第9話 拾われ子は諦めない

 砂の渦に呑み込まれて沈んでいく。

 強い吐き気と目眩、肌を焼く砂の熱に、いっそ気絶した方が楽なのではないかとスイは考える。


『(……楽、かもしれないけど多分死ぬよね……砂に埋もれて死ぬのは……)』


 息を止めて、スイは死への拒絶で心を奮い立たせる。


『(……絶対嫌だから、生き延びる……!)』


 しかし目も開けられず、身動きも取れない状態で十歳の子どもに何が出来ると言うのか。

 砂に圧迫され、息を止め続けるのもつらくなる。


『(……こんな、ところで……しぬ、のは……)』


 意識が薄れ始めた時、自分の身体を圧迫していた砂が一方向に流れていくのをスイは感じた。


『…………?』


 やがて砂と共にスイの身体も流されていく。

 砂漠での連続戦闘、猛毒による吐き気と目眩、砂の熱、息苦しさ。スイの身体はもう限界だった。

 だが、自力ではどうしようもなかった状況に変化が生じ、スイはそこに一縷の希望を見出して生に縋りつく。


『(せめて少しでも砂と身体の間に隙間が出来れば……!)』


 呼吸を止め続けるのもそろそろ限界だ。早く、どうにかと奇跡を祈りながら砂の中を流れていく。


『(……もう、無理……!)』


 やがて堪えきれずに口を開けたのと同時に、大量の砂と共にスイの身体は宙に投げ出された。


『ぷはぁっ!! はぁ、はぁ…………え?』


 呼吸を再開し、回り始めた頭で、遅れてスイは自分の状況を確認する。

 暗い空間。下から突き上げる風。バタバタと暴れるマント。上から落ちてくる砂。

 ―――落ちている自分。


『え、あぁ……え、え?』


 状況を半分把握して、半分把握出来ずに落下するスイは視界にキラッと光る何かを見つけた。

 そして落下している長さから、かなりの高さから落ちているのではと考え至った。


『(このまま落ちたら確実に無事では済まない、と言うか、死ぬ……!)』


 絶望的な命の危機から脱出したと思ったのも束の間、再びの命の危機である。

 暗くて地面との正確な距離が掴めないが、徐々に増えてきた幾つもの光から、何となくで距離を予測する。


『(……三、二、一……!)』


 大量の水を創り出して下へと撃ち出す。地面に当たって盛大に跳ねた音とその大きさに、予測よりも地面と近かった事を知りスイは冷や汗をかいた。

 水の勢いで落下速度を緩め、スイは砂ではない、しっかりとした硬い地面に降り立つ。


『……生き、てる……』


 ぽつりと溢れ出た一言に、じわりと涙が滲んだ。


『……ぅわ、わ、おっとっとっと……?』


 足元がおぼつかずにへたり込む。揺れる視界に吐き気が込み上げ、我慢できずにその場に嘔吐した。また涙が出た。


『(……そっか、猛毒……!)』


 圧死と窒息死と転落死と言う立て続けの危機で忘れていたが、巨大ワームの猛毒に身体が蝕まれているのを思い出した。


『(上回復薬のついでに上解毒薬も作っておいて本っ当に良かった……)』


 オアシスに向かう際、西の果ての森で捕獲したアサシンスネーク。素材屋に売るつもりだったが、ギルド内にある素材買取所はハンターになってから利用した方が得だと聞いて、売らずに普通のバッグに入れたままにしていた。

 そのアサシンスネークから昨夜、宿泊した部屋で新鮮な猛毒液を頂戴して作った上解毒薬をアイテムポーチから出して飲み干す。

 備えあれば憂いなしとはこの事かと、スイは何処かで聞いた事のある言葉を思い出しては心底実感した。


『(……あの大きなワームの猛毒に効けばいいけど……)』


 長い年月をかけて世界を旅したマリクとレイラからも聞いた事のないモンスターだった。未知の毒の可能性が無い訳では無い。


『(……つかれた……ねむい、な……)』


 絶望的な状況から脱し、疲労がスイの身体に一気に押し寄せる。


『(ここは砂が落ちてくるから駄目だ……せめてもう少し向こうの方に……)』


 気力を振り絞って立ち上がると、よたよたと歩きながら光っている物に近付く。ざぁぁ……と言う音が上から聞こえてきて、また砂が落ちてきたのが解った。


 ―――びたぁぁぁあああん!!



『っっ!?』


 背後から聞こえた何かが叩きつけられた様な音に、スイは反射的に振り返るのと同時に、氷の楔を複数創り出した。


『うっ………わぁぁぁ……』


 心底ドン引きしながらスイはそれを見た。

 地表から落下し、地下空洞の地面に強烈に叩きつけられて巨大ワームが無惨な姿へと変貌していた。破れた皮膚から紫色の液体が漏れ出ている。

 スイは素早く鼻と口を袖で覆って離れようとして、違和感に気付いた。


『(……急に空気が変わった気がする……)』


 違和感を確かめようと巨大ワームの方に数歩近付くと瘴気を感じ取った。

 先程と今で違いを考えて、スイはある物に目を向ける。


『(この光っている石、水晶……?)』


 そこかしこにある大小様々な水晶は、何処からか入り込んでくる僅かな光を反射している。


『(水晶は純度が高くて大きい物程、魔除けや浄化の力が強い……だっけ。あのワームから出る毒や瘴気はここの沢山の水晶によって浄化されてるのかな)』


 レイラに教わった事を思い出すと、スイは近くに見える中で一番大きい水晶の隣に座り込んだ。


『(嫌な……気配は……無い……ちょっとだけ、休んでから……帰り道を……さが、そ、ぅ……)』


 水晶に頭を預けると、スイは瞬く間に眠りに落ちた。

 その頃、オアシスのハンターズギルドはセオドアが発した言葉で焦燥と緊迫した空気に満ちていた。


異常個体アノマリー出現だと!?」


 スイの救助に失敗し、自身も蟻地獄に巻き込まれる可能性がある事から苦渋の決断で捜索を中断して急ぎハンターズギルドに戻ったウィルベスターは、支部長セオドアに緊急事態発生の報告をした。


「スイは!?」


「すまねぇ……! 蟻地獄に呑み込まれて、救助に間に合わなかった……!」


「っ!!」


「支部長!」


 救助失敗の言葉にセオドアがウィルベスターの襟首を掴んだ。慌ててギルド職員が止め、セオドアは我に返ると手を離した。


「……すまん」


「いや、悪いのは監督官を任されながら救助に失敗した俺だ。言い訳のしようも無ぇ。処罰はなんなりと受け入れる」


「それは後だ。今はスイの捜索と救助が先だ。お前ら! 聞いていたな! ギルドからの緊急依頼だ、内容は適性試験を受けていた子どもの迅速な捜索救難!」


 支部長であるセオドアからの要請に、ギルド内に居たハンター達の顔付きが変わる。

 セオドアはスイの特徴と行方不明になった場所を説明する。


「異常個体が出たとの事だ。己の身の安全にも充分気をつけろ!」


「セオドア、その事だが……」


「何だ、ウィル」


 神妙な顔で説明を止めたウィルベスターに、セオドアは怪訝な表情を向ける。


「異常個体自体は、既に討伐されているんだ」


「何? お前が倒したのか?」


「いや、スイだ」


 ギルド内の空気に戸惑いと困惑が混ざる。


「スイが蟻地獄に呑まれる直前に、巨大な氷の楔を異常個体に打ち込んで倒した。俺には見た事の無い魔法だったが……そいつの身体の一部を持ってきているが、猛毒を持つ個体だ。此処では出せない」


「……解った。カテリナ」


「はい、すぐに専門部署に話を通します」


「ウィル、さっきの話、後で詳しく聞かせてくれ。今はお前も捜索に加わって指揮を執れ。当事者のお前がいた方が良い」


「解った。本当にすまねぇ」


「……謝るのは俺にじゃない。それに、まだ死んだと決まった訳でもない。諦めるな」


「……あぁ」


「よし、全員準備は出来てるな! 行け!」


「「「「「応っ!!!」」」」」


 屈強なハンター達がギルドから出ていく。

 その様子に町の人々は何事かと皆視線を向けた。


「何かあったのか?」


「冒険者ギルドの方は普段と変わらなそうだぞ」


「ハンターズギルドだけ……?」


 市場に買出しに来ていたリリアナはその様子を見て嫌な予感に襲われた。

 急ぎ足で宿屋ブレスに戻ると、ジュリアンがリリアナの顔を見て目を丸くした。


「どうしたのリリィ、そんな顔して……何かあったの?」


「……ハンターズギルドから、沢山のハンター達が出ていったの。何かあったんだと思うけど、何だか凄く嫌な予感がして……」


 顔色が悪くなるリリアナから荷物を受け取り、ジュリアンはリリアナの手を握る。


「何かあっても、この町のハンター達ならきっと大丈夫よ。あのセオドアもいるんだし」


「……そう、よね……」


 きっとそうだと、リリアナも自分に言い聞かせる様に呟いて頷くと、宿屋に一人の旅人が入ってきた。


「おっと……邪魔だったかな?」


「あ……すみません……!大丈夫です。ご宿泊ですか?」


 ジュリアンから離れたリリアナが対応をするが、旅人はリリアナを見て心配そうな顔をした。


「あぁ、一晩世話になりたいんだが……大丈夫か? あんた、顔色が悪いぞ」


「ごめんなさいね。ワイフはちょっと体調悪いみたいで、私が案内するわ。宿帳に名前をお願い。一晩なら350ゲルト、翌日の昼食付きなら400ゲルトになるけど、どうする?」


「なら昼食付きで頼む」


「了解したわ」


「あ、なぁ、ひとつ訊きたいんだが良いか?」


「何かしら?」


「俺は西大陸に来たのは初めてなんだが、この砂漠に異常個体って結構出るのか……?」


 旅人の質問に、ジュリアンもリリアナもハンター達が大勢出ていった理由を察した。


「……いいえ。砂漠どころか西大陸全体で見ても出現は殆ど無いわ。最後に出たのは砂漠で二十年以上前じゃなかったかしら」


「そうか……なら良いんだ。ありがとう」


「異常個体の話を誰かがしていたの?」


「……町から出ていったハンター達が言っていたのが聞こえただけなんだが、どうも砂漠で異常個体が出てハンター適性試験を受けていた奴が襲われたとか、行方不明とか何だとか……」


 旅人の話に、リリアナが驚愕と絶望の表情を浮かべた。ジュリアンが自然にリリアナを背中に隠し、部屋の鍵を旅人に渡す。


「おっかない話ねぇ…お兄さんも暫く気をつけてね。はい、コレが鍵よ。階段上がって突き当たりの部屋」


「あぁ、ありがとう」


 階段を上がって行った旅人の姿が見えなくなると、ジュリアンはリリアナに振り返る。

 リリアナは両手で顔を覆って声を堪えて泣いていた。


「き、きっとスイ君だわ……異常個体に襲われて……だからハンター達が……! まだ子どもなのに……!」


「落ち着いてリリアナ。死んだとは言ってなかったでしょ?」


「でも……!」


「どんな理由があるか知らないけど、ハンターになって自分の力で生きていこうとしてる強い子だもの。きっとまだ生きてる。それに、砂漠の何処かには地を司る地龍アースドラゴン様がいらっしゃるって伝えられているわ。砂漠で頑張っているスイちゃんをきっと助けてくれるわよ」


「ジュリアン……」


「嘆くよりも祈りましょう、リリィ。スイちゃんの生還を、地龍様のご加護を」


「……そうね……あぁ、地龍様…あの子にどうか、貴方様のご加護を……!」


 ジュリアンとリリアナは両手を組み、真摯にスイの無事を祈った。

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