第11話 寺井君はいつもテンパっていて

 ズボンのポケットに突っ込んでいたスマホが、ぶるりと震えた。

 メールだろうと思っていたら、振動がいつになっても止まない。

 なんだ、電話かよ。

 取り出して画面を見ると、「会社」の表示。

 なんだ?

 仕事ならアプリを通して送ってくるはずなのに、電話って。

 何かあったのか。

「……もしもし」

「あー、よかったぁ!」

 電話の向こうから、男にしては高い、早口の声が聞こえてきた。

「出てくれてよかったです、B介さん! ありがとうございます!」

「……寺井君かよ。どうしたの」

 今日の当直は寺井君だったようだ。

 この電話、悪い予感しかしない。

「また急な仕事が入っちゃったんです」

 案の定、寺井君は哀れっぽい声を出した。

「B介さん、お願いできませんか」

「別にいいけどさ」

 ため息混じりに答える。

「何で直電なの。アプリはどうしたの」

「アプリは六時から九時まで臨時メンテですぅ」

 寺井君は情けない声を出す。

「そういうときに限って、いきなり飛び込みの仕事が三件も入ったんですよ、三件も! アプリが使えないから、いちいちモブの人一人ひとり、電話で探してるんですよ!」

 おう。今日も盛大にテンパってるな。

 試しにスマホを耳から離してアプリを起動してみると、確かにマイページに飛ばない。

 うちの会社のマスコットキャラクターの、社員からも顧客からも評判の悪いモビー星人が、首だけでアイソレーションをしながらにやにやと笑って「め・ん・て・な・ん・す」とか言ってるしょうもない画像が繰り返し流れるだけだ。

 ただでさえ嫌われてるのに、アプリ開いてこんな画像見せられたらモビー星人の人気は地に墜ちるんじゃねえのかな、などと余計な心配をしながら、アプリを閉じる。

 スマホを耳に付けると、寺井君がまだわーわーと泣き言を言っていた。

「社からの緊急の電話にも可能な限り対応するっていうのは契約にも書いてあるわけじゃないですか。B介さんとかA太さんみたいにちゃんと出てくれる人もいますけど、F男さんとかG美さんなんて一回も出てくれたことないんですよ。留守電残しても、反応すらないんですよ。それってどうなんですかね、社会人として。事務所にきたときは偉い人にだけは愛想ふりまく癖に、全然仕事してくれないんですよ。そうしたら結局、まじめに受けてくれた人だけが苦労することになるじゃないですか。そりゃお金はその分もらえますけど、皆さんプライベートの時間を削ってるわけでしょう。確かにそういう職種ではありますけど、負担はみんなができるだけ平等に」

「まあ待て、寺井君」

 入社二年目にして直面した社会の矛盾に憤っている寺井君のマシンガンのような義憤を、冷静に押し留める。

「気持ちは分かるよ。その話はまた今度、忘年会の時にでもじっくり聞いてやるからさ」

「忘年会って」

 寺井君は声を裏返らせる。

「何か月後の話ですか」

「まずは仕事を片付けようや」

 夜の闇の底でネオンの光を放つ街を見下ろしながら、俺は言った。

「相手をあんまり待たせたら、物語の展開に支障が出る。それはモブが絶対にやっちゃいけないことだ。そうだろ?」

 高台に、びゅう、と風が吹くとその音が寺井君にも聞こえたようだった。

「風の強いところにいるんですね、B介さん」

 寺井君は遠慮がちに言った。

「周りも静かだし、もしかして、もう家の近くですか」

「大丈夫だよ、まだ街にいるから」

 俺は答える。

「それで、仕事は?」

「ああ、はい。ええと」

 寺井君が、かたかたと端末を叩く音。

「ナンパじゃないんです、今回は。似てはいるんですが」

「そうだろうね」

 俺のメインの仕事はナンパだが、臨時の飛び込みの仕事はそれだけというわけにはいかない。

 前もってモブの予約もできないくらい急ぎで捻じ込まれた仕事ということは、作者さんも相当展開に苦労していることが多い。もうアイディアが出てこないから、とりあえず何か事件でも起こしてみるか、みたいな雑なノリで仕事が降ってくることも結構ある。

 そういうのの中には、突拍子もない依頼が含まれていたりするのだ。この間のA太の件みたいに。

 あの物語、うまく着地するといいけどな。

「まあできるだけ対応するよ。何?」

「声掛けだけです」

「声掛けだけ?」

「はい、要は酔っぱらいの通行人モブです。公園のベンチに一人でぽつんと座って泣いてるヒロインに、通りすがりに『おう、ねえちゃん。一人でどうしたの。彼氏にでも振られたのか』って声を掛けてください。ヒロインは反応しないので、そのままへらへら笑いながら通り過ぎてください」

「簡単だな」

 いつものナンパに比べれば、遥かに簡単だ。ただ声を掛けるだけの仕事。それで一本分の手当が出るなら悪くない。

「ええとこれはですね。失恋してしまったヒロインの悲しさとか惨めさを強調するのが、このモブの役割でして」

「分かってるよ、そんなこと」

 とてもつらい状況にいるヒロインに対し、通りすがりにデリカシーのない言葉を投げかけて去っていくモブ。

 それによってヒロインの孤独はいっそう強調される。

 依頼内容を聞いただけで、作者さんが読者に伝えたいメッセージをモブとしてどう補強するか、大体のイメージは付く。その程度には、俺もモブの経験を積んでいるのだ。

 寺井君からその公園の場所を確認して、俺は電話を切った。

 スマホをポケットに入れ、石段を下りる。

 ヤクザに手をへし折られても一件。声を掛けて通り過ぎるだけでも一件。

 それだって不平等といえば不平等だ。

 だけどそんなことを言ったって仕方ない。

 寺井君、世界ってのは不平等の段差でできてるんだよ、きっと。



 小さな公園だった。

 一応は「児童公園」という名前が付いているだけあって、小学生でも物足りなさそうな低い滑り台が一基、申し訳程度に置かれてはいたが、それ以外に遊具は何もなかった。

 代わりに、『ボール遊び禁止』と書かれた看板はやけにでかかった。

 まあ確かに、こんな狭い公園でボール遊びなんかしたら、たちまち道路に転がったり民家に飛び込んだりしてしまうだろうからな。

 かといって、鬼ごっこをするにも何の起伏もないし、狭すぎる。実に微妙な公園だ。

 子供たちもこの公園で遊べと言われたら、全員が携帯ゲーム機を持ち寄ることだろう。

 敷地の両端に、ベンチが一脚ずつ設えられていた。

 公園の中央に一つだけある街灯は切れかかっているようで、時折瞬きするように点滅した。

 その弱い光に照らされて、隅っこのベンチに女の子が一人、うつむいて座っていた。

 あの子だな。

 その背中が時々小さく揺れるのは、しゃくりあげているからだろうか。

 俺は公園を斜めに突っ切りつつ声を掛けることにした。

 帰宅の道をショートカットする通行人、というわけだ。

 俺が冷やかしの声を掛けて去った後で、ヒーローになる男が慰めに現れるのか。それとも、今日のところは、彼女はつらい気持ちのままで終わるのか。

 その辺りの展開は俺には分からないし、予想してもしかたないことだ。

 さ、俺は俺の役目を果たそう。

 公園に足を踏み入れる。

 じゃり、という砂を踏む音。

 俺はしらふだが、今は酔っぱらいのモブだ。少しふらつき気味に歩く。

「おう、ねえちゃん。一人でどうした」

 公園のちょうど中央あたりで、ベンチの女の子にそう声を掛けた。

「彼氏にでも」

 振られたのか。

 ごく簡単な台詞。

 だけど最後まで言いきることができなかった。

 点滅する街灯の下で、俺はバカみたいに棒立ちになった。

 ヒロインは反応しません。

 寺井君、お前そう言ってたじゃんかよ。

 俺の声に反応して上げたその顔を、見間違えるはずはなかった。

 涙に濡れた赤い目でこちらを見ているのは。


 梨夏ちゃん。


「……さつきさん」

 梨夏ちゃんが言った。





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