第6話「ちょっと大人になりました」
次の朝。
自室のベッドで目を覚ました僕は、妙な高揚感を覚えていた。
「あれは夢だった?」
ぼそっと、そう呟いた。
そう感じたのには理由がある。
アンナ団長の告白を聞いた後、何度も会話を思い出していた。
「ファーストキス……奪われちゃったな」
父さん、僕は少し大人になりました。
ベッドから降り、外の風を感じたくて窓を開ける。体は軽い。ああ、なんて心地いいそよ風だ。
快晴の空の下に高々とそびえる遥か遠い山々。
その木々の枝で群れをなし、出発の合図を奏でるようにさえずる小鳥が、はっきりと見える。
朝露で少し湿った草花の香りを感じ、神経が研ぎ澄まされていく。
「さて、朝食の準備でもしようかな」
最高の気分のまま、足取り軽く二階の自室を出て一階にある食堂に向かった。
薔薇騎士団に配属になった新人の日課は、朝の朝食作りから始まる。その後は洗濯に掃除。
これらを午前中に済ませ、午後は鍛練に打ち込む。
日が落ちてきたら、洗濯を取り込んで先輩方の元へ間違いなく届ける。
パンティーソムリエの本領発揮という訳だ。
その後は、お風呂の準備。
広い湯船と浴場を洗い、汲み上げ式のポンプを全力で稼働させ湯船に水を貯めたら、火を起こし少し熱目に湯を沸かす。
くべる薪も僕が割って用意したものだ。
湯が沸いたら、自室で休んでいる先輩達に伝わるように二階の廊下で「お風呂の準備出来ましたー!!」と、全力で叫ぶ。
そこで僕の仕事はようやく終わる。
もちろん、僕が入浴するのは、先輩達が全員入浴を終えた後だ。
因みに、昼食と夕食は騎士団が雇った専属コック様が栄養満点の料理を作ってくれる。
この料理がまた最高に美味い。母の手料理以外で、今まで食べたどんな料理にも敵わないと思う。
そんな料理を作ってくれているのは"ミシュラ"という大人の色気を放つ赤髪のお姉様とその弟子の女性達。
なんでも、アンナ団長とは腐れ縁らしい。
幼馴染とか言ってたかな。
城の専属料理長でもおかしくない腕前なのに、一介の騎士団で腕を奮ってくれているのは感謝に絶えない。
「よ~し、やるか!」
食堂の厨房へと足を踏み入れた僕は、両頬を軽く叩き気合いを入れた。
僕という例外は除き、いくら女性だけで編成された騎士団で、他の騎士団より人数が少ないと言っても、三十人以上の朝食を作らないといけないのだ。
しかも、うちの先輩達は良く食べる。男ばかりの騎士学校で見てきたどんな男達よりも食べる。
普通の女性を基準にして作った初日なんて、みるみる減っていく料理に青ざめたものだ。
今日の朝食の主食はもちろんパン。
ふわふわのパンを用意したい所だが、予算も限られているので雑穀が混じった固いパンだ。
だから必ず、浸す用のスープを用意しないといけない。今日は切れ端の野菜を使ったコンソメスープだ。
オカズはスクランブルエッグと、燻製ベーコンに春野菜のサラダ。
朝食は凝った料理を作らなくて済むので助かっている。栄養満点で美味なご飯は、ミシュラさんに任せておけば良い。
手際よく朝食作りに励む事一時間と少し。
今日は"洗礼の儀"があるので、遠征に出ていた先輩達も全員が揃っている。
いつもより作る量が多くて心配だったが、体に漲るエネルギーがいつもより多く、疲れも感じず作る事が出来た。
さて、後は先輩達が来るのを待つだけ。
その間、余りある体力を使うため、素振りでもしていようかと思っていた所に、予想外の訪問者が現れた。
「おはよう……タクト君」
完全に油断していた。抱き寄せられるように背後を取られ、耳元で囁かれる。
「その声は……ミシュラさん?」
「正解。ご褒美だよ」
「あっっ」
「照れちゃって、可愛いっ」
ミシュラさんの豊満な胸を背中に感じ、思わず声を上げてしまった。
女性特有の甘い香りと非日常的な場面に興奮が高まる。思わず前傾姿勢。健全な男子には毒です。
「もう、からかわないで下さいよ!」
「ふふっ、ごめんごめん。所で……あっ、もう全部終わってるんだ? 今日はみんな帰ってるから、大変だと思って手伝いに来たけど、ちょっと遅かったみたいね」
「気を遣わせてしまってすいません。今日はなんかやる気が漲っていて、いつもより早く終わったんです!」
「そうなんだ……漲ってるなら、お姉さんの相手もして欲しいな~」
今、一瞬チラッと、唇を見られたような。
ああ、昨晩の事を思い出してしまった……。
「んぅ? どうしたのかな?」
いや、ここで取り乱したら大人の色気を漂わせるミシュラさんの思うツボ。この人はいつも僕を惑わせてからかうのだ。
真っ赤な顔を見られないように、覗き込もうとするミシュラさんの猛攻をかわしていると、元気な声が食堂に響いてきた。
「おっはようごさいまーすぅっっ!!」
「お、おはようございます!」
「ちぇっ、邪魔が入ったか」
突然の挨拶でビックリしたが、これでミシュラさんの誘惑から逃れる事が出来る。
それから続々とやって来る先輩達に朝食を配っていると、時間はあっという間に過ぎていた。
最後に残っていた先輩が、朝食を食べ終え出て行くと、見計らったように登場した人達がやって来た。
「おはようタクト君」
「あんちゃん、おっは~!」
アンナ団長とメリル副団長だ。
二人は、いつも先輩達が食べ終えてから来る。
それには理由があって、先輩達が朝から気を遣わないようにと、わざと最後に来ているのだ。
聞けば聞くほど良い上司だ。ちょっとセクハラを抑えてくれると、もっと尊敬出来るんだけどな。
「あんた達、さっさと食べて出てってよね。私とタクト君の甘い時間が無くなっちゃうじゃない」
「ほう、それは聞き捨てならんな」
「二人ともバチバチし過ぎやで。幼馴染なんやから仲良くしいやぁ~」
アンナ団長、メリル副団長、ミシュラさん。
この三人が揃うといつも煩い。
仲が良いのか悪いのか。どちらにせよ、心を許した相手なのは間違いないんだろう。
「ところでタクト君。昨晩の返事はいつくれるのかな?」
「えっ!? 返事ですか!?」
好きとは言われたけど、お付き合いしてとは言われてないよな? 僕が好きだと応えたら、付き合うって事!?
ど、どうすれば良い!?
恋愛経験ゼロの僕じゃ分からない事案です。
「返事って、なんのよ?」
「なんかあったんかいな?」
どうしよう……。
メリル副団長とミシュラさんが興味津々だ。
僕が言葉に詰まっていると、アンナ団長の口から爆弾が落とされようとしていた。
「昨晩のキ――」
「あー!! の、のちほど! のちほどお伝えします!」
危ない危ない。絶対その先は"キス"だ。そんな発言をされたら、言い逃れが出来ない気がした。
「キ? その先は何なのよ?」
「ほんまや。なんか気になるな」
「ああ、昨晩の事だが――」
「ア、アンナ団長! ちょっとご相談が!」
なんで包み隠さず言おうとしてるんだ! そんな事知られたら、騎士団の秩序がどうなるか分からないじゃないか!
僕は爆弾を抱えたアンナ団長を外へ連れ出した。
そこは、洗濯を終えた後、一息つくために座るいつものベンチ。
ここなら新人の僕や、一年先輩のユリーナさん以外は訪れる事が少ないので、誰かに聞かれる心配はないだろう。
「全部話す気だったんですか!? 昨晩の事が広まれば、騎士団の秩序が崩壊しちゃいますよ!」
「何かと思えばそんな事か。安心しろ、あの二人だから話すだけだ。それ以外の者に話す気はない。というか、うち騎士団は恋愛を禁止などしていないからな!」
そんな胸を張って言われても……。
いくら恋愛が禁止されていないからって、新人の僕と団長のアンナさんじゃ、釣り合いが取れな過ぎる。
「あの……お気持ちは凄く嬉しいのですが――」
「ダメだ! その先は言うな! さっきは急かしたように聞こえたかもしれんが、急ぐ必要はない。愛はゆっくり育むもの、ではないか?」
「はぁ、そうなんですかね?」
「そうだ! じっくり関係を深めていけば良い。その時、もう一度君の気持ちを聞くとしよう。だから、今は無理して応えるな!」
顔が近い……そんなに迫らなくても良いのに。
アンナ団長は、夢で僕が現れたとほのめかしていたような気がする。
例えそうだして、なんで僕なんかを好きに?
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「うむ、君の質問なら出来る限り応えよう」
「では……その、なんで僕を好きに?」
「ふふ、それを聞きたいのか。少し長くなるが、良いか?」
「はい、お願いします」
「うむ、あれは十年前の事だ――」
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