず待たされていた彼女に忍び寄る、ナンパモブの魔の手…!
というようなシチュエーションらしい。
いや、作者さん。ある程度のナンパ経験(仕事だけど)を積んだ者として言わせてもらいますけどね。
さすがにここでナンパするのはきついですわ。
もちろん、一人で来てる女の子もいるけどねえ。ここでナンパして、成功したとしてこの後どこ行くのよ。普通の高いレストランかフードコートしかないじゃん。
などと思いはするのだが、まあそんな野暮なことは口には出さない。
その程度のリアリティなんてのは、物語にぐいぐいと引っ張る力があれば目を瞑られるものなのだ。
だからこそ、ここでのナンパの挙動はさらっと、目立たず尖らないスタイルでいかなければならないだろう。
下手な動きをして、俺やA太個人に読者の興味が少しでも向いてしまったら、読者は「あれ? こいつら何でわざわざこんなところまで来てナンパしてるんだろう」「そもそもこいつらってショッピングモールにナンパしに来てんの? ウケる」みたいに余計なことを考え始める。
それは、物語を楽しむうえではノイズだ。
「たまたま男二人で遊びに来たら、すげえ可愛い女の子が一人でいたから、これはチャンスだと思って声を掛けてみた」
それでもちょっと苦しいが、こういう感じでいこう。
もともとナンパモブなんて、合理性があったらやってられないことをやっているモブなのだ。
「まあ、あれだな」
うんこ座りでスマホを見ながら、A太が言った。
「このモールを拠点にナンパしまくってる二人って感じでいいよな」
「え?」
珍しく、A太と意見の相違があった。
「いやいや、違うだろ」
床にどっかりと胡坐をかいて、俺は首を振る。
「俺たちはたまたますげえ可愛い女の子を見付けて声かけるんだよ。その方が自然だろ」
「ええ?」
A太がスマホから顔を上げる。
「それなら俺たち、何しにこんなところに男二人で来てるんだよ」
「そりゃお前」
俺はここに来るまでに眺めてきたおしゃれな店の数々を思い出す。
半分以上、店の名前も読めなかった。
普段通ってる青いペンギンがトレードマークの量販店だったら、このスペースにあと百倍くらい商品積むだろうな、とか思って見ていた。
「たまたまだよ。たまたま遊びに来たんだろ」
「たまたま、たまたまって」
A太が鼻を鳴らす。
「お前は初めて木星に着いた人類か」
「うるせえな。こんなところを拠点にナンパするっていう方がありえねえだろ」
「いや。こういうところに来るのはおしゃれで割と金のある女だ。そういう女を専門にナンパするモブっていう設定だ」
「だったらこの格好はねえだろ」
俺は自分たちの服を指差す。どう考えても、おしゃれで割と金のある女とやらを狙う服装ではない。
じゃあどんな女を狙う服装なのか、と聞かれても困るのだが。
どっちみち成功しないことを前提にやっているナンパだから。
「うーん、そうしたらあれだ」
A太が頭をがしがしと掻く。
「ここに買いたいものがあったことにするか」
「買いたいもの、なあ」
その言葉にふと、さっき店で見かけたバッグを思い出す。
この前、梨夏ちゃんが持っていた黒いバッグは、底の縁が擦れて白っぽい地が出かかっていた。
都会で働き始めて、だんだんとおしゃれもし始めた。でも、そういうところにまだ垢抜けなさも残っている。
梨夏ちゃんのそんな感じが好きだった。
白地に、鮮やかな緑の持ち手が付いたバッグ。新緑を思わせるその色が、梨夏ちゃんの名前の「夏」にぴったりだった。
こんなの梨夏ちゃんが持ってたら似合うよな、などと思って覗き込んだ値札に絶句して、俺は慌ててその場を離れたんだった。
あれをプレゼントするには、俺はあと何回ナンパを失敗すりゃいいんだろうな。
そんなことを考えて、ここでナンパすることなんかよりもよっぽどそっちの方がリアリティがないことに気付いて苦笑する。
俺たちの目の前を家族連れが通り過ぎていく。
まだ若い父親と母親。母親は小さな赤ちゃんを抱いている。
それから、幼稚園生くらいの男の子。
まだ4、5才だろうか。きょろきょろと周囲を見回しながら、走ったり止まったり。
「ほら、カナト。気を付けて」
時折親に注意されるが、ほとんど上の空だ。
吹き抜けのオブジェを見上げていて、少し両親から遅れた男の子が走り出す。
と思うと、四階へと上るエスカレーターに目を向けて立ち止まった。
男の子はエスカレーターの前に立って、動く手すりに片手を掛ける。
自分は乗らずに、手だけを上に持っていかれそうになる感覚を楽しんでいるようだった。
ああ、危ねえな。
エスカレーターは遊んじゃいけないって、お父さんお母さんに教わらなかったか?
ほら、ちょうど自動アナウンスで、エスカレータでは危険ですので……っていう放送が流れてるぜ。
そう思ったときだった。
男の子がぐいっと上に引っ張られるようにして、身体ごと手すりに乗っかってしまった。
驚いた顔のまま、バランスを崩して吹き抜けの下へと。
やばい。
勝手に身体が反応していた。
突然すごい勢いで立ち上がった俺に、A太が目を丸くする。
俺はエスカレーターに頭から突っ込むようにして、腕を伸ばした。
届け。
男の子のシャツに、手が引っかかった。
神様、モブに力を。
そのまま、全身の力を込めて放り投げるようにして男の子を床へ。
だがその代わりに、俺の身体は宙に浮いていた。
「B介!」
A太の声。
やっちまった。
仕事前だってのに。
こりゃ全治1時間くらいはいくか?
そう考えたところで、気付く。
あ、これって現実だ。
今、俺はまだ物語の世界に入っていない。
物語の中での負傷なら、骨折だって30分もあれば治るが、今俺は現実に3階から落ちかけている。
やべえ。
背筋がぞっとした。
俺、死ぬかも。
「さつきさん!」
そのとき、そんな声がした。
え?
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