第133話 肝心なところ以外は間違う男

 琴樹が優芽に指定したのは午後だ。一緒に文化祭を回る約束を、午後全部使って果たすつもりである。

 メイド喫茶は一応、それなりの食事も提供しているから昼時は忙しく、琴樹は優芽との待ち合わせの時間が迫っていることに直前になって気が付いた。

 気が付いたが、店内には想定以上に客が残っている。もう一度時計を確認して、琴樹は内心で優芽に謝罪した。

 そういう事情を、下駄箱の前で前髪を整える優芽には知る術がない。

 服は着替えて文化祭のクラスシャツ、昨年とはまた別のものを着ている。下はただの制服。長くなってきた髪は落ち着いた茶色で、オシャレは手首とメイクじゃない化粧っ気、手首の少し肘寄りのところに貼ったワンポイントのハートだけ。それでも道行く人の少なくない人数が目を留める。

 背中の方やスカートの裾もチェックして、トントンと踵がリズムを刻む。

「まだかなぁ琴樹」

 自分で言って自分で嬉しくなる。優芽は口角を上げて空を見る。快晴。明日も快晴の予報だ。もう一度、トントン。

 けれど徐々にその眉間が狭くなっていく。

 時刻を確認して辺りを見回して、校舎の外観にも琴樹のクラスがどこなんてわかっている。

「忙しい、のかな」

 優芽は返信のないスマホを握ったまま下駄箱前待ち合わせ場所を後にした。

 お客じゃないからと優芽は遠慮がちにドアの端から中を覗いた。メイド姿の同級生たちが接客している。一年生の頃、執事の格好をしたことを思い出す。あれはあれでビシッと気持ちが張って悪くなかったと。

 それにしてもお客さんが多い。優芽は目線を動かして、どの席にも大なり小なり客が座っていることを確認した。どうやらほんとに忙しいよう。

 琴樹の姿はない。スマホに連絡も。

「裏の方にはなぁ」

 さすがに入っていくのは悪い。ただでさえ部外者で邪魔だというのに、目的が琴樹おとこでは心証だって悪そうだ。

 優芽がもう少し待つことを決めた丁度その時に仕切りの幕が開いた。

「あ」

 声が漏れたのはそれが目当ての人物だったからで。

「あ?」

 ドスが効いたのは、その人物がメイドさんにクッキー(と思われる)を食べさせてもらっていたから。手ずから、口元に運ばれて。

「あぁあ?」

 そして、ドスが効きまくったのは、お返しがあったからだった。


 二分遡って。

 琴樹は仕切り幕を右手で上げて、待っていたらしいメイドの一人に注文の品を渡した。

 そして指摘された。

「あれ? クッキーちょっと多いよ?」

「あ、そうなのか。わるい。どれだ?」

 盆はもう渡しているから、琴樹は過分を教えて貰って間引くつもりでそう訊いた。

「これ」

 の後に妙な間を琴樹も感じた。少女の指は指すのではなく摘まむに変わる。

「あーん」

「しねぇよ」

「あー、ん。ん」

 さっと店内を見渡して、店内だけを見渡して、琴樹は自分たちへの注目がないことを確かめてから手早くクッキーに齧りついた。小さなクッキーだ。すぐに飲み込む。

「あとはどれだ? 二度はやんねぇからな」

「あとは……これだけかな」

 今度こそ指差すだけ。指は。

「あーん」

 意味の違う、あーん、を前に琴樹は諦念混じりに応じたのだ。


 どう思います?

 優芽はそう問いたい。お母さんに、希美に、涼に、文に小夜に仁に明歩に他にもたくさん。問うて回ってみたい。きっと全員、答えは一緒だ。

 しかししかしだ、まずはそう、本人に問うてやろうじゃぁないか。

「どういうこと?」

 五分後のことである。どうもあれが最後の仕事だったらしく、直後にスマホが鳴ったから「琴樹のクラスの前にいるよ」と優芽は答え、そうして合流して、第一声が「どういうこと?」。

 眦は釣り上がり眉間には皺、頬も唇もよくよく優芽の感情を表している。

 怒っている、を琴樹は即座に理解した。ついでに心当たりも。

「待ってくれ、たしかに……」

 よくないことだったとは思うが。

 と仮に続けたとしてもその先に何もないと琴樹は判断する。

「……俺が悪かった。二度と流されない」

「ふーん。で、楽しかった? 嬉しかった?」

 琴樹は、自分は瞬間的にスパコンの演算能力を超えたと思う。

「正直、楽しくはあった」

「仲、良い、もん、ねぇ。仲の良いかわいい女の子にあーんしてもらったら、そりゃ楽しくって嬉しいよねぇ、ねぇ、琴樹、ねぇ」

「はい。私が悪かったです……」

「しょんぼりして私が悪いみたいな空気にするのやめてくれる?」

 琴樹はもう冷や汗で背中が冷たい。

「りょ、了解です。いや……わかった」

 パン、と両手を合わせて深く頭を下げる。

「俺が悪かった! ごめん! 二度としないから許して欲しい!」

 廊下の隅に琴樹の声が響く。なんだなんだと周りの人間が目を向け、たりはしない。もうとっくに向けてるから。

「絶対?」

「絶対」

「二度と?」

「二度としない」

「破ったら?」

「……破らない」

「破ったら?」

「……ゆ、優芽が許してくれるまで誠心誠意謝ります」

「まぁ他にないよねぇ」

 優芽は琴樹の耳元に顔を寄せて「許さないけどね」と低い声を落とした。

「顔上げて。いいよ、今回だけ許してあげる」

「ゆ」

 優芽は体を起こした琴樹に向かって背伸びをした。

「あとでもっとちゃんと、上書きするから」

「わ、わかった」

 あとで、は腹ごしらえの後に模擬店も何もない校舎裏でなされた。

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