第134話 過去から今、今から未来へ
一波乱はあったものの、優芽の機嫌が直った後には楽しい時間を過ごした。
模擬店は夏の祭りに似ていて、けれど取り仕切っているのが同じ学生、同じ学校の生徒であり友人知人も多いから、ただ客と店員としてだけではなく立ち寄る度に言葉を交わす。
「お、デートか」
「まぁな。一つくれ」
「おう。二千円な」
「たけぇよ! なんで十倍になんだよっ」
「冷やかしなら帰ってくれ、しっしっ」
「なんつー態度の悪い店員だ」
「私、食べたいけどなぁ、タコ焼き」
「もちろんもちろん。二百円になります。ええ。ささ、どうぞ」
「ありがと」
「なんで似たようなやり取りをどこでもやんなきゃいけねぇんだ……」
「琴樹、嫌われてるねぇ、男子に」
優芽がタコ焼きを頬張りつつ小さく笑う。琴樹が言ったように、琴樹が買おうとする→特別価格を提示される→優芽が頼む→正規価格、が定番化していた。順繰り屋台を回るから伝染しているとは気付いていない二人だった。
「まぁ男どもにならいいわ」
優芽も琴樹も冗句ではある。嫌われているわけでもないし、嫌われていいわけもない。それはそれとして「俺は優芽がいればそれでいいよ」「琴樹……」とか、そんな光景を見せつけられれば多少の揶揄いは許されるものだろう。
女子も。
「あ、これカップル限定だから。証明にキスしてね」
「え、そんなことどこにも書いてないじゃん」
「わたしの心の奥底に書いてあんの。……この二人を冷やかしなさいって」
「最低じゃんっ」
「キース、キース」
クラスメイト(小学生レベル)の囃しに優芽はカッとなってやってやった。
「これでいっ」
「ひゅー。三百円でーす」
「せめて割引してよ」
「ノン。商売は甘くないの。はいお釣り」
行く先々で楽しみ、遊ばれ、どれもいい思い出になると確信できるから、琴樹も優芽も目につく端、気になるとこ全部に足を運んだ。
半日では時間が足りないのだけが残念だった。
『正桜祭』の一日目はそうして幕を閉じた。
帰りは、今日は琴樹は一人だ。優芽の誘いも用事を理由に断って、普段は乗らないバスに乗る。
緑豊かな施設からは暖かな光が漏れていた。
「そうですか」
案内された一室でソファに座り、琴樹は壮年の男性の説明に出来るだけ内心を出さずに答えた。落胆を見せて何が変わることもない。
「ええ。この半年の様子なら大丈夫と思っていたんですが……直近一週間の素行が、どうも」
祖父の状態は不安定だ。ただし数時間で変貌したりはほぼしない。一週間、一か月、そういう単位で波があり、残念なことに近くは谷に入り始めているのだった。
「わかりました。そういうことなら明日の話はなかったことにしてください」
「よろしければ、三人ほど付けて行くというのも、出来なくはないですが」
「いえ。ご迷惑はかけられません。……それに、仮に祖父を抑えることは出来たとしても……そんな事態になること自体が、を、避けたいです」
琴樹にとって大事な肉親だとして、他の人間にはただの老人、いや、言葉を選ばないならボケ老人だ。文化祭に、嫌な思い出を作らせたくない。
「ありがとうございました。少し会ってもいいですか?」
「ええ、それはもちろん」
部屋を出て馴染みの職員に付いて歩く。大した距離ではなかった。
個室の中で、祖父は将棋盤を見詰めていた。懐かしいと思う。それと思い出す。琴樹は結局、祖父に一度も勝てなかった。
「じいちゃん」
「ん、おお、琴樹か。座りなさい」
後ろで驚くような気配がある。たぶん、と琴樹は考える。たぶんいつもより記憶と調子の具合がいいのだろう。琴樹としても久しぶりに名前を呼ばれたわけであるし。
「一局指すのか?」
「昨日の続きからだ」
そんなものを琴樹は知らないが。祖父の頭の中には明確な中断の盤面が存在しているらしかった。
「さぁ、琴樹の手番からだ。はじめなさい」
「今日こそ勝たせてもらうぞじいちゃん」
「ぬかせ。十年早いわ」
「そうかよっ」
じゃあ十年後も生きてろよ。と琴樹は飛車を強く叩きつけた。
「そういえば琴樹、そろそろ文化祭の季節じゃないか」
一進一退の攻防の最中に祖父が口にしたことに琴樹はびくりと肩を跳ねさせた。文化祭の話題はしないようにと言われている。
「舞の学校の」
琴樹の肩から力が抜けていく。
「さぁ。まだちょっと……早いんじゃないかな」
「そうだったか……」
探ろうとしている記憶は、果たしていつの誰のものなのだろう。
「それよりさ、この前、言ったよな、俺にいま、付き合ってる人がいるって」
「なんじゃと? 琴樹おまえまだ十になったばかりだろ。最近の子供はなにかと早いの」
琴樹は苦笑するしかない。訂正はしない。する意味がない。
「まぁな。それで、その人とな……ずっと付き合っていく覚悟ってのが……」
本当は、明日に、したいと思っていた。ただ一人の肉親の前で。けれどそれは出来ないから、琴樹は今ここで自分を見つめ直す。
「出来てると思うんだ、出来ると。……好きだけじゃなく、愛してるって、ほんとはもうずっと、思ってんだ。たぶん」
肩を落とす。たぶん。そう付け足してしまう自分が情けなく、信じられない。
俺は優芽を愛してるよな?
寝る前に布団の中で、朝に鏡の前で、優芽が腕の中でくすぐったそうにする時に、自問しては自答を切り捨てる。
愛してる。たぶん。
たぶん。たぶん。たぶん。たぶん!
「……わるい、そろそろ時間だ。今日のところは帰るよ。また近いうちに来るから」
祖父が何も言わないことはよくあるから、琴樹は言うだけ言って個室のドアに手を掛けた。
「琴樹」
「ん、な」
「シャキッとせい」
振り返って、なにかあるのかと問う声は遮られた。
目の前には祖父がいる。
ものを忘れ、記憶が混濁し、弛んだ
いつかの、厳しくも優しい姿が。
「お、なんだ、帰るのか琴樹」
幻覚だったみたいに消えた
「ああ、また来る」
その時は、二人で。
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