第5話 拾われ子と商人

 家を出てスイは北に向かっていた。

 西の果ての森は、西大陸の西側に南北に渡って広がっている。

 スイが暮らしていた家は大陸の南西にあり、砂漠の町オアシスは大陸の中央に位置するので家から東に進めば森から出られるが、オアシスまではかなりの距離がある。炎天下の砂漠を十歳の子どもが歩いて行くのは厳しい。


 獰猛なモンスターが生息しているが、砂漠よりも慣れ親しんだ森を北上して途中で東に向かう方が無理が無いと、生前養祖父母の二人に教えられた通りに森の中を歩く。


『(あ、上薬草の群生……と、それが根元に生えている木にはアサシンスネーク)』


 冒険者・ハンターズ両ギルドは各地に生息する生物の危険度をA~Fのいずれかに分類しているが、西の果ての森に生息する生物の危険度ランクは最低でもC-。上質な素材の宝庫ではあるが、ベテランのハンターでも一瞬の油断や隙があれば逆に狩られる側となるこの森に、好き好んで入ってくる人間はほぼいない。


『(先にアサシンスネークだな)』


 アサシンスネークは赤と紫と言う派手な体色に即効性の猛毒を持つモンスターだ。敏捷性に優れ、噛まれれば牙から分泌される猛毒が徐々に体力と意識を奪い、三十分以内に上解毒薬を飲まなければ死に至る。魔法は使えないので危険度ランクはCとなっている。

 西の果ての森という枠で見れば低ランクの方ではあるが、西大陸に生きる人間にとっては遭遇したくないモンスターの一種だ。

 腰に付けているアイテムポーチから空きビンを取り出し、じりじりと近付くスイに気付いたアサシンスネークが鎌首をもたげて威嚇体勢に入った。


『(もう一歩近付いて……来る!)』


 牙から分泌される猛毒液を飛ばしながら跳びかかってきたアサシンスネークを躱し、頭を掴むと空きビンの中に押し込んだ。素早く頭から手を離して僅かな隙間を空ける。

 しゅるしゅるとビンの中に身体を収めたアサシンスネークは、その僅かな隙間から飛び出そうとしたが、その前にスイに完全に蓋を閉められた。


『(町に着いたら素材屋に売ろう)』


 アサシンスネークの毒液は上解毒薬や猛毒薬の材料になる。死体でも売れるが、生体の方が採れる毒液の量が多く、捕獲難度が高いので、より高値で売れる。だが生体はアイテムポーチには入れられない為、肩から掛けている普通のバッグに瓶を入れた。

 上薬草も高値で売れるが、此方は上回復薬に加工して自分で使いたいので売らずに取っておく。森も砂漠も高難度の土地だ。回復薬を備えておくのに越したことはない。

 その後もスイは薬草や木の実を採取しつつ、時々モンスターと戦ってはその一部を剥ぎ取ったり、丸ごとポーチに入れたりしながら順調に西の果ての森を北に歩いて行った。


『(イエローナッツの木……ここから東に向かえば砂漠に出るけど、今日は此処で休もう……)』


 木々の葉の隙間から見る空はまだ明るさを残しているが、森の中は既に暗い。歩き続けても砂漠に出る頃には夜となる。

 オアシスまでの道程も遠く、気温が低い夜の砂漠をモンスターに警戒しながら歩くのは利口じゃない。

 これも養祖父母に教えられた事だ。スイはそれに従って、モンスターが嫌うイエローナッツの木に登ってから水分を摂ると、幹に凭れて眠った。


 翌朝、薄明るくなった森の中でスイは目覚めた。家で養祖父母と寝起きしていた昨日までと違い、もう独りなんだと思うと寂しさが胸を刺す。


『(独りで生きる事に慣れなきゃ)』


 もう養祖父母はいない。寂しさを振り払う様に首を振って木から下りる。

 その際、一個だけくださいと心の中で詫びながらイエローナッツを採った。

 歩き続けて、漸く木々の間に光が見えるとスイは大きく息を吐いた。


『(森と砂漠の境界……あそこから砂漠……)』


 砂漠にはマリクに連れられて何度か出た事があるが、片手の指で数える程度しかない。森から出てからが、ある意味本当の旅立ちとも言える。


 光に向かって歩き、森から出ると見渡す限りの砂と青空が視界に広がった。所々で建造物の残骸が砂に埋もれている。

 晴れてても常に薄暗く、空気が湿っている森とはまるで真逆だ。西大陸は複数のバイオームがある為、気候も地域に応じてガラッと変わる。

 言葉にすれば森も砂漠も暑いの一言だが、森の蒸し暑さと違い此方はカラッとした暑さだ。太陽が真上に昇る頃には熱いとも言える気温になるので、なるべく早めにオアシスに着きたい。だが、大人でも一日以上掛かる距離だ。スイは野宿の覚悟を決めて歩き出した。


『(…………人の気配がする)』


 所々に出来てる砂丘のせいで姿は見えないが、複数の人間の気配を感じ取った。

 こういう時は稀に冒険者パーティだが、大体商隊か、盗賊団のどちらかだとマリクが言っていたのを思い出す。


『(嫌な感じは、しないけど……)』


 商隊ならラクダかサンドホースのどちらかで移動している筈だ。商人の人柄によるが、上手くいけばオアシスまで乗せてもらえるかもしれない。


『(無理に全部自分の力だけでやる必要は無いっておじいさまもおばあさまも言ってたし、お願いしてみよう)』


 十歳の割に強かさがあるスイは気配のする方に歩いて行く。

 スイは一度だけ、マリクに連れられてオアシスに行った事がある。しかし人とは殆ど話さなかったし、それ以外は森で暮らしていたので社交性があまり身についていない。

 レイラから挨拶や礼儀といったものは教えられたが、二人以外の人間と関わるのは西大陸に来てからほぼ初めてとなる。

 期待と不安でいっぱいなのを落ち着かせようと深呼吸して、足を砂に取られながら砂丘を登る。

 その途中で、感じていた気配に変化があった。


『(慌ててる……それとモンスターの気配……)』


 さらさらと崩れる砂に苦戦しながら急ぎ足で砂丘を登りきると、眼下に盗賊狼バンディットウルフの群れに襲われている馬車が見えた。人の数は三人だが、一人は脚から血を流している。

 盗賊狼は群れで行動するモンスターで、その名の通り人の荷物を奪う。砂漠に限らず世界中に生息しているが、地域によって多少身体の特徴が異なり、西大陸の砂漠に生息する盗賊狼は体毛が短く脚が太い。


『(五頭の群れ……一回り大きいのがリーダー。周りに気配はないから、奇襲をかければ多分いける)』


 極力気配を消して、しかし急いで近付いて、創り出した風の刃の射程圏内に入るとスイは商隊に向かって叫んだ。


『動かないでください!』


「!?」


 こんな砂漠にいるはずの無い子どもの声に全員の動きが止まると同時に、盗賊狼達が一斉にスイに顔を向けた。その瞬間に五頭全ての首から血が吹き出した。


「は?」


 何が起きたか解らず、商人と護衛らしき二人は目を丸くしている。群れのリーダーだけ動いているのをスイは見逃さず、腰に差した二本の内、一本のナイフを抜いて駆け寄った。


『こ、のっ……!』


 止めの一撃でナイフを突き立てると、群れのリーダーは弱々しく前足を上げたが、スイに当てる事無く砂の上に倒れた。


『………………』


 マリクとの戦闘訓練で、森で何度もモンスターと戦った。それでも手に伝わる、肉を突き破る感触は何度経験しても好きになれない。


『(……これも、慣れなきゃ……)』


「や……坊や!」


『っ!?』


「おっと、驚かせてごめんよ。何処か怪我をしたのか? ぼーっとしていたようだが」


『……いえ、大丈夫です。すみません。そちらこそお怪我は大丈夫ですか?』


「あぁ、護衛が一人脚を怪我したが回復薬で治療した所だ。坊やがこいつらを倒してくれて本当に助かったよ、ありがとうな」


『どういたしまして』


 坊やではないのだが、子どもの、それも女の子の一人旅は色々と危ないからなるべく男の子のふりをする様にと、何度も養祖父母に言い聞かされたので便乗する事にする。


「坊やだけか? 近くに保護者……お父さんやお母さんとかはいるか?」


『……いえ、一人で旅をしています』


 子どもの一人旅と知ると途端に豹変するタイプの人間もいる。スイは気付かれない様に臨戦態勢を取りながら受け答えをする。


「一人で……なんとまぁ……もしかしてこの先のオアシスに行くつもりかい?」


『はい、ハンターになりたいので』


「「ハンターに!?」」


 商人と護衛の声が重なった。


「た、確かに冒険者と違いハンターに年齢制限は無いが、冒険者の方より試験も依頼の難度も高くなる。君はせいぜい十歳かそこらだろう、危険すぎる!」


『解っています』


 冒険者と違い、モンスター討伐を専門的に行うハンターの方が過酷なのは、自身もハンターとして生きたマリクから何度も聞かされている。それでも考えは変わらず、今日まで生きてきた。


『一人で生きていくためにも、わ……ボクは、祖父と同じハンターになりたいんです。危ないのは、百も承知です』


 西大陸ではまず見ない薄く緑がかった白髪はくはつと、翡翠色と燐灰石色をそれぞれ片眼に持つ子ども。

 一人で、と言う事は身寄りはないのだろう。親の事を話さないのは何か訳ありなのかもしれないと、商人は判断した。


「……そうか、何か事情があるんだろうが……自分で決めた事なら止められないな」


「会長!」


「生き様など他人がどうこう言うものではないだろう。それに止めようとしてもこの坊やは止まらんよ。そうだろう?」


『はい』


「ははは、正直者だ」


 商人は腰を曲げてスイと目線を合わせる。


「私はある商会の会長でね。今はオアシスに滞在している。助けてくれたお礼だ、オアシスまで乗せていくよ」


 野宿を覚悟していたスイには有難い申出だが、ふと気になった事を訊ねる。


『ぜひお願いしたいですが、砂漠か森に用があって出てきたのではないのですか?』


「あぁ、砂漠キノコを採りに出てきたんだがもう必要な分は採ってある。ついでに森の浅い所で採取出来ればと思っていたが、森に着く前にコレでは準備不足だと痛感したよ。これ以上危険な目に遭わない内に帰る事にする。だから遠慮せずに乗ってくれ」


 それならばとスイは頭を下げて荷台に乗った。

 護衛の一人が御者としてサンドホースを走らせ、もう一人の護衛と商人は荷台で周囲を警戒しながらスイに話しかけた。

 移動中に話を聞くと、護衛二人は商会の者だが冒険者でもあり、これまでも商人の護衛をしてきたが今回一瞬の隙を突かれて脚をやられたらしい。


「今回ばかりはもう駄目かと覚悟した。本当に助かったよ、ありがとう」


『どういたしまして』


「そら、話をしていたらオアシスが見えてきた。もうじき着くよ」


 砂漠のど真ん中に建物が並んでいる。

 人生二度目のオアシスに、スイは再び期待と不安で胸をいっぱいにした。

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