第69話 拾われ子達とハルピュイアの群れ

『…………?』


 避けられないと覚悟して目を閉じて攻撃に備えたが、空気がひやりとする以外は何も無い。

 そっと目を開ければ、氷の楔はスイの足元から後方にかけて地面に刺さっていた。

 先程のシンシアの謝罪はどういう意味なのか。理解出来ずに、スイはシンシアを見上げた。


「ごめんなさい、スイ」


『っ!』


 もう一度謝ったシンシアがスイの涙を拭おうと手を伸ばしたが、後退ったスイを見てその手を下げた。


「……あなたとコハクにつらい思いをさせました。私達に不信感を募らせて当然です。あなた達に襲いかかった理由を話したいと思いますが……その前に治療が先ですね。コハク、此方へ来れますか?」


「……、……」


「仕方無いですね」


 よろよろと歩くコハクを、人型に姿を変えたクロエが抱えた。


「やめろ、離せ……!」


「自力でまともに歩けないなら黙って運ばれてください」


 シンシアの傍にコハクを降ろすと、スイがコハクに抱きついた。


『ごめんコハク……ごめん……!』


「……大丈夫、気にするな……」


 戦えない、戦いたくないと拒否し、戦闘を長引かせた結果、満身創痍になったのはコハクだ。スイは後悔の涙を流す。


「……ヒーリング」


 水の魔力がスイとコハクを包むと、ふたりの傷は綺麗に消えた。だが治癒魔法は傷が治るだけで、疲労感を無くしたり失った血を戻す事は出来ない。そして、精神に負った傷も治せない。

 ふたりは今、心身共に強い疲労感に襲われている。泣き腫らしたスイの目元は赤い。


「……家に戻って話しましょう。外にいるのは危険ですから」


『……はい……』


 四人、無言のまま王都に向かって歩く。シンシアとの戦いを振り返っては酷く悔いているのか、スイの頬を断続的に涙が流れていった。


「…………!」


「……これは……」


 コハクとクロエが突然脚を止めた。クロエはすんっと鼻を鳴らし、コハクも耳と鼻を動かしている。


『……何かいるの?』


「クロエ、どうしました?」


 二人の問いに、コハクが先に答えた。


「獣に近い鳥のにおいと羽撃く音がする。数が多いし、人間の悲鳴も聞こえるから襲われてると思う」


「この臭い……ハルピュイアですね。しかし奴等は中央大陸ではなく、東大陸に生息している筈。臭いが東街道の方から来るのが気になります」


 人間の女性の様な顔と胴体に、羽の両腕と下半身を持つハルピュイアは危険度D+のモンスターだ。風属性を持ち、東大陸の高地に群れで生息している。空を自在に飛び、急降下による鋭い爪での攻撃と風魔法で獲物を仕留める。

 肉を好んで食べるので鳥や牛等の家畜が狙われやすいが、人間の子どもや女性も狙う事があり、東大陸では町の近くでハルピュイアの目撃情報があるとすぐにハンターズギルドに討伐依頼が出される。


『……あっ』


 スイは新年祭で聞いた話を思い出す。


『東大陸は、モンスターが凶暴になったり生息地を変えたりしているって屋台の人から聞きました。東から移動してきたんじゃ……?』


「……そうだとしたら、これは何かよからぬ事の前兆かもしれません。クロエ、準備を」


「はい」


「スイとコハクは王都に先に戻っていてください」


『……いえ、私も戦います』


 シンシアは振り向き、困った様な顔でスイを見た。


「スイ……」


『シンシア様、私はハンターです。モンスターに襲われている人がいるのに、それを無視する事は出来ません』


「恐れながらシンシア様、人々を守りながら私一人で多数のハルピュイアを蹴散らすのは、相性の問題も有って骨が折れます。可能でしたら、スイ様の力をお借りしたいのが本音です」


 クロエもハルピュイアも風属性を持つ。魔法での範囲攻撃が効きにくいとなると、クロエだけに相手をさせるのは利口ではない。クロエの願い出にシンシアは数秒躊躇したが、頷いてスイを見た。


「……そうですね。スイ、あなたに無体を働いておいてこんな事を頼むなど、厚かましいのは承知の上ですがどうか力を貸していただけると助かります」


『勿論です』


「スイ」


 不安そうに見上げてくるコハクに、スイは頷いた。


『大丈夫、無理はしないよ。ちゃんと解ってる』


「……それなら良い。オレも一緒に戦う」


「あなたはやめておいた方がいいのでは? 血も魔力も足りていないでしょう」


「お前のせいだろ。オレは追い込む役だ。仕留めるのはお前とスイに任せる」


「……倒れても知りませんよ」


 三者三様に戦いの準備を始める。その姿を見ていたシンシアは一度目を閉じると、何も無い空間に手を伸ばした。黒い穴が空中に空き、手首から先が消える。

 その様子に、スイとコハクは目を丸くする。


「無属性魔法の収納空間ストレージです。スイ様達の様な旅人が持つ、アイテムポーチ等に付与されているものと同じです」


 シンシアは穴から手を引き抜くと、持っていた物をスイとコハクに渡した。


「魔力水です。だいぶ魔力を使ったでしょうから、飲んでおいてください」


『はい、ありがとうございます』


「では急ぎましょう」


 東街道に向かって走る。やがて見えてきたのは、散乱する荷物や壊れた荷車、怯えて逃げ惑う人々だった。ハルピュイアの爪で切り裂かれたのか、血を流している人も多く見られる。

 二十羽前後のハルピュイアが空から人に襲いかかったり、食料を漁ったりしていた。機嫌が良いのか、歌う様に鳴いているが不協和音でしかなく、非常に耳障りだ。


「私は怪我人の治療に当たります。クロエ達はハルピュイアの討伐を。逃がすと厄介なので出来れば殲滅をお願いしますが、スイとコハクは自分の身の安全を最優先に動いてください」


「承知致しました」


『解りました』


「! キアアアアア!!」


 クロエ達に気付いた一羽が甲高い奇声をあげて仲間に伝える。輪唱する様に鳴く数羽のハルピュイアの羽を、岩槍ロックランスが貫いた。バランスを崩し、落下してきたのをクロエとスイが各個撃破していく。


「キアアアアア!?」


「うるっさいな! こいつらの声!」


「同意です。あの声で気持ち良さそうに歌っているのが癇に障ります」


 ハルピュイアを仕留めていくクロエは真顔だが、苛立っているのだろう。羽をへし折る様が容赦無い。


氷槍アイスランス!』


 スイも魔法で羽を撃ち抜いてハルピュイアを地面に落とす。広範囲の氷魔法で纏めて凍らせてしまいたいが、それぞれが距離を取って飛んでいる為に一度に落とせる数に対して魔力効率が悪く、局所魔法で羽を狙うしかない。


「スイ様、その様に落としていただけると助かります。私の力は奴等にあまり効きませんので……」


『解りました』


「うわぁぁあ! やめろ、やめてくれ!」


『!?』


 男性の悲鳴に何事かと目を向ければ、ハルピュイア達が大きな鳥籠を壊していた。中に入っていた鳥に噛み付き、空に飛び上がる。

 残っている鳥達は捕食者に襲われた事で恐慌状態に陥っている。その鳥と悲鳴をあげる男性に、スイとコハクは見覚えがあった。


「メッセージバードの店の人間!」


『なんて事を……! 放せ!』


 氷大砲アイスキャノンが一羽の頭に命中し、噛み付かれていた赤いメッセージバードが落ちてくるのをスイが受け止めた。急いでアイテムポーチから回復薬を取り出し、傷口にかけるとショルダーバッグの中に入れる。

 残党を倒そうとスイが駆け出すと、ハルピュイアは大きくひしゃげた鳥籠を爪で持ち上げて空に飛び上がった。


「スイ、オレが撃ち落とすから籠を頼む!」


『解った、お願い!』


「岩槍!」


 コハクの放った魔法をハルピュイアはひらりと避ける。群れの中でも一際飛行能力が高いその個体は、続け様に撃った地魔法もすべて躱した。


「くそっ、当たらない……!」


「ちゃんと狙ってください」


「言われなくてもやってる! あいつ……!」


 息を切らしながら睨むコハクを、煽る様にハルピュイアがニマリと嗤った。


『――氷結フリーズ!』


「キアッ!?」


 羽がゆっくりと凍り始めた。濡れていないので一気に凍りつきはしないが、飛行が不安定になる。

 先程の仕返しと言わんばかりにコハクが口角を上げて岩槍を放つ。羽に穴が空き、落下し始めたハルピュイアの脚を、高く飛び上がったクロエが蹴った。骨の折れる音に一拍遅れてハルピュイアの悲鳴があがった。


「歌声と悲鳴に、そんなに違いはありませんね」


 爪から外れた鳥籠が空中に投げ出される。スイは全速力で走り、鳥籠が地面にぶつかる直前に滑走しながらそれを受け止めた。

 大きな音と揺れにメッセージバード達が騒いだが、衝撃による怪我は無い様でスイは息を吐いた。


「大丈夫ですか? スイ様」


『はい、コハクとクロエさんのおかげで皆無事です。ありがとうございました』


「此方こそ、御助力感謝致します。では、他のも片付けてしまいましょう」


 クロエの目が残りのハルピュイアに向いた。




「皆、よく戦ってくれました」


 怪我人の治療を終えたシンシアが、ハルピュイアを殲滅したスイ達に歩み寄る。


「死者は出なかったのが幸いでした。ハルピュイア以外に移動してきたモンスターがいないとも限りませんので、早急に各ギルドに連絡した方が良いですね。クロエ、お願い出来ますか?」


「承知致しました」


「あ、あの」


 割り込んできた声の方を向けば、メッセージバードの店の主人が立っていた。負っていた怪我は綺麗に治っている。


『あ、この子達お返ししますね』


「あぁ……坊やは凄い子だったんだな。皆さん、うちの子達を助けてくれて本当にありがとうございます」


 スイが店主に大きくひしゃげた鳥籠を差し出すと、ショルダーバッグがもぞもぞと動いた。一羽のメッセージバードが飛び出し、鳥籠の上に乗ってスイの方を向く。

 赤い羽に真紅の眼。露店で一番元気の無かった個体だ。


『あぁ、怪我が治って良かった……ん?』


 じっと見つめられて、スイはメッセージバードの様に首を傾げた。


『どうしたの?』


 カパッと嘴が開く。


「助ケテクレテアリガトウ。ゴ主人様」


『………………え?』


 その場にいた全員が、流暢に喋った赤いメッセージバードを凝視した。

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