第6話 やはり彼女に間違いないようで
梨夏ちゃん。
何でこんなところにいるんだよ。
俺はナンパ野郎にあるまじき及び腰で、駅前広場に一人立つその女の子を遠目に見た。
その顔を見たら、モブのくせにいっちょまえに切ない気持ちになった。
ああ、俺はこんな可愛い子と一緒にカフェでお茶飲んで、ボウリングして、夜景の見える居酒屋で乾杯したんだなあ、などという他人事みたいな感慨と一緒に、その時に梨夏ちゃんが見せた色々な表情が蘇ってきて、何だか分からないけど泣きそうになる。
落ち着け。
酔ってるぞ。まともじゃない。
衝動に流されちゃだめだ。
自分に必死にそう言い聞かせて、もう一度彼女を見る。
梨夏ちゃんに間違いない。
ただ、この間会ったときとは服装が違うし、スーツケースも手に持っていない。
少しだけ洗練されたような。ちょっと気負いのなくなった、自然な服。
それだけで、この子がもうこっちの生活に慣れ始めているんだってことが分かる。
よかった。君の物語はちゃんと始まったんだな。
変な安堵をしてから、俺はやっと自分の役目を思い出した。
あの子をもう一回俺がナンパするだって?
それはさすがに無理があるだろ。
もちろん、彼女は俺のことなんてもう覚えてないかもしれない。
だけど、途中で「あれ? この人って……」みたいに思い出されたら。
余計な展開が、彼女の本来の物語に色々と支障をきたしてしまうことは間違いない。
それは避けたい。
これ以上梨夏ちゃんに迷惑を掛けちゃだめだ。モブとして。
俺はスマホを取り出すと、会社に電話した。
15回くらいコール音がした後でやっと出たのは、頼りない若い男の声。
「はい、皆さまの物語を底から支えて三十年、信頼と実績のモブ派遣、株式会社モビーでございます」
思わず舌打ちしそうになる。
そんな宣伝文句は顧客用回線に出るときに言うんだよ。
俺は今、明らかに内部用の番号にかけてるだろうが。
今日の当直は彼か。大丈夫かな。
「寺井君、B介です」
俺が言うと、入社二年目の寺井君は電話の向こうで「おあっ」という変な声を出した。
「ああ、B介さん。こんな時間に急なお仕事受けていただいてありがとうございました。もう終わったんですか、さすが早いですね。ええと、完了番号はスマホのアプリで」
「違う違う違う」
勝手に早口で話を進める寺井君の言葉を遮る。
「ちょっと問題発生でさ」
「ええっ」
寺井君は泣きそうな声を上げた。
「な、何ですか。ほんと、今日はずっとトラブル続きなんです」
「そうなの? 忙しいところ悪いんだけどさ。この件のターゲット、俺、前にもナンパしたことあるんだわ」
「は?」
「おんなじ奴が二回もナンパしたらおかしいでしょ。誰かと差し替えてくんない?」
「ど、どういうことですか。ちょっとあまり意味が」
ああ、もう。察し悪いなあ。
寺井君じゃなくて、ベテランの森井さんなら話が早いのに。
「だからあの子、十日くらい前に俺が一回ナンパしちゃってんの。その時と同じ子なの」
「え、B介さんが十日前に同じ子をナンパして振られてるってことですか」
「振ら…」
振られてる。
寺井君の言葉に引っかかる。
いや。別に振られては、いないが。
いやいや。今大事なのはそこじゃない。
「まあそんな感じだよ」
俺は濁した。
「だからおかしいでしょ? 二回もナンパしたら」
「ええっと……確認しますね」
電話の向こうからかたかたと端末を叩く音がする。
「あ、大丈夫みたいですよ」
寺井君は明るい声を出した。
「今回のターゲットの能勢梨夏さんについて、作者さんからは何の要望もいただいてませんね。NG項目は18禁事項だけです」
「いや、作者さんの要望はそうかもしれねえけどさあ」
焦れったくなって俺は思わず口調を荒げる。
「おかしいでしょって言ってんだよ。こないだ出会ったナンパ野郎がもう一回来たら。読者が俺のこと、何かの重要人物なのかと思っちゃうじゃん」
「え、重要人物ってB介さんのことをですか」
寺井君の心底驚いたような声。
うぐっ。
うるせえな、分かってるよ。せめて皮肉っぽく言え。心から驚くな。
俺も自分で言ってて恥ずかしかったよ。こんなモブ顔した量産型ヤカラが、自分のことを重要人物とか。
「そういう風にとっちゃう人もいる可能性があるってことだよ!」
「あまりにひどい誤読については、クレームが来てもこっちで対処するから大丈夫ですよ」
寺井君はそこだけはなぜか自信満々に言い切った。クレーム対処が自分の部署の仕事じゃないからだろう。
違う。そうじゃないんだ、寺井君。
「とにかく差し替えてくれよ。できるだろ?」
「すみません、B介さん」
寺井君は憐れっぽい声を出した。
「さっきも言いましたけど、今日はトラブル続きなんです。すっぽかしが二件に想定外の落命が一件、それと事前連絡なしの飛び込み依頼がこの件も含めて五件ですよ、五件!」
「そりゃ大変だな」
「こんな時間だし、本当に人がつかまらなくて。この件もB介さんがやっとつかまったんです。他に代わりの人はいないんですよ」
「A太は」
「A太さんは、その直後に入った冒険者ギルド併設酒場の乱闘現場に今行ってもらったところです」
すげえな。何だ、何かの小説大賞の締め切りでもあるのか。
「それと、B介さんだから言いますけど」
寺井君が声を落とした。
「一件、入っちゃったんです」
「何が」
「闇堕ちモブが」
闇堕ち。
すうっと酔いが醒めるような感覚があった。
「それで森井さんたちが対処に行ってます。本当に今日はすっからかんなんです」
「……そうか」
俺は息を吐いた。
「それじゃ、仕方ねえな」
闇堕ち案件が入っちまったんじゃ、どうこう言ってる場合じゃないな。
モブはお互い助け合い。
俺が俺がと出しゃばる奴は、モブには向かない。
「仕方ねえ。分かったよ、こっちはこっちで何とかするよ」
俺が言うと、寺井君は救われたような声を出した。
「ありがとうございます!」
「要は振られりゃいんだろ? 多少顔が割れてたって」
「そうですそうです振られてくださいいつもみたいに後腐れなく」
「貸しにしとくぜ、寺井君」
「今度事務所にいらっしゃったときに、いつもよりいいお茶お出しします!」
それだけかよ。
まったく。まあでも寺井君も、こういうところが憎めないんだよな。
電話を切ると、俺は覚悟を決めた。
夜だっていうのに細いサングラスをかけると、大股にのしのしと彼女に歩み寄る。
「やっほー、彼女こんばんはー」
そう声を掛けると、俺を見た彼女の顔がぱっと輝いた、気がした。
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