第3話
問題のある案件の話ばかりしてしまったが、いつもいつもそのような申込があるわけではない。厄介な申込は月に一、二件あるかないかだ。
門前払い案件は週に数件程度あるが、それらはマニュアル通りに対処すればいいことなので、慣れればさほど労力を必要としない。
そうして、次々とくる申込や相談を事務的に処理して一日の業務が終わる。
ある午後、僕はチャットでの相談を受けた。
「特別コースは、犯罪に関する人、事柄については受付できないとあるんですけど、犯罪なのかどうなのか、微妙なことに関してはどうなのでしょうか」
門前払い案件だろうか。
僕は慎重に返答した。
「詳細がわからないとお答えできません。このチャットでは個人情報に繋がる情報の記入をご遠慮いただいておりますので、Eメールにて可能な限り詳細を具体的にお教えください」
件名に「F350913A」とご記入をお願いします、と付け加えた。
Fというのは僕のコードで、350913は今日の日付で二〇三五年九月十三日、Aはその日の一件目のメール相談という意味だ。他の担当者にもそれぞれ、MやTなどのアルファベットが割り当てられている。一人の担当者がチャットで受けた相談をそのまま担当することができるように、ということだ。
僕は「件名・F350913A」のメールが送られてくるまで、他の相談の処理をした。
十数分後、「件名・F350913A」のメールが届いた。
二十代女性、ルカと名乗っていた。
「私は以前からあるミュージシャンのことが好きで、追っかけをしていたのですが、ストーカー規制法により彼に近づくことを禁止されてしまいました。今、動画を見たり音楽を聴いたりしていると、彼に会いたくて会いたくて涙が出てきます。こんなに辛い気持ちでいるくらいならいっそ彼のことを忘れてしまおうと思いました」
接近禁止命令が出ているストーカーか。
門前払い案件だと思いながら読み進めていった。
「忘れてしまいたいと思いながらも、これほどまでに愛している彼を、特別コースを受けて本当に忘れることができるだろうか、とも思います。もし忘れたとしても、この気持ちはどこかに残っていることはないのでしょうか。彼の記憶を消した後、もし再び彼の姿を見た時に同じように好きになったとしたら、それは、彼への愛が運命だと思うのです。私は、今の辛い気持ちを忘れてしまいたいのと同時に、運命の愛かどうか確かめてみたいのです。それで特別コースを受けたいと思いました」
メールを読み終えた僕は、これは危うい、と思った。
でも僕は、断りのメールを書けなかった。
「運命の愛……」
僕は今までこの仕事に疑問を感じてこなかった。
世の中には忘れてしまいたいことが溢れている。僕にはこの仕事は人々のニーズに応えているという自負があった。
一方、心のどこかで、今まで愛していた人やペットを忘れることにしっくりこない気持ちがあった。僕はその微かな違和感を掘り下げることはなかったし、今も考える気はない。
言ってしまえば僕の違和感など、砂浜に落ちているネジのようなものだ。なぜこんなところにネジが落ちているのか深く調べれば何かの事情があるのかもしれないが、わざわざそれを拾って調べることが僕の人生に果たして重要なのかということだ。
でも、もしかしたら僕は、この彼女のような人を待っていたのかもしれない。
たとえ記憶をなくしても、どこかに愛は残る、それが運命の愛ならば気持ちは再び蘇る、と彼女は言う。
僕は、審査部のアネゴ、高島先輩に相談することにした。
メールと共に、僕の疑問を送った。
「ストーカーの被害者の記憶をなくすことは禁止だけれど、その逆ってどうなんですか?今後のためにも教えてください。お願いします」
申込案件に私情を挟んではいけないのはわかっている。ただ僕は、彼女の言う運命の愛というものを見届けてみたくなったのだ。
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