第7話 俺と君とは立場が違う
「やっほー、こんばんはー」
頭の悪い呼びかけに梨夏ちゃんが顔を上げた。
間近に見る梨夏ちゃんのインパクトはすごかった。
やっぱり物語のヒロインになるほどの子だ。作者さんの力の入れようが違う。
まだまだ垢抜けないはずなのに、オーラがある。ダイヤモンドの原石感が半端ない。
磨けば光るのに、磨かなくてももう光ってますよ!
俺だってこれまで、いろんな物語のヒロインを見てきた。
その中にはこの子よりもっと洗練されたきれいな子も、もっと整った顔立ちの子も、たくさんいた。
でも酒の入った深夜のクソナンパモブの濁った目には、梨夏ちゃんの顔は今まで見た誰よりも眩しく映った。
夜なのにサングラスをかけた俺を見た梨夏ちゃんの顔が、ぱっと輝いた……ような気がした。
それはただの俺の自意識過剰だったのかもしれない。多分そうだ。だけどもしかしたら、本当に俺のことを覚えていて喜んでくれたのかも。
一瞬色んな感情が胸を交錯したが、俺の気持ちなんてどうだっていいのだ。
彼女の物語を進めるために、俺はモブとしての役割を全うする。そのためにここに来たんだから。
「彼女、こんなところで一人っきりで何してるのー? 誰かと待ち合わせー?」
「え? えっと、あの」
梨夏ちゃんは何だかあわあわしながら、耳まで真っ赤にして俺を見上げた。
一生懸命、何かを訴えるような目で俺の顔を見ている。
俺はそんな彼女の反応を極力気にせず、ナンパを続ける。
「俺、結構この辺に詳しいんだよね。朝まで飲める楽しいお店、いっぱい知ってるよー?」
へらへらと笑いながら、意味もなく肩を揺らす。話の途中で地面に唾とかも吐く。
通行人があからさまに嫌な顔で俺たちを避けていく。その反応にむしろほっとした。
よし、大丈夫だ。俺はちゃんと、たちの悪いナンパ野郎になれてる。
「すげえ料理のおいしい居酒屋もあるし、夜景の見えるバーもあるし、楽しく騒げるカラオケボックスもあるし、何だったら全部すっ飛ばしてホテルでも」
「あの、お兄さん」
俺の軽薄なナンパトークの隙間に、梨夏ちゃんが口を挟んだ。
「私のこと、覚えてませんか」
「え?」
すっとぼける俺を真剣な目で見て、彼女は言った。
「私、能勢梨夏です」
……ああ。
そのとき、俺の胸によぎったこの感情を、なんて呼べばいいんだろう。
恋?
違う。そんな単純なものじゃない。
もっと、何て言うか。
俺という人間の一番深いところから来る感情。
嬉しいとか哀しいとか、そういうことじゃなくて、もっとずっと奥の方から。
「え、あ」
俺は言葉に詰まった。
覚えてるに決まってるじゃんか。
こっちは自分の仕事に支障をきたすくらいに、君のことばっかり考えてたんだよ。
もしかしたら君が俺のことを覚えてて、それでまた俺に会いたいとそう思ってくれてるんじゃないか、なんてそんな都合のいいことばっかり考えてたよ。
身体に残ってるアルコールのせいで、そんな言葉が口をついて出そうになる。
だけど、それとほとんど同時に俺の頭をよぎったのは、さっきの電話での寺井君の言葉だった。
「一件、入っちゃったんです。闇堕ちモブが」
だめだ。
だめだ、だめだ。
必死に冷静さを保つ。
俺たちはモブだ。
物語を円滑に進めるためのモブ。
モブの分際で、モブの一線を超えるな。モブはモブらしく分を弁えろ。
「えぇ?」
俺は眉間にしわを寄せて梨夏ちゃんの顔を見た。
「君みたいな可愛い子と会ったことがあれば、忘れるわけなんてないけどねえ。あ、あれか」
ぽん、と手を叩く。
「俺たち、実は前世で会ったことがあるとか! それか前前世か前前前世か。それじゃ歌のタイトルじゃん。カラオケ行こっか」
しょうもないことを言いながら、自分の言葉にうひゃうひゃと笑う。
「そう、ですか」
梨夏ちゃんの顔が曇った。
「そうですよね。お兄さんきっとモテるから、私のことなんか覚えてないですよね」
思わず鼻水を噴き出しそうになった。
モテる? この量産型ヤカラのモブが? 誰に?
俺の動揺に構わず、梨夏ちゃんは真剣な眼差しで言葉を続ける。
「でも私、十日くらい前にここでお兄さんにすごくお世話になったんです。初めての街でいろんなお店に連れてってもらって、最後にこの駅で切符まで買ってもらって」
「俺に?」
「はい」
梨夏ちゃんは頷く。
「そのときのお礼をどうしてもちゃんと言いたくて、私、仕事終わりに時間があったらここに来てたんです。ここに来ればお兄さんに会えるかもって思って」
何だって。
ぎゅうっと胸が締め付けられた。
待て。
待ってくれ梨夏ちゃん。
だめだよ、それはだめだ。
君にそんなこと言われたら、俺はモブじゃいられなくなっちまう。
物語のヒロインにそんな真剣な眼差しでそんなことを言われるモブなんていないんだよ。
ここで俺も「覚えてるよ! 俺も君のことばっか考えてたぜ!」なんて言えたら、どんなにかいいだろう。
だけど、俺はモブなんだ。
君に名乗るべき名前すらないんだ。
俺は単なるモブのナンパ野郎で、君の物語の中ではそれ以上でもそれ以下でもない、通り過ぎていくべき人間なんだ。
「俺が、君と?」
きょとんとした表情で俺は梨夏ちゃんを見た。
やっぱりサングラスをかけていて正解だった。
俺の目は無様に泳ぎまくっていたから。
「ごめん、全然記憶にないわ」
俺は言った。
「俺も毎日いろんな子と遊んでるしね」
遊んでねえよ。君と半日遊んだだけで生活に支障をきたしてる。
「それにこの辺って俺みたいなナンパ師多いからさ。別の奴と間違えてるのかもよ」
自分で言っててもあまりに苦しい言い訳。
「そうですか……お兄さんだと思うんですけど……」
梨夏ちゃんはうつむいた。
「人違い、かなあ……」
ああ、やっぱりこの子は天然だ。
俺にきっぱり断言されたせいで、自分の記憶に自信が持てなくなってる。
そういうところもすごく可愛い。愛おしい。
「でも、分かりました」
梨夏ちゃんはなぜか力強く頷くと、顔を上げてきりっとした目で俺を見た。
「私、朝までやってるお店、行きます」
「は?」
「お兄さんと朝まで飲み明かして、始発の電車で家に帰って、それから出勤します」
いや、何言ってるのこの子は。
「行きましょう」
梨夏ちゃんは俺の手を両手でがしっと掴んだ。
「別に夜景とか見えなくていいです。バーとかじゃなくて、やっすい居酒屋さんでいいです。あと、お金は私が払います」
「ちょ、ま、ま」
待って。梨夏ちゃん待って。
それはまずい。
ああ、手が柔らかい。あったかい。
いや、そうじゃなくて。
「あれ、能勢じゃん」
混乱の極みにあった俺の背後から、誰かの声がした。
「え?……あっ」
そっちを見た梨夏ちゃんの目が、驚きで丸くなる。
「ヒロキ」
ヒロキ?
振り返ると、俺の後ろに立っていたのはちょっと陰のあるすらっとしたイケメンだった。
切れ長の鋭い目で、梨夏ちゃんと俺を交互に見ている。
俺と同じ茶髪のはずなのに、なんていうか俺みたいな嫌味がない。
「能勢。お前もこっちに来てたのか」
「あ、うん」
梨夏ちゃんが頷く。
「こっちで就職したの。それでこないだ引っ越しして」
その手はいつの間にか俺から離れていた。
俺は見つめ合うお似合いの二人を見る。
っていうか、ヒーロー来た。ついに来た。
ヒロキ。
名前から言って完全にヒーローじゃんか。
「なんだよ、彼氏と待ち合わせかよ」
俺はそう言って舌打ちした。
いや、この二人はまだ彼氏と彼女じゃない。地元の知り合いとかそんな感じ。
ええ、ええ。そんなことは分かってますよ。俺だって伊達に何年もナンパモブやってねえよ。
だけど、仕方ないじゃん。
無理やりでも何でもいいから、ここから離脱しないと。
これ以上ここにいたら、この子のことマジで好きになっちゃうもの。
この子、俺のこと振ってくれないんだもの。
梨夏ちゃんが可愛すぎて、もうモブの役目を果たせる自信がないもの。
「あー、くそ。時間無駄にしたぜ」
俺が身を翻すと、背後から梨夏ちゃんの「あっ…」という声がした。
「知り合い?」
ヒロキくんに訊かれ、梨夏ちゃんは多分困った顔をしている。
「えっと……」
答えに詰まっている。それはそうだろう。彼女は俺の名前も知らないのだから。
「もう遅いから、家まで送るよ」
ヒロキくんは言った。
「この辺なんだろ?」
そう。そうしてくれ。
俺はポケットに両手を突っ込むと、足早にその場を後にする。
梨夏ちゃんのこと、頼んだぜ。ヒーロー。
紆余曲折あるかもしれんけど、最後にはちゃんとその子を幸せにしてやってくれよな。
夜だけどサングラスをかけていて、本当に良かった。
だってこんなナンパモブが涙目で唇ぶるぶる震わせてたら、読者に変な誤解与えちまうだろ。
ああ、寺井君。俺はちゃんと仕事したよ。
次に事務所に顔出したら、いいお茶出してくれよな。
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