呂不韋の権力

 荘襄そうじょう王と呂不韋りょふいの治世は長く続かなかった。で荘襄王は即位して3年でこの世を去った。

 そして秦王政おれが王位を継ぐわけだが、そのときおれはまだ13歳だった。呂不韋は「あなたにはまだ経験が足りない」とそればかり、国政からも軍事からもおれを遠ざけて、自らは廷臣の最高職・相国しょうこくとなって軍事を切り回した。

 おれが即位して6年、つまり秦王政の6年ごろ、周辺諸国のちょうかんえんの五国が束になって秦に攻め入ってきたが、秦軍はこれをことごとく撃退した。この時おれはまったく軍事に携わっていない。おれがやったのは「やれ」と形ばかり呂不韋の背を押すことだけだった。

 秦国内は大喝采。おかげで呂不韋の名を知らない国民はいない。

 おれはつとめて王らしく、呂不韋に「仲父ちゅうほ」という称号を授けた。そうするがよい、と廷臣たちの進言があったから、そうしたまでだ。

 称号に後押しされた呂不韋の権威は上りにのぼって、数えきれないほどの食客しょっかくを養うまでに至った。要するに、各地から才能のある人材を集めて大量に侍らせた――その数三千と聞く。そして秦王政の8年には、食客に『呂氏春秋』なる書物を編纂させ、おおやけに公開し、「一字でも添削できれば千金を与える」とまでのたまった。

 おれはといえば、お飾りの玉座に座って、「ああそれがやりたかったのかあ」と頬杖をつくことしかできない。呂氏万歳、呂不韋さま万歳。ああ、それがお前の本懐ほんかいであったか、呂不韋。あきれた。

 おれは失望していた。あの瞳の輝きは嘘であったか、それを見極められなかった自分の目が曇っていたのか、と。王の座を望んだわけではない。呂不韋にここまで連れてこられたにすぎないおれは、傀儡の王としてこれからを過ごしてゆくのだろう。父と同じく、適当なころ合いにを遂げるんじゃなかろうか。

 おれはもはや、この相国を疑っていた。と。と。呂不韋の目にかすかに宿り始めた何かを、おれのおかしな目は敏感に感じ取っていた。

 こいつはおれをいずれ、始末しようとしている。


 おれは玉座のひじ掛けを掴んだ。甘い汁だけを啜られつくして枯れた、父のようにはなりたくない。おれは、あいつを、呂不韋をどうにかして蹴落とさねばならない。

 今のおれには力がない。王として命じても、おそらく、「国の英雄」かつ「仲父」かつ「相国」として盤石の立場を築き上げた呂不韋の首は飛ばない。廷臣たちに宥められて終わるだろう。そうでなくとも、食客を三千人も抱えた男を屠れと命令することは不可能だ。その三千人が束になって俺の首を狩りに来るに決まっている。

 どうにかしてこの盤面をひっくり返さねば、道はないのだ。




 

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