第3話「新人の仕事」
配属初日の熱烈な歓迎から数週間過経った今、僕は忙しい日々を送っていた。
「ふぅ~、これで一息つけるかな」
「お疲れタクト君」
「ユリーナ先輩こそお疲れ様でした!」
「ほとんどタクト君がやってくれたから、私は楽しちゃったけどね」
大量の洗濯を干し終え、一息つくため近くにあったベンチへと腰かける。
次の予定は食堂と会議室の掃除だが、少しゆっくりする時間はあった。
「はい、これ飲んで」
「ありがとうございますユリーナ先輩! 先輩も良かったら少し休んで下さい!」
ユリーナ先輩からお茶の入ったカップを受け取り、自分の隣へと誘った。
最早日課となった先輩との談笑タイム。
ユリーナ先輩は、僕の一つ上の先輩だ。
去年まで新人だった事もあり、新参者の僕に優しくしてくれる素晴らしい先輩だった。
「ふふ、では失礼します」
薄い桜色の巻き髪からは、良い香りが漂ってくる。笑顔は勿論だが、優しくて品のある仕草が素敵な人だ。
「こうしてつつがなく雑務をこなせるのも、ユリーナ先輩のお陰です! 本当にありがとうございます!」
「なに言ってるのよ。努力を惜しまず真摯に取り組むタクト君だから、覚えも早いのよ!」
「いえいえ、これも丁寧で分かりやすく教えてくれた先輩のお陰です! これからも宜しくお願いします!」
「まったく、タクト君には敵わないわね……ふふ」
「ははっ 」
先輩と話していると何故か笑顔になれる。これも、誰とでも分け隔てなく接する事が出来る先輩の人柄によるものだろう。
「でも本当にタクト君は凄いわぁ。たった数日で先輩達全員のパンティーを覚えてしまったんだもの。私なんて一月経っても間違えてしまって、よく先輩に怒られていたのに……」
「いやー、ははっ……」
その件についてはあまり詮索されては困る。
毎日毎日数時間も先輩達のパンティーの香りを必死に嗅ぎ続ける姿は、滑稽そのもの。
今や目隠しされても誰が近くいるか香りだけで判別出来るようになってしまった。
パンティーソムリエと名乗っても恥ずかしくないほどだ。
こんな変態だと知られれば、騎士など名乗れなくなる事間違いなし。事実が広まれば、当然ながら奥さんも貰えなくなってしまう。
んぅ? そう言えば、さっきからこの香りは……。
ふぅ、まだ時間はあるかな。
「そう言えば、ユリーナ先輩は今年から外での任務に就けるんですよね?」
ユリーナ先輩が食い付きそうな話題に変え、僕が変態だとバレないように工作する事にした。
「ええ、そうなの……」
外での任務といえば、魔獣退治の指揮や小競り合い中の領地へ出向く遠征など、騎士の花形ともいえる。
それなのに、ユリーナ先輩は暗い表情。
これはもしかして……。
「怖い……ですか?」
「う、うん」
やっぱりそうか。
先輩とはいえ、まだ騎士学校を出て二年。
本格的な実戦は初めてともいえる。
いくら騎士学校で訓練を積んだとしても、それは所詮"保護下"の元で行う練習だ。
死にそうになれば先生が助けてくれるし、生徒達をむざむざ死なせるような危険な場所には、わざわざ出向いたりしない。
そうなれば当然、本当に死んでしまうかもしれない任務にあたるとなると、恐怖で縮こまってしまうのも無理はない。
いくら先輩達がカバーしてくれるからといって、死ぬ時は死ぬのだ。
弱者の前に立ち、その命を守る事こそ騎士の誉れ。死ぬと分かっていても、立ち向かわねばならない時が必ず来る。
その時のために、僕達は日々の鍛練に打ち込むのだ。
「ユリーナ先輩は、故郷を守るために騎士になったんですよね? この騎士団で力をつけて、故郷に凱旋するため」
「ええ、その通りよ。前に言ったかもしれないけど、私の故郷は辺境の町でね。魔獣の脅威と隣国との競り合いに挟まれた所なの」
毎日談笑していればある程度の事はお互い話している。
ユリーナ先輩の故郷である"チグゼル"という町は、西の辺境に位置し、強力な魔獣が住む"ブロア大森林"を背負っている。
更に、永らく小競り合いを続けているライバル国家"トツギイ共和国"との国境付近でもあった。
そんな、常に危険と隣合わせの町だったが、危険にも勝る魅力があるという。
「でもね。土地は肥えているし、近くに大きな川があるから、漁をして食糧にも困らない。ブロア大森林も魔獣を抑えるのは大変だけど、自然の恵みをもたらしてくれるの。大変な事も多いけど、それ以上に素敵な事だっていっぱいある。だから……守りたい!」
ユリーナ先輩はチグゼル周辺を守る領主の一人娘。騎士になると言ったら、それはもう大反対されたそうだ。
そりゃ当然だよ。こんなに可愛らしい娘が死ぬ事が誉れな職業になりたいなんて言ったら、寿命がいくらあっても足りなそう。
それでもご両親を説得出来たのは、ユリーナ先輩の熱い思い。
「お父様とお母様の心労を少しでも減らし、領民の笑顔を一つでも多く守りたいのです! 大好きな町と、大好きなお父様とお母様を守るためなら、どんなに辛くても耐えて見せます!」
「「うぅっ、ユリーナ!」」
そんな光景が思い浮かんでくる。
きっと、この真っ直ぐで無垢な瞳で見つめられたら、折れるほかないんだろうな……。
「格好いいです先輩! ユリーナ先輩なら、きっと守れます! だから、故郷に帰るまで死ぬ思いで死なないで下さい!」
「えっ……ふふ、タクト君は本当に面白いわね! どういう事よ、死ぬ思いで死なないでって!」
「ははっ、意味不明ですよね!」
あれ? なんだか凄く良い雰囲気だ。
もしかして、いよいよ僕にも春が?
幼い時に母を亡くしてから、何故か周りには男しかいなかった。
父さんも後妻を娶る事なく親友のアルフレッドさんとばかり過ごしていたっけ。
騎士学校に入ってからも男ばかり。唯一の女性は、一年生の時にいた三年生の先輩だけだった。
そんな先輩とはお近づきになれる訳もなく、年齢=童貞という無慈悲な人生。
そんな僕が、女性だけの騎士団配属されるだなんて……人生何が起こるか分からないものだ。
「あ、そう言えば"これ"直しておきましたよ!」
そろそろ掃除に行かないといけない頃だと思い、渡すのを忘れてしまう前に、ユリーナさんの前に"アレ"を出す。
「こ、これって……」
「え? パンティーですよ」
「これは捨てた筈ですが……」
「そうです。ゴミを纏めてたら偶然見つけたんで、破れていた部分を補修しておきました! こう見えて僕、裁縫が得意なんですよ!」
よし、良くやった僕。
これでユリーナさんに褒めて貰えるぞ。
「な、なんでこのパンティーが、私のだと分かったのですか!? 私は、自分の下着は自分で洗っていたのに……」
「いや~、最初は誰のか分からなかったんですが、嗅いだことない香りだと思ってピンと、きました! これはきっとまだ嗅いでいないユリーナさんのパンティーだと!」
そう、ユリーナさんは自分で下着類を洗っていたので香りを覚える必要がなかったのだ。
だが、それゆえに誰のものか判別する事が出来た。
今の僕は、どのパンティーが誰のものか、香りを嗅げば一目瞭然。
その僕が嗅いで分からない人物と言えば、ユリーナさんしかいないという結論に至ったのだ。
パンティーソムリエとなった僕にしか出来ない芸当。さあ、褒めて下さいユリーナさん!
「まさか……嗅いだのですか!? 私のパンティーの香りを嗅いだのか、答えなさい!!」
あれ? なんかちょっと怒ってる?
「は、はい! 僭越ながら嗅がせていただきました!」
僕がそう答えた瞬間――
「タクト君の馬鹿ぁぁーっっ!!」
雷鳴が轟くような衝撃を放つビンタに、僕の脳は揺れた。そして、そのまま脱兎の如く逃げ出すユリーナ先輩を、僕は唖然と見送った。
「な、なんでだ? 僕はなにか間違ったのか?」
「なんでやあらへんがな! 兄ちゃん馬鹿か?」
理解が追い付いていない僕に、的確なツッコミが返ってくる。
「メリル副団長!?」
「まあまあ、そう傷口を抉ってやるな」
「アンナ団長まで!?」
と、驚いてみたものの二人が数分前から後ろの木に隠れていた事は知っていた。
分かった時に挨拶でもと思ったが、何故分かったと聞かれ、パンティーの香りで分かりましたなど、口が裂けても言えないので黙っていたのだ。
「せやかて団長! あの場面で普通パンティー出すなんておかしいやろ! 折角の良い雰囲気が台無しや!」
「まあ、若気の至りというやつだ。タクト君、チャンスはまた百年後に転生してから来る。そう落ち込むな」
「いや、団長それフォローになってへん! 傷口に塩塗ってグリグリしてるだけや!」
「ははっ、ですよね……今世は諦めます」
掃除に向かうためトボトボと歩き出す。
冷静に考えてみれば、捨てた筈のパンティーを拾ってくるのも相当気持ち悪い。
それに輪をかけて、自分のパンティーの香りを嗅がれ、それが自分だと特定されたのだ。
自分が女性だったら、気持ち悪過ぎて海に沈めたくなる。
これはもう、ユリーナ先輩の前で切腹して謝るしか許して貰う方法はないだろう。
あー、結局僕は童貞のまま死ぬのか。
うんそうだ。
アンナ団長の言う通り来世に期待しよう。
僕の騎士物語は、これにて終演だ――
「あーあ、落ち込んでしもうたやんか団長」
「若いな。一瞬しか咲かない春の桜を追うより、身近に咲く、枯れない花を摘めば良いものを……」
「なに言うとるん?」
「こっちの話だ。仕方ない……後でこの高々に連なる豊満な山で元気付けてやるか」
「なんやそれ……あっ、もしかして胸の事かいな?」
「ああ、ご名答だ」
「なんや最近、団長頭いかれた? 兄ちゃんが来てから特に」
「確かに、心を射かれたのかもしれん……」
「うわ、さぶぅ! やっぱ団長いかれてるわ……」
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