第30話 拾われ子は気付く

 宿屋ブレスに着くと、ジュリアンがスイ達を出迎えた。


「あら、おかえりなさい。今日は早いのね……!?」


 フードを被って俯くスイと、その腕に抱かれているコハクは服や毛が所々赤く濡れている。

 息を呑んだジュリアンが何か言う前に、シュウは視線と手で制した。

 二人は階段を上がるとスイの部屋に入り、少し経ってからシュウだけが降りてきた。


「すまない、オーナー。砂糖水はあるか? 料金は払う」


「あるわ。ちょっと待ってて」


 ジュリアンが砂糖水が入ったグラスと、生肉と水がそれぞれ入った皿をトレーに乗せて持ってきた。


「はい。お代は結構よ」


「……すまん、恩に着る」


「後で説明はしてちょうだい」


「解った」


 シュウはトレーを受け取ると、スイの部屋へ入っていった。

 ベッドに腰掛け、俯いていたスイはシュウが入ってくると顔を上げた。


「砂糖水だ、飲んでおけ。コハクはこっちな」


『……ありがとうございます』


「ぐるぅ」


 コハクは水を少し飲むと生肉にがっついた。


「食欲があるならコハクは大丈夫そうだな……スイは寝ろ」


『…………え』


 説教されると思っていたのか、スイは意外そうな顔で声を漏らした。


「そんな状態で何か言われても頭に入らんし、何より身体がつらいだろ。顔も青白いから今は休め。説教はその後だ」


『…………解りました』


「俺は今日はずっと宿にいる。時折見に来るから、目が覚めても部屋にいなさい」


『はい……じゃあ、少し眠ります』


「あぁ、おやすみ」


 スイは目を閉じると、瞬く間に眠った。

 コハクは皿をどちらも空にして、顔を洗っていたが満足するとベッドに上がり、スイの足下で身体を丸めた。


「………………」


 シュウは深く息を吐く。


「(…………間に合って、本当に良かった…………)」


 嫌な予感が付き纏い、一件だけ請けた依頼を終わらせてスイの気配がする所に急げば悲痛な声が聞こえた。


 ――誰か助けて、コハクを助けて!――


 スイを押さえつけているバンディットウルフに氷魔法を穿ち、急いで近付けばコハクは血塗れで、スイは泣きながら顔の左半分を血で染めていた。


「(……久しぶりに嫌な汗をかいた……いや、それ程久しぶりでもないか)」


 アードウィッチでドラゴンに遭いかけた時に冷や汗をかいたが、今回も相当肝を冷やした。


「(…………オーナーに説明しに行くか…………)」


 シュウは空になったグラスと皿をトレーに乗せると、部屋を出て一階に降り、食堂にいたジュリアンにトレーを返した。リリアナもただならぬ雰囲気を察したのか、ジュリアンの隣にいる。


「助かった。ありがとう」


「……スイちゃんとコハクは?」


「眠らせた。余程堪えたようだからな。説教は起きてからにする。」


「……何があったんですか?」


「バンディットウルフのリーダーにやられた様でな。出血が酷かった。上回復薬で傷は治ったが、血が少々不足していると思う」


「バンディットウルフ? スイちゃんなら余程油断しなければ大丈夫な相手じゃない?」


「その油断をしたんだろ。朝会った時、寝不足だと言っていた。今日は休む様言ったが聞かなくてな……大方、討伐中に気を抜いて囲まれたんだろう」


「……今日の夕飯は貧血に効く物にしとくわ」


「助かる」


 苦笑したシュウに、リリアナは独り言を零した。


「……最近スイ君、何か焦っている様に見えたけど、関係あるのかしら」


「若いハンターや冒険者って、大体どこかでそんな時期があるものだけどね」


「………………」


「アナタは何か心当たりがあるんじゃないの?」


「有るには有るが、確信じゃない。雷魔法の制御が上手くいっていないのもあるとは思うが、多分それだけじゃないだろう。スイが起きて体調が良い様なら、話を聞いてみるさ」


「そうしてちょうだい……異常個体アノマリーの時と言い今回と言い、スイちゃんにはどきっとさせられるわ」


「ジュリアン、それはスイ君のせいではないでしょう?」


 リリアナが不満気な声で諌めたが、シュウは首を振った。


「異常個体はそうだが、今回はスイに問題がある。自己管理が出来ないハンターは長生き出来ない」


「そうね……まぁ、スイちゃんは素直だし、元々賢い子でもあるから大丈夫でしょ。アナタがいてくれて良かったと思うわ。セオドアより過保護って聞いたけど、セオドアと違ってちゃんと叱ってあげる事が出来そうだし」


「……待て。過保護って、それは誰から?」


「秘密よ」


「…………」


「スイちゃんを育てた二人は亡くなってしまった。あの子は賢いから、一人でも多分学べるけど、今はまだ叱って励まして、教え導く人が必要な筈よ」


「…………そうだな。俺はスイの部屋にいる。何かあったらそっちに来てくれ」


「解ったわ」


 シュウは食堂を出るとスイの部屋に向かった。静かにドアを開ければ、スイもコハクも熟睡している。

 シュウは音を立てずに椅子を引いて座ると、アイテムバッグから本を取り出して読み始めた。




「スイは凄いわね。まだ小さいのに、こんなに――に――いる」


 母の優しい声。

 そうだ、いつも優しかった。怒ったのは、それこそあの時だけだ。

 ――会いたい。




『………………』


 目を開けると、机の上だけが丸く光っていた。ぼんやりと椅子に座っている誰かが見えて目を擦った。


「起きたか?」


『……ハンターシュウ?』


「ちょっと待ってろ、今明かりを点ける」


 部屋の魔石灯が点き、部屋が明るくなるとスイは眩しさに目を閉じた。ゆっくりと目を開ける。


「飲むか?」


『……いただきます』


 スイは上体を起こすと、水が注がれたコップを受け取り、一気に飲み干した。


『……ふはぁっ』


「いい飲みっぷりだ。まだ飲むか?」


『……もう大丈夫です。コハク……は、まだ寝てる……』


「身体の大きさに対して流した血は、コハクの方が多いだろうからな。眠らせておけ」


『…………』


 スイはコハクを撫でようとしたが、起こすと思ったのかその手を引っ込めた。


「身体の調子は? 吐き気や気持ち悪さは無いか? 少しでも違和感があるなら教えてくれ」


『えっと……身体が少し怠くて重いですけど、気持ち悪くはないです』


「話は明日にするか?」


『……いえ、今お願いします』


「スイ」


『無理はしてないです。話すだけなら大丈夫です』


「……身体がつらくなったら、すぐに言う事。良いな?」


 スイは無理をする癖がある。先に釘を刺せば、黙って頷いた。


「朝、俺が言った事は聞いていたな?」


『はい』


「養祖父母のお二人からは、俺が言ったのと似た様な事は言われなかったか?」


『言われました。何度も』


「体調悪い時に無理すると、今日みたいな事が起こり得る。それより最悪な事態もな。身をもって実感した筈だ」


『……はい』


「自分だけが死ぬなら、それは自業自得だ。でも、これが護衛依頼だったら、もしくは誰かと組んでの依頼だったら、死ぬのは自分だけでは済まない。今日コハクが死にかけたように」


『………………は、い』


 返事をするスイの唇が戦慄く。溜まっていた涙が両頬を流れ落ちていく。


『スイは、何の為にハンターになった?』


『お、おじいさまと、おばあさまみたいに、人を助けながら、世界を旅する為に……』


「ならば尚更、自分を軽んずるな、スイ。自分の身すら守れない奴が、誰かを助けたいなんて戯言だ」


『……ぁい、ごめんなさぃ……!』


 嗚咽を殺そうと堪えた喉が、きゅうと鳴った。スイは涙を何度も手で拭うが、止まる気配は一向に無い。


「……スイ、何をそんなに焦った?」


『ほ、他の大陸に、早く、行きたくて……』


「他の大陸に? 西大陸が嫌いな訳ではないだろう?」


 頷いたスイはしゃくり上げながら言葉を続けた。


『は、母様ははさまの事を確かめたくて、でも私、故郷が東の何処か、分からないし、西大陸じゃ東の事よく解らないし……ケホッケホッ!』


 シュウは咳込み出したスイの隣に座り、背中を擦りながら、今し方聞いたスイの言葉から答えを推測する。


「……故郷の情報を集める為に、早くDランクに上がりたかったと? Dにならないと大陸間移動は出来ないし、東大陸と正反対の西大陸では情報があまり無いから」


 こくこくと何度も頷きながら泣くスイを、いつの間にか起きていたコハクが心配そうに見上げている。


「…………」


『こは、コハク、ごめん。ごめんね……!』


「ぐるる……」


「…………スイ」


『……は、い……』


「焦った所で、命無くては何も成せない。誰かを守る事も、世界を見る事も。覚えておきなさい」


『はい……』


「そして今日の事を忘れるな。無力さに泣いたあの時を、自分の愚かさで誰かを失うかもしれない怖さを、今感じている苦しみを」


『はい……はい……!』


 つらいだろう。胸が苦しいだろう。それでも今感じている痛みは、きっと、いや必ずスイを成長させる。

 今抉った心が、この先スイが生き延びる為の糧になってくれる事をシュウは願う。




「腫れたな」


『はい……』


「とりあえずこれで瞼を冷やしておけ」


 すっかり泣き腫らした瞼に、魔法で出した氷を包んだタオルが当てられた。スイはそれを受け取る。


「蒸しタオルもあった方が良いな。下で貰ってくる」


『……あの、ハンターシュウ……』


「ん?」


『今日の魔法制御の訓練は……』


「そんなんじゃ無理だ。今日と……そうだな、念の為三日程休みにしよう」


『…………はい』


 三日も、と思いはするが今日の事があるのでスイは素直に頷いた。


「行き詰まってる時は思い切って休むのもアリだからな。ちょうどいいだろ。精算くらいなら行っても良いが、依頼を請けるのはやめておけ」


『……解りました』


 スイが頷いたのを見て、シュウは部屋を出て一階に降りていった。




 三日後。スイは休み前に請けたバンディットウルフ二群分、計十匹を含めた討伐依頼三件の精算をしていた。


「はい、問題ありません。今回もA評価です。お疲れ様でした、ハンタースイ」


『……ありがとうございます』


 今回の三件のA評価。スイはこの内の一件、バンディットウルフだけは一群だけの討伐で精算するつもりだった。それを聞いたシュウに、止められた時の事を思い出す。




「何で途中精算しようとする?」


『……だって、あの時リーダーを倒したのはハンターシュウですし、助けてくれなければボクはあの時死んでましたから……』


「指名手配モンスターとか特定の個体が相手の依頼なら、誰かに倒された場合その理由で通るが、これは所謂数減らしの依頼だ。途中で精算する理由にならん。もう一度砂漠に行って新たに一群討伐してこい」


『……それは何だか、狡い気がします……』


「気持ちは解らなくもないが、依頼者側からすればスイの気持ちも事情も関係ない。数を減らし、脅威を無くしてもらうのが依頼内容である以上、新たに一群討伐するのは不正でも何でもないんだ。寧ろ、スイハンターの私情を挟んで中途半端な討伐で終わらせてしまうのは、ハンター側の身勝手に過ぎない」


『…………!』


「B評価と言う、目に見える形に残さなくても、この間の事をスイが忘れない限りはその記憶はずっとお前を戒める。だからスイ、この依頼は遂行しなさい」


『解りました……すみません』


「俺に謝る必要はない。砂漠に出る前に、充分身体を休めておけよ」


『……はい』




 そして今日、スイは砂漠に行ってコハクと共にバンディットウルフを一群討伐してきてから精算した。


『(焦りすぎて、大事な事を見落としていた。早くランクを上げたいけど、依頼はその為の道具じゃない。助けて欲しい人達の声だ)』


 スイはハンターの証を握りしめる。


『(依頼は、誠実に遂行しなきゃ)』


 そう決意した所で、目の前に誰かが立った。


「精算は終わったのか?」


『ハンターシュウ。はい、終わりました』


「……少し、触るぞ」


 シュウはスイの前髪を分けて、顔の左側を確認する。


「上回復薬なら大丈夫だと思っていたが、傷も残らず消えたな。良かった」


 怪我の具合が酷いと、回復薬のグレードによっては治癒が追い付かず傷が残る事もある。今回のスイの場合は、完全に綺麗に消えていた。


『……本当に、ありがとうございました』


「あぁ。今日はこの後どうするつもりだ?」


『あと二件依頼を請けた後は、オアシスの町を歩き回ろうと思います。来て二ヶ月以上経つのに、じっくり見た事無かったので。見た後は……ブレスにいる事にします』


 スイは依頼を請負い過ぎるのをやめた。一日六件も七件も請けていたのをやめて、その半分程度に収めている。寝不足以前に、日々の疲労が積み重なっていたのもあったので、必要以上に依頼を請けない事にしたのだ。


「身体の調子は?」


『もう大丈夫です。ジュリアンさんのお陰で血も足りてます。コハクは?』


「ぐるっ!」


 びしっとお座りをしたコハクに、スイとシュウは笑った。


「俺も今日はそんなに遅くならないつもりだ。戻ってきたら、宿に迎えに行く」


『解りました。じゃあボクとコハクは砂漠に行ってきます』


「あぁ、気を付けてな」


『はい。ハンターシュウもお気を付けて』


 スイはコハクを連れてギルドを出ていった。

 その表情は、明るく、どこか吹っ切れた様にも見えた。

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