第34話 拾われ子が通らなければならない道 後日談
――ざりっ、ざりっ
何かを削る様な音が聞こえる。スイは頬に痛みを感じた。
『……痛っ、痛い……え?』
「ぐるるるるる!!」
目を開けたら目の前にコハクの顔があった。
鏡で顔を見たら左頬が赤くなっていた。コハクの舌は猫みたいにざらざらとしている。だいぶ長く舐められたらしい。
『(どのくらい眠ったんだろう……身体が気持ち悪い)』
スイは重い身体をのろのろと動かして着替えを持って風呂場へと消えた。
ほぼ同時に部屋のドアが開き、シュウが入ってきた。
「……スイ? コハク、スイは何処に?」
「ぐるる」
コハクは洗面所に繋がるドアの前で前足を揃えて座り、尻尾を揺らす。
「風呂か……そうか、目を覚ましたか……」
――ガラガラガラッ!
風呂場から聞こえた大きな音にシュウが速足で洗面所の前に移動し、ドアを強めにノックした。
「スイ、大丈夫か?」
――ハンターシュウ!? だ、大丈夫です! ちょっと転んだだけです! 入ってきたら怒りますよ!
「解った解った。驚かせるな」
苦笑しながらシュウは椅子を引いて座り、本を読んでスイを待つ事にした。
ドアが開く音がして顔を上げると、タオルで髪を拭きながらスイが出てきた。
『おはようございます、ハンターシュウ……おはようで合ってます?』
「合ってる……左頬が赤いのはどうした? さっきぶつけたのか?」
『寝てる間にコハクに舐められてこうなりました……あれからどのくらい経ちました?』
「三日経った。身体の調子は?」
『……まだ身体が重いです。魔力も足りない感覚があります』
「まだ回復しきれていないな。どこか痛む所は?」
『無いです』
「……ちょっとこっちに来い」
『?』
スイがシュウの前に立つと、シュウはスイの顔の前で手の平を上に向け、人差し指だけくいっと動かした。スイの頭上に水の玉が生まれ、ぽよぽよと形を変えている。水の玉は霧散し、宙に消えていった。
『……あ、髪乾いてる。ありがとうございます』
水属性持ちは魔力操作の修練を積めば水を自由自在に操れる様になる。シュウはスイの髪から余分な水分だけを抽出して、すぐに乾かした。加減が難しいので、下手をすると抽出し過ぎて髪がパサつく。
風魔法で乾かす事も出来るが、早さならこちらの方が早い。
「今朝食を持ってくる。此処で食べよう」
『……あんまり食欲が無いです……』
「それでも少しは腹に入れた方が良い。回復が遅いのは食事を摂っていないせいもある」
『……解りました』
シュウは食堂に行くと二人と一匹分の食事を大きめのトレーに乗せて部屋に戻った。
『いただきます』
「いただきます」
三者とも黙々と食べる。コハクがハグハグと食べる音、時折皿が動く音、コップが机に置かれる音だけが二人と一匹の耳に届く。
先にスイが食べ終わり、コハクとシュウはほぼ同時に食べ終わった。
「もう入らないか?」
『……はい。すみません』
「無理に食べるのもなんだからな。仕方無いさ、片付けてくる」
『あっ、それはボクが――』
「スイが今やるべき事は身体を完全に回復させる事だ。寝てろ」
『…………ハイ』
頭を手の平で押さえられ、スイの伸ばした手はトレーに届かなかった。
シュウが部屋を出ていってすぐにスイがベッドに横になろうとすると、ドアがノックされた。シュウが戻ってきたにしては早すぎる。
『……はい?』
「スイちゃん? ジュリアンよ」
『えっ』
小走りで近付きドアを開けると、シーツを持ったジュリアンが立っていた。
ジュリアンはスイを見ると一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべた。
「シーツ取り替えようと思って来たの。入って良いかしら?」
『あっ、はい。お願いします』
「了解。ドア閉めてくれる?」
『はい』
スイがドアを閉めたのを確認して、ジュリアンはシーツを替え始めた。
「身体はもう大丈夫なの?」
『怪我は治りましたけど、まだちょっと重いのでもう少し休みます』
「そうね、それが良いわ。ねぇ、スイちゃん」
『はい?』
ジュリアンは作業を止めずに顔だけスイに向けた。
「その髪と眼が、本来のスイちゃんで良いのかしら?」
『髪と眼……あっ!』
ジュリアンが何を言っているのか理解したスイは手をあわあわと動かしたが、やがて下ろすと静かに頷いた。
『……そうです。あの、すみませんでした』
「謝る事無いわ。ごめんなさいね、責めてる訳じゃないの」
ジュリアンは眉を下げる。
「そんなに綺麗な色を持っているなら、隠した方がいいもの。スイちゃんは間違っていないわよ。私はただ確認したかっただけなの。訊き方が悪かったわね」
シーツを取り替え終わり、ジュリアンは替えたシーツを持ってドアに近付く。
「……シュウから聞いたわ。長年西大陸の人達を苦しませていた盗賊団が捕まったのも、指名手配になっていたボスをスイちゃんが倒したのも」
見上げると、ジュリアンの銀色の眼はいつもより光を反射している。
「…………本当に、ありがとうね」
微笑って礼を述べ、部屋を出ていったジュリアンをスイは呆然と見送った。すぐにドアが開いて、今度はシュウが入ってきた。
「どうした? オーナーがシーツを取り替えてくれた筈だが、寝ないのか?」
『……ハンターシュウ』
「何だ?」
『ジュリアンさんって…………やっぱり、何でもないです。寝ます』
スイはベッドに潜り、シュウに背を向けた。
本当の姿を隠してきた自分が、ジュリアンが話さない事を聞き出すのは憚られた。
「……何か言われたか?」
『……ありがとう、って』
「そうか。オーナー夫妻だけでなく、町のあちこちから言われたよ」
『……え?』
肩越しに振り返ったスイは目を丸くする。
「あの盗賊団は長年この西大陸を拠点にしててな。多くの女や子どもが攫われた。彼女らは今も行方や生死が不明のままだ。ずっと家族は苦しんできたし、次は自分の家族かもと町の人々は不安の中で暮らしてきた」
『…………』
「その元凶が壊滅したんだ。ボスは死に、生き残ったまま捕らえられた奴等は全員奴隷となる。死ぬまで解放される事はない。奴等を捕まえたハンター達と、指名手配されていたボスを倒したスイにはギルドから特別報酬が出る」
『……殺したのに、ですか?』
スイは起き上がってベッドに腰掛け、シュウに問う。
「気にする事はないって言っただろ。殺らなければスイが殺られていた。あれでいい。ただ、奴と話したのはスイだけだから、回復したら支部長が話を聞きたいそうだ」
『解りました。でも……町やそこに住む人々を守るハンターが盗賊団のボスだったのに、町の人々は怒らなかったんですか?』
スイが気にかけていた事のひとつだ。糾弾されてもおかしくない筈だと。
「勿論、町の人全員が俺達を讃えてくれた訳じゃなかった。ボスはハンターだったが、仲間に冒険者も二人程居てな、スイが言う様に、冒険者やハンターをギルド毎責める声もあった」
長年見抜けず、おめおめと騙し抜かれたのだ。両ギルドは反論出来ないだろう。
「それでも、よくやったと言ってくれる声の方が遥かに多かった。これまでこの町の冒険者やハンター達が、人々と築き上げた信頼によるものが大きいと思う」
スイはオアシスの町中での風景を思い出す。冒険者やハンターと談笑する人々を。
「両ギルドの支部長は、長年ギルド内に盗賊団がいる事を見抜けなかった責を取り、辞職する――」
『っ!! そんな!?』
「落ち着いて最後まで聞け。辞職するつもりでいたが、冒険者やハンターだけでなく、町の人々からの強い反対と要望により、そのまま支部長として再発防止に取組む事になった」
『……町の人達が……良かった、です……』
立ち上がりかけたスイはまた座り、安堵の息を吐く。
「そうだな。まぁ、もしかしたら
『ボスが身を隠す為に使っていたからですよね?』
「そうだ。まだ詳しく決まった訳ではないが。どうするかは各ギルドの支部長と町長の間で話し合われるだろうさ。暫く支部長は忙しいだろうな」
『………………』
「
『え?』
「浮かない顔をしている。疲れてるだけじゃないだろ」
『…………はい』
起きてから、風呂に入っている間も食べている間も胸の辺りに蟠りがある。スイはそれを持て余していた。
『……初めて、人を殺しました』
「うん」
『不思議と悲しくなかったんです。
「うん」
『でも、モンスターを倒すのとは確かに違う。人を脅かす存在と言うならば、モンスターも盗賊団も同じなのに。違うのは、種族だけなのに』
「うん」
シュウはただ相槌を打つ。スイの抱えている気持ちを、言葉にさせて吐き出させる。
『人を殺したと言う、何かを越えてしまった感覚と』
「うん」
『人もモンスターも討伐対象であれば変わらないのに、人を殺した時だけ戸惑うのかと言う、自分に対する疑問と』
「うん」
『殺したのに涙ひとつ出なかったのは、ボクが人でなしだからじゃないかって言う思いが、ぐちゃぐちゃになって……』
「うん」
スイは顔を両手で覆った。指の隙間から、苦悶に歪んだ表情が見える。
『何が正しいのか、何を言いたいのかも解らなくて……!』
「うん」
『…………もう、どうすれば良いのか、解んないんです…………!』
絞り出された悲痛な声。普通の人として生きていた時の常識との乖離、そこからくる自責の念、ハンターとしての責務。
それらがぶつかり合い、微妙に混ざり合ってしまったせいでひとつの大きな塊となり、自分の中での落とし所を見つけられずにいる。
若く、経験の浅いハンター程、この深みに嵌り苦しむ者は多い。
「……俺はな、その感覚は全部正しいと思っている」
『…………正しい…………?』
「人を殺して何も感じなかったら、きっとそいつはもう人じゃない。人の形をしたモンスターだ」
『…………』
「人を殺した時だけ戸惑うのは、あくまで姿形は同族だからだ。本来なら仲間である筈の同族だから。頭では敵と思ってても、目に見える姿は
『…………』
「殺しても泣かなかったのはそうするべきだと、そうするしかないのだと、心の何処かで理解しているから。ハンターとして正しい在り方を、スイの心が受け入れ始めているから」
スイは顔から離した手で胸の辺りを掴む。その部分だけ、布がぐしゃりと歪む。そしてスイの視界も。
「何も間違っていない。ハンターが通らなければならない道で、乗り越えなければならない試練のひとつだ。これを越えられなくて、辞めるハンターも少なくない」
『…………』
『スイは人でなしなんかじゃない。逆だ。人だからそんなに苦しんでいる』
『…………っ……ふっ……』
嗚咽を殺しながら涙を流すスイに、シュウは問う。
「ハンターを辞めるか? それでもいい、誰も責めないし責めさせん。スイなら他の道でも生きていける」
『…………!』
スイは無言で首を左右に振る。
「スイが今感じているものは、本来あって然るべき感情だ。だから否定しようとすると苦しくなる」
『…………は、い』
「なら、どうすれば良い?」
『……全部、受け入れます……今すぐは、難しいですけど……』
「そうだな。確かに難しい。途中で
『……はい……!』
目を擦るスイの頭を撫でる。
「今は休みなさい。眠って起きたら、心の内にあるものも少し落ち着く。それから少しずつ受け入れていけば良い」
『はい……おやすみなさい……』
「おやすみ。コハクも寝るか?」
「ぐるっ」
横になったスイに薄手の上掛けを掛けながらコハクに訊けば、返事をしてベッドに上がる。スイの顔に自分の顔を擦り合わせると、足元に行き、丸くなった。
すぐに聞こえてきた一人と一匹の寝息。
「(……十歳には、
シュウはコハクの様に丸くなって眠るスイを見る。
「(しかし、これは最初の試練。越えなければBランクなんて程遠く、Aなんて夢物語だ)」
アードウィッチの町で、シュウはスイに努力すれば五年以内にBに上がれる素質があると言った。
その努力が必要なのが、ハンターとして生きる上で越えなければならない数々の試練だ。戦闘力の高さは勿論必要だ。だがそれだけでは足りない。戦いが上手くても、心が弱ければ上にはいけないのだ。
シュウは、いつか大きな困難にぶつかるであろうスイを憂う。
「(……もっと過酷な試練に当たる時がくる……それさえも乗り越えられたらきっと)」
来れる筈だ、同じ所まで。
そう信じて、ベッドで眠るスイの小さな頭を撫でた。
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