第99話 赤い帽子の配管工カート
喫茶店を出てしばらくは通りを歩いた。優芽が先導するが明歩の足取りにも拍子遅れの追従は見られず、琴樹は自分だけが行く先を知らないことを知った。半ば以上はそんな気がしていたから口にはしないが。
「今更だけど琴樹は時間大丈夫? まだやることとかあったり」
「大丈夫。元々夜まで空けといたから」
優芽と帰る予定だったのだ、必須以外は後ろに倒してあるに決まっている。
店と人とが少なくなったあたりで一本、横道に。この辺は琴樹もまだまだ覚えのある景色だ。
5分、歩いても。
道の先を思い出すに徒歩ならそろそろ選択肢は少ないはずだった。一人暮らしの選択肢は。
「ここ。の二階ね」
「はぁ……緊張します」
「何回か来てるじゃん」
「それでもですよぉ。わ、私、変な恰好してませんよね?」
「制服でなに言ってんの明歩ちゃん、変なわけないって。琴樹? なにしてんの?」
「……今行く」
覚えのありすぎる建物の階段に足を掛けてから琴樹はそっと下の階、一階のドアの一つを覗き見た。
いつ、誰にまでなら言っていいものか。
「いらっしゃい。それと……おかえりなさい幕張君」
「ただいま」
「え……どどどど同棲中ですか!?」
「「違うっ!」」
琴樹と優芽の否定が重なって、出迎えに玄関ノブを握ったままの涼に窘められる。ご近所付き合いは大事。騒音はNG。
「そんなわけないでしょそんな話なかったよね第一琴樹は涼んち知らないって言ったよね」
「ひっ……は、はい」
「優芽、明歩が困ってます。まぁ今のはすみません」
「ほんとだよ! 二度とやらないで」
「『おかえり』を言おうと言い出したのは優芽ですけどね」
「タイミング! あとそれ秘密って言った!」
「ということですが、幕張君、いじらしいと思いません?」
「俺に振るなよ……まぁ、うん、ありがとう優芽。嬉しい、と思ってる、本気で。『おかえり』って言ってくれたの、嬉しかったよ」
「そ、そう? えへへ」
玄関先に立ち話も、ということでいよいよ涼の家にお邪魔する。立ち位置の関係で琴樹が先に進むことになりまずは手を洗ってから、リビングに案内された。
大きくないアパートの広くない一室に女子三人と男子一人である。
可愛らしくとは呼べないまでも綺麗に整えられた室内は琴樹の部屋とはやはりどこか雰囲気が異なる。表現するなら、柔らかい。色使いのせいなのか微かな香りのせいなのか。
「飲み物、一応。粗茶ですが。飲み切らなくてよいですからね」
親友たちがどこに立ち寄ってから来たのかも聞いているから、涼は少な目に湯呑に緑茶を注いだ。
自宅であるからリラックスした格好だ。部屋着そのままで最低限の気を配っただけ。来客の面子的に身構える必要を感じなかった。暖房もしっかり入れてあるから太ももも二の腕も放り出している。
ということは優芽や明歩には些か暑い。冬制服のブレザーも、セーターもいらない。
自分の意識しすぎだと十回ほど脳内に唱えて琴樹はけれど目を閉じる考えはなかった。実際、意識しすぎではある。琴樹の言い訳としては、状況が良くない。これがカラオケでもボウリングでも、どこか暖房の強い店だとか、そういう場所なら気にすることもないはずだった。
「よかったですね幕張君」
衣服を畳む必要のない涼の冷えた指摘は優芽の「なにが?」以上の発展をみなかった。
本題はあっさりと解決した。
「その件は少し、違った意味で広がっていますね」
涼が語るところ、告白にも種類があるという。大きくは、想いを伝えるものか否か。真摯に自分の心の内を吐露する勇気には誠意をもって応えるが、雑念、どころか時には下衆な考えが透けていることもある。
その中で、自身の優秀さを吹く者もいるのだ。容姿、能力、肩書。
「それで何度か、私も腹が立ってしまうこともあり……売り言葉に買い言葉といいますか、その程度でよくも調子に乗れましたねと思うこともありまして」
なんでオレじゃ駄目なんだ、といったような言葉に言い返す中に比較を出してしまった、と。
「とばっちりじゃねぇか完全に」
「幕張君が幕張君なのがいけないんです」
「存在否定……」
「ちょっと、涼」
「ふふ、ごめんなさい。ええ、本当に申し訳ないです。とにかくそういった問答にもいい加減、煩わしさを感じていましたので、気付いていながら放置してしまっていました」
だから。
「私が幕張君とお付き合いすることはないですね。恋人になってもいい、というのは、恋人になりたくないわけではない、程度の話です。要するにただ友人として悪く思っていない程度の。それで、納得してくれますか?」
「はあ……つまりえっと、涼先輩は別に幕張……先輩のことが好きだとかそんなことはないと」
「はい。絶対に。ありえません。というか、私はもうずっと別の人を、その人のことを……愛してますから」
「愛!? ですか……愛」
「ええ。よいタイミングだと思うので言っておきます。私には、私の身も心も、とっくに全部その人のものです」
明歩が両頬を抑え、優芽はぱたぱたと手団扇に風を浴びる。
「あ、あついねー、だ、暖房かなー」
優芽の誤魔化しを聞き流しながら、琴樹は茶を啜る。
愛がどうのと臆面ない涼の視線は優芽と、それから度々には琴樹を捉えているのだ。目に宿す光は謝意ではない。揶揄いでもない。表情だけなら愉快そうな色をしているけれど。
よいタイミング。
おそらくは自分がここにいるということだろうなと琴樹は確信めいたものを抱く。
ここに。優芽の傍にいるということ。
「エアコン切りましょうか?」
「いや、あはは、それは大丈夫かなーって。ええと……これからどうしようか」
「ゲームでもしますか? ね、明歩、対戦しましょうか」
「あ、は、はいっ。やりますっ。やらせていただきますっ」
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