第68話 拾われ子達とエルフと番犬と
「スイ」
新年祭三日目の夜、夕食を終えて食後のお茶を飲んでいるスイの名を、シンシアが呼んだ。
「新年祭は楽しめましたか?」
『はい。世界中から集まる人や物は、文化の違いが見えて凄く楽しかったです』
「それは喜ばしい限りです。クリス殿下との事もありましたから、疲弊して楽しめないのではと思っていましたが杞憂でしたね」
安心した様にシンシアは微笑んだ。
「クロエから、次の行先については新年祭の間に考えると聞いていましたが、もう決まりましたか?」
『……いえ、まだです。でも、明日には部屋が空くと思うので朝に宿に移ろうと思っています』
「いえ、早く出ていって欲しいと言う話ではないですよ。急ぎの用が無いのならば、ひとつお願いがあるのです」
『何ですか?』
お茶の入ったカップを持ちながら、シンシアは目を僅かに伏せた。
「明日一日、私達に付き合ってください」
翌日、シンシアとクロエは王都の外の平原地帯にスイとコハクを連れて来た。
街道からは外れているので、近くに人影は見えない。
「この辺にしましょうか」
『シンシア様、此処で何を――』
前を歩いていたシンシアが振り向くと同時に、何かがスイの左頬の下を掠めた。
ピリッとした痛みが走り、液体が顎を伝うのを感じる。
「スイ!? シンシア、何を……っ!?」
「邪魔はさせません。あなたの相手は私です」
シンシアに向かって飛びかかろうとしたコハクをクロエが抑え込む。互いの魔力が陽炎となって空気が揺らいだ。
スイは、ちらりとふたりに向けた目をシンシアに戻した。あまりにも突然の事に、驚愕と戸惑いの表情で問いかける。
『シンシア様、これはどういう事ですか……!?』
「……スイ、本気でかかってきてください。然もなくば」
――死にますよ。
『…………っ!!』
超速で襲い掛かってくる
スイが連続で放った
『シンシア様、説明してください! 私はあなたとは、あなた達とは戦いたくありません……!!』
「ならば、死にますか?」
スイの悲痛な叫びに、シンシアはいつもと変わらない口調で、しかし氷のように冷たい声で答える。それはスイに強い違和感を与えた。
「あなたは戦いたくなくても、相手には戦う理由がある。避けられない戦いとなった時、あなたはそうやって駄々を捏ねるだけですか?」
『……っ』
「戦う事無く対話で解決出来るならそれに越した事はありませんが、この世の中、それは綺麗事と言えるでしょう。それはハンターとして生きているあなた自身もよく理解している筈」
『痛っ……!』
同時発動の
「戦いたくないと意地を張るのは結構。しかし、その代償としてあなた以外が傷付く事になっても、あなたはその意地を張り続けられますか?」
ぎゃおん! とコハクの悲鳴が聞こえて反射的にそちらに目を向ければ、毛を赤く染めたコハクが地面に倒れていた。起き上がり、クロエを睨みつける目は鋭いが、息が切れている。
『コハク!』
「だ、大丈夫……心配するな」
「クロエは風属性を持っています。彼女は私が止めるまで止まりません。その様に言ってありますから」
スイの顔が怒りと遣る瀬無さに歪む。群青色が薄れ、翡翠と燐灰石の眼がシンシアに向いた。
「……もう一度言います。本気でかかってきなさい、スイ」
『……どうして……!!』
スイの周囲を風が渦巻き、氷の粒が乱反射を起こす。
冬の空の下、雹を巻き込んだ暴風が吹き荒れた。
「……凄まじい魔力です。僅か十一歳でこれならば、スイ様には魔導師として生きる道もありますね」
涼しい顔をしたクロエはスイの方に目を向けたまま、振り下ろされた爪を避けた。
「それに対して、あなたは実に力不足です。物理も魔法も攻撃が愚直で狙いが解りやすい。幼獣と言うのを差し引いても、あまりにも弱い」
「あぐっ!」
コハクの横腹にクロエの容赦無い蹴りが入った。風魔法をくらって出来た傷への追討ちに、鋭い痛みが走る。
「手加減をしているのにこの為体。冥府の暗殺者が聞いて呆れます」
「……お前、人間じゃないな?」
クロエの輪郭がぼやけ、曖昧になる。
「気付いてはいましたか。スイ様も私に違和感を抱いている様でしたが……」
初めて会った時、姿を見せた自分に不思議そうな顔をしたスイをクロエは思い出す。
人型の輪郭が崩れ、別の形を成そうとするそれは、四足の獣を象った。
「……犬……!?」
深緑の毛を持つ大型犬、その姿から溢れる風の魔力は人型の時の比では無い。
「私はクー・シー。精霊の番犬です」
『くそっ、やっぱり精霊か……!』
クー・シーは、己も精霊でありながら他精霊の守護者を役目とする。種族名が付けられている数少ない精霊の一種だ。
「人型で話にならないのであれば、これ以上出来る配慮もありません。それならば、いっそ本来の姿で完膚無きまでに叩きのめして差し上げます」
風に乗った魔力がコハクの裂傷を抉る。
「…………!!」
「己の無力さを恥じなさい」
「何だと、この犬っころ……!」
「そうやって無駄に吠えていなさい、どっちつかずの中途半端が」
風と地の魔力がぶつかって空気が裂け、地面がひび割れる。クロエとコハクはほぼ同時に互いに飛びかかり、組み合った。
『(コハク……!)』
血を撒き散らして戦うコハクの姿に、苦しい胸を押さえてスイは集めていた魔力を消した。風が止み、氷の粒も消え去った。
「……スイ?」
訝しげに名を呼んだシンシアのすぐ隣に、轟音と共に雷が落ちた。
「!?」
詠唱は無く、魔力も感じない。これは魔法ではなく――。
「精霊術……!」
予兆無く次々とスイから放たれる雷の光線に、シンシアは
無数の雷が
「(速い!)」
後ろに感じる微かな人の気配に、シンシアが振り向くとショートソードを振り抜こうとするスイと目があった。その眼は涙に濡れている。
「シンシア様!!」
防ぐ事も避ける事も出来ない一撃に、クロエが焦りの声をあげる。
しかしスイがショートソードを振り抜く事は無かった。
『……シンシア様、教えてください……!』
スイの声と右手は震えている。
左右異なる色の眼から涙を流しながら、スイは何度目かの嘆願の言葉を口にした。
『この戦いの意味を、私達を害する理由を教えてください……! 理由無く、おばあさまの妹様であるあなたを傷付けるなんて私には出来ません……!』
「……理由があれば、あなたはその剣を振り抜けるのですね?」
『…………っ!!』
質問には答えず嗚咽を殺したスイを見て、シンシアは目を伏せた。
「(やはり駄目でしたか……スイは私を傷付けられない。例え理由があったとしても、それは変わらないでしょうね)」
相手が自分とは何の縁もない犯罪者だとしても殺すのを躊躇うスイが、
「……ごめんなさい、スイ」
シンシアは精霊術を放つ。超近距離で撃たれた幾つもの氷の楔が、スイを襲った。
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