第8話「不自然な流れ」
「アンナ団長……」
アンナ団長の過去と想いを聞いた僕は、一体どう応えれば良いのか分からず、押し黙るしか出来なかった。
悲しい過去。そして僕への想い。
すぐに答えを出す事は出来ない。
安易な言葉で、この人を傷つける事なんて出来ない。そう思ってしまった。
「すぐに答えを出す必要はないと言っただろ。だが、あまり悠長に待っている時間もないのだ。出来れば、三ヶ月後には返事を聞かせてくれるか?」
「時間がない? どういう事ですか?」
「うむ、今は答える事は出来ん。いずれ話そう」
「分かりました。三ヶ月後ですね……」
少し気になる事はあるが、待って貰えるならありがたい。男としてどうすれば良いのか、考える時間が欲しい。
『ふんっ、考える意味などなかろう。目の前に獲物が現れたら喰らえ』
「えっ……今のは誰だ!?」
「ん? どうしたタクト君。私達以外には誰も居らんぞ」
ですよね……だけど、確かに男の低い声が聞こえたんだよな……。
「すいません。勘違いみたいです」
「そうか、少し混乱させてしまったかもしれんな。私はもう行く。君は少し休んでいけ」
アンナ団長はそう言うと、穏やかな微笑みを見せ去っていった。それを見送った僕は、ベンチにどっかりと座り込んだ。
「ふぅ~、なんだか凄い状況になっちゃったな……」
頭の中がぐちゃぐちゃだ。まさか自分に、こんな事が起こるなんて想定もしてなかった。
あんな綺麗な人が僕を……。
嬉しいような、恐ろしいような。
複雑な気持ちだった。
「はぁ~、こんな気持ちで、今日の洗礼の儀を乗り切れるかな……」
そんな混沌とした気持ちを抱える僕の前に、更なる混乱を招く人物がやって来た。
「ちょっと良いかしら」
この声と香りは……。
「ユリーナ先輩!」
癒しの女神の登場に、僕の気持ちが少し晴れていく。だが、ユリーナ先輩はどこか暗い顔で、僕の前に立っているだけだった。
「どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?」
「そうじゃないの。ただ、対戦前に相手と仲良くお喋りする気にはなれないだけよ」
「うっ……はは、ですよね」
いつもの笑顔は消え、冷たい表情で告げるユリーナ先輩に少し圧されてしまう。
力なく誤魔化し笑いを浮かべる僕に、ユリーナ先輩は更に追い討ちをかけてくる。
「今日は"貴方"に言っておきたい事があるの」
「な、なんでしょうか」
「洗礼の儀で私に負けたら……この騎士団を辞めなさい」
「なっ! なんでそんな事っっ!!」
思ってもみなかった言葉に、思わず立ち上がり声を荒げてしまう。優しかった彼女が、どうしてそんな事を言うのか、僕には皆目検討もつかない。
そう言えば、今日は一度も名前で呼ばれていない。
虫ケラを見るような視線。
警戒した態度。
もしかして彼女は、最初から僕を嫌っていたのか? だとすると、今まで彼女と過ごした時間はなんだったんだ。
最近なんて、もうすぐ恋人になってもおかしくないほど、良い雰囲気だったじゃないか。
疑問の答えを求める僕に、彼女はその答えを口にした。
「答えは単純。貴方が"無恵"だから。ただそれだけの事よ。困るのよ。只でさえ男がこの騎士団に入って統率が少し乱れてるのに、無恵の上にまだ二年目の私に負けるような男では、この騎士団はバラバラになってしまう」
確かに、彼女の言っている事は最もだった。
今まで女性だけでやってきた所に"異物"が入り込んだとなれば、面白くない人もいる筈だ。
それをアンナ団長の統率力と人柄で、不満を抑え込んでいるのが現状なのだろう。
それを、いくら負ける事が前提になっている洗礼の儀だとしても、僕が無様な姿を晒せば我慢出来なくなってもおかしくない。
『無恵な騎士はやっぱり弱い』
このレッテルは、そう易々と剥がせるものではない。騎士になりたいとなれば余計だ。
今まで僕がしてきた血の滲むような努力も、このレッテルを剥がし、騎士の道を開くためにしてきた。
それをたった一度の敗北で全てが無駄になる。
考えれば考えるほど、心臓を掴まれているような動悸に襲われる。
人生とは、なんて残酷で冷酷で無慈悲なのだろう。僕を睨む彼女が、そんな残酷な世界を知らしめているようだった。
「折角入った憧れの場所を、汚して欲しくないのよ。貴方という異物は消えて欲しい。それが私の本意よ。どう、納得出来たかしら?」
「……分かりました。ですが、僕が勝った場合の条件も付けさせて下さい」
心の深淵に溜まる、ドロドロとした感情で吐きそうだ。
「な、なにかしら」
「僕がもし勝ったら……僕の奴隷になってもらいます」
「そ、そんなの傲慢よ!!」
「どっちが傲慢なんですか」
「だって、明らかにおかしいわ!! 貴方はただ辞めるだけなのに、私は奴隷なんて対等な条件じゃないじゃない!」
「これでも譲歩したつもりです」
「譲歩したですって!?」
顔を赤くして怒った表情の彼女を見ると、ゾクゾクと高まってくる"なにか"を感じる。
「対等ですよ? 良く考えて下さい。僕は幼い時から騎士になるため全てを捧げて来ました。そして、ようやく騎士として歩む道を歩き始めたんです」
「それがどうしたって言うの! そんなの、騎士なら皆同じよ!」
「忘れてませんか? 僕は無恵ですよ。そんな僕が、唯一配属を許された騎士団を辞めたら、他に拾ってくれる騎士団はありますか?」
「む、無理でしょうね……でも、騎士だけが人生じゃないわよ! 他の仕事だって――」
「僕には騎士しかないんだっっ!! もし、この道が閉ざされてしまうなら、この世に未練なんてない。間違いなく、僕は人生を終わらせるだろう。僕は人生を賭けるのに、対等じゃないだと? ふざけるな!!」
「くっ……分かったわよ!! そもそも無恵の貴方に負ける要素なんてない。その条件でやろうじゃないの!」
「では、契約成立という事で、後程お会いしましょう」
「ふんっ、精々荷物を纏めておく事ね」
怒りに震える彼女を見送り、僕は後悔に苛まれた。勢いとは言え、なんであんな事を言ってしまったのか……。
負けたら騎士を辞める。
ダメだ、余計な事を考えるな。
大丈夫、僕は絶対に負けない。
無恵の意地を見せてやる。
でも、なんでユリーナ先輩はあんな事を……。
本当に僕が嫌いなだけなのか?
不自然過ぎる態度と流れ。
疑問は深まるばかりだった。
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