第20話 タダシのこととかユキシマ事件のこととか

 四人がかりでタダシを担ぎ上げる。

 ちょうどその時、教室のドアががらりと開いた。

 二人の生徒が出てくる。

 俺たち灰色のモブとは似ても似つかぬ、きらびやかな雰囲気をまとった二人。

 英美里と幸登。

 邪魔者のいなくなった教室で、彼らの間にどんな会話がなされたのかは、俺たちには分からない。今後知らされることもない。

 ただ、二人はぴったりと寄り添い、幸せそうに笑っていた。

 その姿で分かる。

 物語は、元通りに復旧したんだ。

 そのとき、タダシが身をよじって二人を振り返った。

「幸登。英美里」

 タダシは二人の名を呼んだ。

 けれど、現実着を巻かれたタダシの声は二人には届かない。

「俺は、俺は」

 タダシが二人に何を叫ぼうとしたのかは分からない。

「うるせえよ」

 H川のおっさんが乱暴にその口を押さえ、タダシもそれ以上は叫ばなかったから。



 高校の裏手につけられていたワゴンにタダシを放り込んで搬送担当の職員に引き継ぐと、ようやくほっとした空気が流れた。

「お疲れさん」

 森井さんが静かな口調で言った。

 闇堕ちモブのハントをした後だっていうのに、森井さんの口調はいつもとまるで変わらなかった。

 普通のモブの仕事を終えたときに掛けられる「お疲れさん」と全く一緒の口調だ。

「そこの自販機で、何か飲もうか」

 森井さんはポケットから小銭入れを出しながら、そう言った。

「みんなのおかげで無事に終わった。俺が出すよ」

「いいんですか、やった」

 軽い声をあげたのは一番若いあんちゃんだ。

「ごちになりまーす」

 俺たちはぞろぞろと近くの自販機まで歩いた。

「……あいつ、これからどうなるんですか」

 自販機の隣の駐車場に車座になって缶コーヒーを飲んでいるとき、若いあんちゃんがそう言った。

「矯正施設みたいなところに入れられるんですか」

「身体に闇がだいぶ溜まってたからな」

 森井さんは言った。

「漂白は必須だろう。その後はもうモブはできないから、それ以外の別の仕事に就くんだろうな」

「そうすか」

 あんちゃんは顎だけでこくこくと頷いてコーヒーをすする。

「やばいっすね、闇堕ち。実物初めて見ましたけど」

「J山くん、闇って何だか分かるかい」

 森井さんが若いあんちゃんにそう尋ねた。

「えっ。えっと、あれですよね。何か身体に溜まった悪いもの。老廃物みたいな」

 あんちゃんはJ山と呼ばれているらしい。要領を得ない答えを返した。

「まあ、それでも完全に間違いじゃないけどね」

 森井さんは苦笑する。

 その柔和な笑顔からは、さっきタダシに向けた冷たい表情をするような人にはとても見えない。

「闇っていうのは、物語に絡むことで生まれるその物語への執着みたいなものだよね。この物語で活躍したい、出番が欲しい、展開に絡みたいっていう執着」

 森井さんの解説に、俺はなんだか居心地の悪さを感じる。

「作者さんの作り出したキャラクターであるヒーローやヒロインは、その執着を糧にしてどんどん魅力的になっていけるんだけど、外部からの派遣であるモブには執着を物語で昇華する力はないんだ。モブの執着は物語を捻じ曲げる方向に働いてしまう。だから名前をもらうようなモブは、その物語に必要以上に執着しないように、特に自己管理をしっかりしないといけない」

「……なるほど」

 J山は神妙な顔で頷く。

「やっぱり俺らモブだから、物語に執着しちゃだめってことですね」

「そうだね。でも悪いことばかりじゃないよ」

 優しい顔で森井さんは言う。

「物語のヒーローやヒロインは自分たちの物語への執着を力にできる分、別の物語に出ることはできない。でもモブは一つの物語に執着はできないけど、どんな物語にも顔を出すことができる」

「確かに」

 J山は少し明るい顔をした。

「自分の物語がない分、自由自在ってことですね」

「その通り」

 森井さんは頷く。

「主人公たちもモブも、立場は違うけど物語を支える仲間だからね。決してどっちが上とか下とかじゃないんだ」

 森井さんの言葉に、若いJ山は頷いていたけど、俺は「森井さん、ちょっとそれは言い過ぎじゃねえの」なんて思っていた。

 主人公とモブ、どっちが上も下もない。まあ理屈の上ではそうかもしれない。天は人の上に人を作らずっていうしね。

 だけど現実に、人間にはやっぱり上下関係があるし、主人公たちとモブとどっちが上かと聞かれたら、普通の人はみんな主人公って答えるだろう。

「そう、森井さんの言う通り、俺たちモブは一つの物語に執着しちゃいけねえのさ」

 H川のおっさんが言った。

「さっきのタダシなんて可愛いもんだ。本当にひでえ闇堕ちってのはあんなもんじゃない。俺はまだユキシマ事件のことを覚えてるよ」

 ユキシマ事件。

 その言葉に、J山以外の全員が顔をこわばらせる。

「何でしたっけ、ユキシマ事件って」

 一人、J山だけがとぼけた表情で尋ねた。

「何か聞いたことある気がしますけど」

「深度4」

 H川のおっさんが言った。

「現実世界系の中じゃ最悪の闇堕ちモブだよ、ユキシマってのは」

「物語が、少なくとも三つ」

 森井さんが指を三本立てる。

「ユキシマに壊された」

「三つ?」

 J山もさすがに表情を変える。

「ど、どういうことですか」

「粗暴系モブだったユキシマは、いつの間にか陰で力をつけて、主要キャラでも敵わないくらいの戦闘力を持った闇堕ちモブに成長していたんだ。ヒーローもライバルも、みんなユキシマに倒された。力づくでヒロインをさらったユキシマは、ハーレムを作るためにほかの物語に遠征を仕掛けた」

「遠征って」

 J山が目を丸くした。

「やってることめちゃくちゃじゃないですか」

「めちゃくちゃだよ、だから闇落ちなんだ」

 森井さんは変わらない口調で答える。

「物語を完全に支配する力を持ったユキシマは、モブとしての力をも生かしてほかの物語世界に入り込んだんだ。完全に支配した物語は三つだが、ほかにもユキシマに荒らされて筆を折った作者さんも多かったと聞く」

「うわ、最悪だ」

「最後は、死んだんでしたっけ」

 I野がそう口を挟んできた。

「ユキシマは。結構悲惨な死に方をしたって」

「ああ。死んだ」

 森井さんは答えた。

「大手の編成した討伐隊に追い詰められて、自分の支配する三つの世界に同時に存在しようとしたユキシマは、身体が耐えきれずにばらばらになって死んだと聞いてるよ」

「うへえ」

「あの頃は、闇堕ちモブが多かった」

 H川のおっさんが思い出すように言った。

「ユキシマのせいで、みんな俺もできるんじゃないかって夢を見たんだ」

「ええ。だから、エタる物語も今よりはるかに多かった」

 森井さんが頷く。

「モブがちゃんと仕事しなきゃ、どんな物語も進まない」

 森井さんの言葉を聞きながら、俺はコーヒーを飲み干した。

 何だかひどく苦かった。

 自負と自尊で歪んだタダシの顔を思い出す。


 明日は我が身。


 またそんなことを考えた。

 分不相応の夢は見ない。

 俺たちはモブだ。




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