策略

 おれはさきの宦官かんがんを呼びつけ、ある策をかれに吹き込んだ。宦官はおののき、首を横に振り、無理だ、道理が通らないと言った。朕はため息をついた。

「ならばお前を殺して別の者に頼もう」

 すると宦官は震えながら命乞いをし、策に乗る、命ばかりは、と倒れ伏した。朕は「最初からそのようにすれば良いものを」と呟いた。

 そしてその場にいてことのしだいを知った廷臣ていしんどもにも、同じようにそれぞれの役回りを言いつけた。朕の宦官への態度を見た後では、かれらも逆らおうとは思わなかったのだろう。すぐに了解し、ことを進め始めた。

 宦官であるか、廷臣であるかどうかはもはや服の色合いや仕立ての具合からしか読み取れなかった。あるいは髭の有無、あるいは体格。

 朕は全てを呂不韋りょふいを基準として見極めていた。皮肉なこと、その呂不韋を朕の歴史から葬るために「仕込み」をしているというのにだ。


──のう、呂不韋よ。

 お前の与えてくれた玉座は居心地が悪いな。全てはお前から与えられたもの。この命さえ、全てはお前がもたらしたもの。のう、呂不韋よ。

 俺を玉座に据えるために、

祖父・安国君あんこくくん。我が父・荘襄王そうじょうおう。かれらの短い治世の間、お前は何をしていた?

 なあ、何人殺したのだ、呂不韋。答えられるか?朕の前で。

 不信は瞳の奥でみなぎった。我が人生にあらゆる不信の種を蒔いたのは、間違いなく呂不韋である。



 数ヶ月後、あの嫪毐ろうあいを調べていた廷臣が遠方より戻ってきた。

「嫪毐めは、数年前に相国呂不韋さまによって長信候に封ぜられております。領地は河西、太原。食客の数は約2000人。太后さまを後ろ盾に、権勢を強めております」

「忌々しいやつらだ」

 朕は二重の意味で呟いた。「どこまでも貪欲なやつよ、一度権力に触れれば皆こうなってしまうのか」

「恐れながら」とその廷臣が声を上げた。

「権力とは、野心持つ者にとって毒のようなものでございましょう。わたくしもその毒に侵されそうになる時がございます、が……わたくしは政王さまより権力に固執なさらない方を知りませぬ」

「そう見えるか」

「ええ」

「お前、名を何という」

李斯りしと申します」

故郷くには」

「楚国は上蔡にございます」

 朕は目を細めた。楚──その響きから、父、子楚を思った。

「確か……お前は呂不韋からの推挙でここに居るのだったな、李斯よ」

「は。おっしゃる通りでございます」

 おれはやつの顔を見た。澄んだ眼差しであった。この眼差しが濁ることはあるのだろうか──少しの逡巡のあとに、朕はそっと玉座から身を乗り出した。

「おまえは、朕を裏切るまいな」

「もちろんにございます」

 李斯の目は最後まで澄んでいた。朕はようやく、この男を信用することにした。澄んだ目の男……楚の上蔡の李斯を。


「お前だけに朕の計画を打ち明けよう。だれにも漏らすな。決して」

 李斯は頭を垂れた。


「朕の成人の儀が来年執り行われる。だろう。その間を突いて、不届者嫪毐が謀反を企てる。おそらくは太后ははうえの名の下に、大勢の軍勢を引き連れて、この咸陽を襲う」

「……!?」

「間違いなく、企てる。朕がそう仕向けた」朕は畳み掛けた。

「権力という名の毒、とお前は言ったが、その通りよ。突つけば出る蜂のごとく、だ。奴らは咸陽を陥落させたのち、朕をしいそうとするだろう」

 李斯は息を詰めてこれを聞いていた。

。案ずるな。歴戦の勇士を二人つけてやる」


 朕は笑った。おかしくてたまらない。ああ、おかしい。こんなに楽しいのは初めてだ。

「お前はただ朕についてこればよい。毒を喰らわば、皿までだ」

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