第48話 拾われ子は冒険者達と話す

 ポルダの町外れにある川辺。ブーツを脱ぎ、冷たい川に足を入れたスイはソープナッツを麻袋に入れて水に濡らし、擦り合わせた。水がぬるぬるとした手触りになり、すぐに白い泡が雲の様に膨らむ。

 スイは振り返るとコハクに近付いた。


『さ、洗うよ。コハク』


「……くるる……」


 これ以上無いくらい沈んだか細い声がコハクの喉から出た。


 二日間の野宿を終えて昼頃に辿り着いたポルダの町。従魔を受け容れてくれる宿もあると言うのでスイはこの町に泊まる事にした。

 しかし宿の浴室は小さく、コハクと共に入ると動きづらかった為に町外れにある川でコハクを洗う事にしたのだった。


 川の水を利用したスイの水魔法で、ふたまわり程細くなったコハクの身体に泡を乗せて、スイは手とソープナッツ入りの麻袋で洗っていく。


『そんなに濡れるの嫌い?』


「嫌い……毛が重くなるし、ぺたーって身体に纏わりつくのが気持ち悪い……」


『あぁ成程……それは気持ち解るかも』


 全身ずぶ濡れになった時、服がぴったりと身体に張り付く感覚を思い出して、スイは納得した。

 コハクはしょんぼりしていたが、鼻を動かして泡の匂いを嗅ぎ始めた。


「……これ、昨日の町で買ってた木の実? 食べ物じゃないのか?」


『ソープナッツって言って、自然の石鹸だから食べちゃ駄目。ハンターシュウは別の言い方してたなぁ……何だっけ……?』


 オアシスでも売っていて、それを見たシュウが呟いた言葉を思い出す。


『……あ、ムクロジだ。東の方ではそう言うんだって』


「ふぅん……プシュッ!」


 ぴすぴすと鼻を動かして嗅いでいたコハクは泡が鼻に入り、盛大にくしゃみをした。ぶるぶると身体を震わせる。


「あ」


 泡が飛び散り、スイが泡まみれになっていた。


「ご、ごめん、スイ……!」


『コハク、泡追加ね』


 こくこくと頷いてコハクは素直に従う。

 いつもの笑顔の筈なのに妙に凄みがある様に見えて、コハクはその様子に何故かシュウとスイが重なって見えた。


 全身を洗い終えると、スイは水魔法を使って泡を洗い流していく。手で擦り、毛の下に泡を残さない様に念入りに流し、満足した頃には太陽が傾いていた。

 川から上がるとコハクはまた身体を震わせて水気を飛ばした。

 スイがアイテムポーチから火の魔石を取り出すのを見て、コハクは恐る恐る訊ねる。


「スイ、火の魔石で何するの……?」


『私の風魔法と合わせる』


 炎の竜巻に包まれる自身を想像して、コハクはきゅーんと鳴いて縮まった。


「ご、ごめんよスイ……! もう泡飛ばしたりしないから、火炙りは……火炙りは勘弁して……!」


『え、何で?』


 涙目で懇願するコハクに、スイは疑問符を頭に浮かべながら火の魔石に魔力を込めて風魔法を発動した。コハクはびくっと跳ねて両目を前足で押さえたが、炎の竜巻はいつまで経っても襲ってこない。

 温かい風が毛を揺らす感覚に前足を退かせば、それはスイの手から送られていた。


「……あれ? 熱くない……」


『火と風の合わせ技だよ。ある程度は熱さを調節出来るから、濡れた物を急いで乾かしたい時に便利』


「スイはシュウみたいに、いらない分だけ吸い取って捨てる事はしないの?」


『野宿で使う薪みたいにカラカラに乾燥させるなら良いんだけど、ある程度の水分を残しつつ、不要な分だけ抽出するのは魔力操作が繊細過ぎて、まだ私には難しいんだ』


 風呂上がりの自分の髪を魔力操作で乾かそうとするとパサパサになるので、スイはいつも風魔法で乾かしている。


「そっかぁ。シュウは魔力の扱いが上手いもんなぁ」


『ね。あの技術に全然追いつける気がしない。ある意味、おじいさまやおばあさまより凄い人だと思う』


 あらゆる武器を使いこなし、身体強化ストレングスによる物理攻撃で敵を屠るマリクは魔法が不得意であり、身体強化以外の魔法は殆ど使わなかった。

 レイラは地・水・光・無属性魔法と精霊術を巧みな魔力操作で使いこなしたが、物理攻撃戦が不得手で杖による護身術が使える程度だった。

 マリクとレイラがそれぞれ特化型なら、物理攻撃も魔法攻撃も使いこなすシュウは汎化型と言う事になるが、その技術力は凄まじく高い。


『……ハンターとして目指すのはおじいさまだけど、戦い方としてはハンターシュウに憧れる』


「次会う時までにシュウみたいになってたら驚くんじゃないか?」


『……なれるかなぁ……いや、なれる様に頑張るのみだよね』


 追い越せなくても、追い付けなくても。

 せめて、今は遥か遠くにあるその背中に、もう少しで手が届く。そんな距離までには近付きたい。


「シュウの驚く顔、見たいなぁ」


『……それは私も見たい……』


 本気でシュウを目指して鍛錬してみようと、スイは密かに決意した。


 コハクの身体を乾かして町に戻る頃には陽が落ちていた。

 昼間開いている店は閉まり、酒場の店先に明かりが灯ったのを見ながらスイはその前を通り過ぎる。


『酒場に入れたらいいんだけどな』


 町で一番情報が集まる場所だが、年齢的にスイは入れない。中央大陸に入って初めて泊まったタイラの町で、しれっと入ろうとしたが中に入った瞬間に丁寧に、しかし有無を言わせない静かな迫力をもって退店させられた。


「何歳になったら入れるんだ?」


『成人と認められる十五歳。だから私はあと四年とちょっとだね、長いなぁ』


「早く時間が経つ魔法とか無いのかな」


『聞いた事無いなぁ。逆の魔法に興味を持つ人はいっぱいいるけど、研究が禁止されているし』


 時を止める、或いは戻す魔法を求める人は多いが、国王が世界中に向けて研究の禁止令を出している。背けば重罪だ。


『ズルしないで一日一日を一生懸命生きなさいって事かな?』


「そうかぁ……それもそうだな」


 話しながら歩いている内に、今晩泊まる宿に着いた。ドアを開ければオーナーがちょうど受付に居た。


「いらっしゃ……あぁ、坊や達か。おかえり」


『ただいま戻りました』


「夕食は用意出来てるが、もう食べるかい? 時間帯的に人が多いから、相席になるが」


『大丈夫です、お願いします』


「じゃあ入って一番右奥のテーブルについてくれ。すぐに料理を持っていかせる」


 スイは返事をすると、併設の食堂に向かった。右奥の窓際のテーブル席には、既に三人の男性が座っている。


『こんばんは。相席しても大丈夫ですか?』


 宿泊しているという事は、宿代を払う際に繁忙時の相席について説明されて了承している筈だが、スイは念の為に断りを入れる。

 三人は子どもとモンスターの組合せに驚いたが、笑顔で着席を勧めた。


 三人は、自分達はCランクの冒険者で年嵩の男性がリーダーのマーヴィン、三十代前半の男性はダドリック、一番若い二十代半ばらしき男性がランディと名乗った。


『スイと言います。お邪魔します』


「君みたいな子が旅をしているとは驚いたな。テイマーか?」


『いえ、ハンターです』


 スイがマントに隠れていたハンターの証を見せると、三人共目を丸くした。


「ハンター!? って事は、もしかして一人旅か?」


『えっと、コハクがいるのでふたり旅です』


「ぐるぅ」


 コハクが挨拶がてらに鳴くと、三人の視線はコハクに注がれた。


「……不躾ですまないが、そのモンスターの種族を訊いても良いか?」


灰色獅子狼アサシンレオウルフです』


「やはり……! 凄いな君は! その歳でテイムの前例が無い灰色獅子狼を従えるとは……」


「あれ、でもさっきテイマーじゃないって……」


『はい。テイムのスキルを持っていません。コハクとは従魔ファミリア契約をしています』


「従魔契約!? 灰色獅子狼と!?」


「馬鹿、声がデカい!」


「痛っ! す、すまん!」


 スパンっと良い音を立てて頭を叩かれたランディにスイが戸惑ったが、叩かれた当人は何ともないらしく手を合わせてスイに謝った。

 食堂内は満席で騒がしく、先程の大声に反応した者はいないようだ。近くのテーブルの冒険者が二・三人、頭を叩かれたランディを見て何事かと視線を向けてきたが、すぐにそれぞれ会話に戻っていった。


「冥府の暗殺者が人に心を開くなんて、あるんだな……」


「はいよ、お待たせ。坊や達の分はすぐに持ってくるから、もうちょっとだけ待ってくれ」


 給仕の男性が三人分の夕食を持ってきて、それぞれの前に置いた。

 言葉通り、すぐにスイとコハクの前にも置かれる。


「よし、食うか」


『いただきます』


 スイが両手を合わせると、三人はスイをじっと見た。


『……あの、何か……?』


「あ、すまん。珍しくてな」


『珍しい?』


「スイは東出身か? そのイタダキマスって向こうの食前のお祈りだろ?」


 スイの手が止まる。

 今まで意識した事は無かったが、確かにオアシスでは誰もしていなかった気がする。やっていたのは、シュウだけだ。


『……こちらの人は、違うんでしたっけ』


 東出身かどうかには答えずに、スイは当たり障りの無い様に答える。


「育った地域によるが、食前の祈りがある所もある。けれど、スイの祈りは東でしか見た事無いな」


『東に行った事があるんですか?』


「あぁ。中央大陸に来る前は東大陸にいたんだ。つっても、東側は高難度地域だからもっぱら西から中央にかけてしか旅をしなかったが。中央の町にいる時に、何人かそう祈ってる奴等を見たよ」


『……そうでしたか。東大陸は今、どんな感じでした?』


「……モンスターが不安定だったな?」


 マーヴィンが訊ねると、他の二人も頷いた。


「事前に調べたモンスターの生息域とは違う所にいたり、やたら強かったりしたな」


「こういうのは何か大きな異変が起こる前兆だったりするからなぁ……ギルドに報告して、仕事が終わり次第すぐに東大陸から出てきたよ」


『……何か、強いモンスターが出るとかって噂はありませんでした?』


「強いモンスター? 東側に行けば出たかもしれんが、西側と中央では特に聞かなかったな」


『そうですか……』


 中央大陸でもモンスターの異変は起きているが、シュウが言っていたのはこの事なのだろうか。しかし、この程度の異変であんなに強く東大陸へ渡る事を止めるだろうか?

 スイは手が止まっていた事に気付いて食事を再開した。


「スイは何処から来たんだ?」


『西大陸からです』


「西大陸……!?」


 てっきりポルダの町から近い町の名前が出てくるかと思いきや、他の大陸が出てきた事にランディは驚きを隠せない。


「まさか……ちょ、ちょっとさっきのハンターの証、もっかい見せてくれないか?」


『良いですよ』


 スイはシチューを掬っていたスプーンを置くと、首から下げている証を外してランディに渡した。


「……銀鉱石……Dランクだ……」


「各大陸間の移動は冒険者もハンターもDからしか許可されない。スイは優秀なハンターだな」


「……そう言えば、数ヶ月前にハンター達が西大陸で史上最年少のハンターが生まれたって言ってたが……」


 ダドリックに視線を向けられ、スイは目を逸らしたが質問をぶつけられた。


「スイ、歳は?」


『……もう少しで十一歳です』


「て事は今十歳だな。やはりあの話は本当で、スイがその最年少ハンターか」


 スイのささやかな誤魔化しは無駄に終わった。

 ランディから返された証を首にかけて、スイはシチューを口に運ぶ。


「中央大陸に来たって事は、王都の新年祭が目的か?」


『新年祭? あっ』


 ダドリックに言われて、スイは新年祭なるものの存在を思い出した。

 年が明ければ人はひとつ歳を重ねる。新年祭は前の一年を無事に過ごし、新たな一年を迎えられた事を祝う行事だ。

 各町で行われるが、王都の新年祭は街の規模が大きく、王族も関与するだけあって、一際賑やかで王都観光の目玉のひとつと言われている。


「何だ、違ったのか?」


『忘れてました。でも、どうせなら王都の新年祭見てみたいです』


「見た事無いなら行っとけ行っとけ! 屋台がたくさん出るし、商人も集まるから掘出し物に出会える確率もぐっと高くなるぞ。あと単純に楽しい」


 ランディの最後の一言こそ、簡潔にして最大の本音なのが透けて見えてスイは笑った。


『新年まであと二ヶ月くらいですよね……間に合うかな……』


「スイは朝から夕方迄でどれくらい歩ける?」


『タイラの町からアクの町までは歩けました』


「それなら間に合うんじゃないか?」


「ギリギリにはなるだろうが、その調子で旅を続ければ恐らく間に合う」


『……じゃあ、頑張って間に合わせます』


 スイは養祖父母に拾われてから二人が亡くなるまで小屋で過ごしたので、新年祭がどんなものなのか話として聞いてはいても、実際に体験をした事はない。

 初めての新年祭、それも王都で行われる大規模な新年祭を見る事が出来るかもしれない。

 そう思うと、スイの心は逸り、床についていない足がパタパタと揺れた。


ぐるスイ


『ん?』


ぐるるる新年祭ってぐるるるる美味い肉あるかな?」


『あるんじゃないかな? 屋台もいっぱい出るみたいだし』


 コハクと会話をするスイに、三人は感心の溜息を漏らした。


「疑っていたつもりはないが、本当に灰色獅子狼と難なく会話しているのを見ると……何だか凄い光景を見ている気分になるな」


「コハクだったか? 何て言ってるんだ?」


『新年祭に美味しい肉はあるのかって』


「あるぞ! あるある! めでたいって事で肉屋も質の良い肉を用意するからな。値は張るけど」


ぐるるやった! ぐるっスイ!」


『今の内にお仕事頑張んなきゃね。中央に行くにつれて、依頼のランクが下がるだろうし』


 中央大陸の端側ならDランクの依頼もそこそこあるが、王都がある中央に近付くにつれてランクも報酬も下がる。五大陸の内、最も安全と言われる中央大陸だが、中級ミドルランク以上のハンターにとっては稼ぎ甲斐の無い大陸とも言える。


「ハンターはそこが大変だよなぁ……冒険者もあんまりランク高いと、場所によっては稼ぐの大変だけど」


『……中級以上の冒険者の方々はどうしてるんですか?』


「C迄なら王都でもそこそこ依頼が入るからあんまり食いっぱぐれる事は無いが、上級ハイランクになるとダンジョンに潜る方が稼げるとは聞く」


「ダンジョンでしか採れない武具や素材もあるからな」


「でもダンジョンってモンスターが強いんだよなぁ……よくあんな強いの倒せるなって、潜った奴等やハンターを見る度にいつも思うよ」


「……腕に覚えがあるなら、スイもダンジョンに潜ってみたらどうだ?」


『え?』


 ダドリックの勧めに、ランディが声を荒げた。


『ダドリック! 危ないだろ!』


「だから腕に覚えがあるならと言った。下級ローランクならまだしも、Dランクなら、リロの洞窟辺りなら危険も少ない筈だ」


『リロの洞窟ってどの辺にあるんですか?』


 スイが訊くと、アーヴィンが食べ終わった食器を重ねて端に退かし、空いたスペースに地図を広げた。


「俺達が今いるポルダの町が此処だ。リロの洞窟は此処から東に向かった所、この辺にある。王都の北西に位置し、スイの足なら王都から三日くらいの距離だな」


『三日……広さはどの位ですか?』


「地下七階が最下層だが、一層ごとの広さは人によって違う」


『?』


 どういう事かと首を傾げると、ダドリックがダンジョンについて説明を始めた。


「ダンジョンは自然の力によって生成され、入る毎にフロアの広さや形が変わる事もあって精霊達の戯れとも言われている。変わらないのは出てくるモンスターと採れる素材、それと最下層の位置だ」


 すべての層が狭ければ数時間で踏破する事も可能だが、広ければ広い程時間はかかる。階層だけ見れば七階層と浅い方だが、運が悪ければ数日地上に帰って来れなくなるのだ。


「王都に向かう途中で潜って、素材を集めて王都で売ればそれなりに金になると思う」


「問題があるとすれば、時間を掛けすぎると王都の新年祭に間に合わなくなる事だな」


『………………』


 スイは考え込む。資金に余裕はあるが稼げる時に稼いでおきたい。

 スイのランクならば下はEまで請けられるが、王都に近付く程にFランクの依頼が増えてくる。そうなるとスイはギルドの規則的に依頼を請ける事が出来ない。

 指名手配モンスターをメインに稼ぐにも限度がある。


「……ぐるる行く途中で決めてもるるる良いんじゃないか?」


『……そうだね』


 スイはハッとして頷く。

 中央大陸の次の行先を考えたときもだったが、どうにも結論を急いでしまう。

 スイは乗り出していた身を引っ込ませた。


『ちょっと今は決められないので、旅をしながら考えます』


「そうだな、それが良い」


 アーヴィンは地図を丸めてアイテムバッグに入れた。


『皆さんも王都に行くんですか?』


「いや、俺達は逆だ。王都に寄ってきて、今度は西大陸に行こうと思っている」


『西大陸に? もしかしてアードウィッチに行くんですか?』


 西大陸に町はふたつしかない。旅人が向かう可能性が高い方の名前を上げれば、肯定の返事があった。


「そうだ。武具を新調したくてな」


『どのお店も質が高いので、きっと気に入る物が見つかると思います』


「そうであれば良いと思う」


 スイは最後のパンの欠片を飲み込み、手を合わせた。大人三人はとっくに食べ終わっている。食堂前に人が集まって来たのを見て、四人は椅子から立ち上がった。


「スイの旅路に幸運がある事を願うよ」


『皆さんにも、良き出会いがあります様に』


 旅人同士の挨拶を交わして、それぞれ自分の部屋へ戻って行った。

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