第2話

 チャットやメールでの相談に対応し、申込の処理をして午前中の業務を終えると、僕らコンサル係は交代で昼休みを取る。


 この日の昼食は、同期の石川と一緒だった。

 社員食堂のテーブルで向かい合って座っていると、審査部の高島先輩がやってきた。

 彼女は僕らよりかなり年上だが、気さくで面倒見がいいことから、僕らは影で「アネゴ」と呼んでいる。

 高島先輩は、僕の横に天ぷらうどんのトレーを置くと言った。

「そうそう、石川君、朝イチの案件、あれ何?あれって門前払い案件でしょう」

「朝イチの案件って何でしたっけ」

 僕らは、申込案件を右から左へ流し、すぐに忘れる。

 お客様の悲しみと毎日毎日接しているのだ。事務的に処理し、済んだ案件はさっさと忘れるようにしないと、僕らの心にそれらの悲しみが蓄積していってしまう。

「子供が亡くなったから、家族全員で特別コース受けたいって案件。そんなの無理なんだから受け付けないでよ。それでなくても忙しいんだから、こっちに回してこないでちょうだい」

 審査部は特別コース全ての申込の審査作業をしているので、常に忙しいのだ。

「家族全員で、ですか」

 僕は驚いた。

「子供って言っても、大学生よ。両親と妹、全員で忘れるって言うの。無理に決まってるじゃない」

 我が社の忘却システムにも限界がある。

 人や物事に関する記憶、或る特定の期間の記憶を消去することが可能だが、消去することによって問題が生じる場合には申込を受けないことになっている。

 数日程度の期間ならいいが、この件のように数年に及ぶ記憶を消すとなると、依頼者の今後の生活に支障をきたす。

 例えばこの妹の場合、生まれた時から一緒に暮らしてきた兄に関する記憶を全て消すとなると、妹の記憶の多くが消える。また、その兄から受けた影響や、兄がいたからこそできた人間関係など、様々なことに齟齬を生じさせることになる。

 ひとりの子供に関する記憶を家族から消そうとすると、子供の同級生や親戚縁者、過去に関わった全ての人たちの記憶を消さねば成り立たないのだ。そのようなことはほぼ不可能なので、僕ら申込係は門前払い案件として申込を断るのが常なのである。


「ほんと、無理なこと言ってくるお客さん、多いよね」

 隣のテーブルから会話に入ってきたのは、審査部の鈴木さんだった。

 僕の祖父ほどの年齢の鈴木さんは、他企業の法務の仕事をしていて定年退職後に嘱託として我が社に採用された人だった。

「以前、私が審査した中でひどいのがあってね、若いご夫婦の旦那さんの方が申し込んできたんだけど、奥さんが流産してそのショックから立ち直れないでいるから、特別コースで流産の時期の記憶を消して欲しいという話で」

 基本的に、本人以外の人間からの申し込みは認めていない。ただ、なんらかの事情があって本人が申し込みできない場合に限り、家族またはそれに準ずる人間が代理申込できる。

「奥さんに話を聞こうとしたんだけど、鬱状態で話ができる状態じゃないと、旦那さんは言うわけ。まあ、これは、早いうちに特別コースを受けさせたほうが良いかなと思って審査を進めてたらね、驚いたよ、実際は全然違うんだ」

「と言うと」

「奥さんのご両親に確認したら、奥さんは全然元気だし、二人は今、離婚協議中だと言うのね。旦那さんには愛人がいて、奥さんが妊娠中にそれが発覚して、旦那さんが開き直って奥さんに暴力を振るったらしく、それで流産しちゃったんだって」

「はあ?」

「で、奥さんは離婚しようとしたんだけど、旦那さんが拒んで」

「なんで拒むんですか」

「旦那さんが借金を抱えてて、それを奥さんの給料で毎月返済してたらしいんだ。だから旦那さんは奥さんと別れたくない。だから奥さんから不倫と自分の暴力の記憶を消して、そのまま知らん顔して結婚生活を続けようとしたらしいよ」

「ひどっ」

「だいたい、その状態でよく不倫できますね」

「なんて身勝手な」

「結局旦那さんには断りの連絡入れて、そしたら支払済の代金を全額返せとか言われたらしいけど、申込内容に偽りがあったわけだから審査料は返済しないでそのまま終了」


 忘却システムの施術代金は審査が済んでからの請求となるが、審査料に関しては申込時の前払いとなる。

 申し込み後、技術的な問題や我が社の都合で申込が不成立となった場合には、既に支払われた審査料は全額返金される。

 しかし、お客様の都合、申込内容に虚偽記載があったり不都合な事実を隠していたのなら、審査料は返却しない契約である。そのことに関して不服とし「訴える」等のことを言ってくる人もいるが、本来「記憶消去法」で禁止されている行為であり、逆にこちらが当局に通報することもできるのだ。


「そもそも自分勝手な都合で奥さんの記憶を消去しようとしたんだから、下手すりゃ犯罪ものですよね」

「ひどいよね。この仕事してると、世の中、忘却システムを悪用しようと考える輩がまことに多いことを知るよね」

「本当ですね。自分勝手な都合を言ってくる人や、嘘八百を並べたてる人もいますよね。騙し通せると思っているのかしら」

 高島先輩も同意した。


 僕ら社員は、時々、社員食堂や休憩室でこういった話をする。申込案件については通り過ぎた瞬間に忘れるように心がけているが、それでも時には誰かに話したくなる気持ちになることもある。

 当然のことながら、守秘義務というものがあり、会社から一歩出たら業務に関してはたとえ社員同士でも話さないし、家族にも話せない。

 ここでの時間が、僕らの愚痴やストレスの発散の場なのである。


 これまでも僕は、休憩時間に先輩や同僚からいろいろな話を聞いてきた。

 入社間もなくに聞いたコンサルの若松先輩の話は参考になったので今でも覚えている。

 結婚詐欺にあった男性からの申込の話だ。


「犯罪被害者の記憶って、被害者本人が辛いからといって、全部が全部、消していいものじゃないんだよね」

 と、若松先輩は言った。

「結婚詐欺にあったある男性がね、詐欺にあったことを思い出すだけで辛いし、女性不信になりかけているので、特別コースで忘却したいと言ってきたんだけど、門前払にしたんだ。なぜだかわかる?」

「いえ」

「まず、特定の人物を忘れるためには、その人の名前や写真が必要なんだけど、詐欺師は偽名を使うのが常套手段で、自分の写真を残さない」

 僕は頷いた。

「でも、それだけじゃない。写真があったとしても、施術はできない。忘却してしまうと再び同じ相手に騙されてしまう危険があるからだ。いくら記憶を消しても、詐欺にあう人間の本質は変わらない。一度詐欺にあった人は何度でも騙される可能性が高いから、防犯の意味でも記憶を消しちゃいけないんだ」

「なるほど」

「問題はまだある。詐欺によって失った金銭に関する矛盾が生じるってことだ。その案件の男性は、警察に被害届を出していないし、親や知人に結婚詐欺にあったことを伝えていなかった。結婚詐欺に限らず詐欺被害にあった人間は、誰にも相談しないことが多いんだ。そうなると、失った金銭に関してつじつまを合わせることが困難となるから、結局、記憶の消去はできない、門前払いしするしかないんだよ」

 若松先輩の話に納得した僕は、それに倣って、詐欺被害の特別コースの申込は、特別な例を除いては門前払いにすることにした。

 先輩は更に言った。

「詐欺被害を忘れたい、というのは、どっちかっていうと、詐欺にあった自分を恥じて忘れたいっていう本人の自尊心の問題のが多いから、さほど気にならない。辛いのは、本当に忘れさせてあげたいことを門前払いにすることだ」


 その時はよくわからなかったが、今では少しわかる。時々そういった申込に遭遇するからだ。

 親の虐待などがそうだ。

 親から虐待を受けて育ち、それがずっと心の傷となり残っている人がいた。自分もまた子供を虐待してしまうのではないかと、家族を持つことを恐れていた。

 僕は、その親の存在を全て忘れさせてあげたかった。でも技術的に不可能だ。その人は、心の傷を抱えたままずっと生きなければならない。かわいそうだが僕にできることは何もない。

 この会社の忘却システムが生まれていない頃には、皆、自分で耐えて生きてきたのだから仕方がない、と割り切るしかないのだ。

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