『開かれる扉』(5)

その頃、リョウは自分の部屋のキッチンで、シュークリーム作りをしていた。


(う〜ん、やっぱり生クリームはこのくらいの甘さだよね)


指先にチョイと付けた生クリームを舐め、リョウは真剣に味見をしている。

その時、来客を知らせるインターホンが鳴った。


(あっ、亜矢ちゃんが来たのかな)


リョウは玄関まで行くと、鍵のかかっていないドアを開けた。

だが、そのドアを開けた瞬間、目の前に立っていたのは。

リョウはその人物を目にするなり、顔色を変えた。一瞬、呼吸すら止まった気がした。

次に、身体の内側から湧き起こるような震えが全身を襲った。


「………天王…様……!!」


ようやく、震えた声でその一言を発するのがやっとだった。

ドアの前に立っていたのは、スーツ姿の天界の王だった。

天界の王、すなわち『天王』。

天王によって受けた呪縛によって、リョウはずっと苦しめられた。

それなのに…、呪縛も解け、天界から離れたリョウが天王を目の前にした今、湧き起こった感情は怒りでも憎しみでもなく、堪え難い『恐怖』だった。

あの、呪縛を受けた時の苦しみの記憶が脳内に鮮明に甦る。

身動きも取れずに立ち尽くすリョウに、天王は静かな口調で言う。


「天使・リョウよ。」

「……………」

「入れてくれるな?」

「………は、はい………」


何かを思うよりも先に出て来た言葉。

グリアが言っていた、呪縛が解けた後の効果とは、この事だ。

天王に対する『恐怖心』。呪縛は解けても、心を縛るそれからは逃れられない。


リョウの部屋のテーブルに、二人は向かい合って座る。

リョウは正座をして、緊張しながら顔を下向きにしている。

まさか、天王が自らの足で自分の元へと来るとは。

この重い空気に堪えきれなくなったリョウは、パっと顔を上げると、無理矢理明るい笑顔を作った。


「…シュークリーム、食べますかっ!?」


言ってから、リョウはハっとした。

こんな時に、自分は何を口走っているのか。動揺はあからさまである。


「頂こう」


天王は真顔で答えた。

そんな訳で、テーブルの上にはリョウの手作りシュークリームが置かれた。

だが、こんな物でこの緊張した空気が和らぐはずもなく。

ようやく話を切り出したのは、天王だった。


「今日から、私がこのマンションのオーナーになった」

「え………?」


リョウは恐る恐る顔を上げ、天王を見る。


「この意味が分かるか?リョウよ」

「……分かりません。ボクはもう……天界に仕える身ではありませんから…」


元々、天使でありながら天界に不信感を抱いていたリョウ。

今では天界に仕えるのを辞め、フリーの天使になったのだ。

リョウは自分の拳にグっと力を入れ、瞳に強い決意をこめた。


「だけど、亜矢ちゃんの魂は決して渡す事は出来ません」


それが、リョウの決意。今度こそ、自分の全てをかけて亜矢を守ろうと思った。

天王は少しも動じる事はなく、相変わらず静かな口調で言う。


「いや、春野亜矢の魂を奪う事はしない。だが、『魂の器』が完成した今、その強大な力を宿した魂を野放しにも出来まい?」


つまり、このマンションは天王の監視下に置かれる、という事だろう。

しかし、天王の目的は亜矢の事だけではない。

それによって同時に、リョウの身柄は天界に拘束されたのも同じ。


「天使・リョウ。春野亜矢の魂を奪おうとする者が現れれば、お前が排除せよ」


それは、以前に天王がリョウに与えた使命とは全く逆のもの。

天王は静かに立ち上がった。

静かながらも、何か強い力を秘めた冷たい眼でリョウを見下す。

リョウは口を閉ざしたまま、何も返せない。


自分はもう、天界に仕えるつもりはない。それなのに——。


動けなかった。拒めなかった。

天王は小さく笑みを浮かべると、背中を向けた。

天王は部屋から出て行った。


リョウは一人、座ったまま呆然としていた。

確かに、亜矢の魂を守るという意味では天王の目的と自分の目的は一致している。

結局の所天界は、強大な力を宿した魂が他の者の手に渡らなければ、それでいいのだ。

天界にとって脅威になりえるものは、排除する。それが天界のやり方。

だが、リョウが亜矢を守ろうと思ったのは、自分の意志だ。

決して、自分は天王の意志に捕われている訳ではない…と思いたいのに。

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