第97話 ずいぶん変わったな……

 待ち合わせ場所は校門にした。このあいだ見たドラマの影響は否めない。

「お、優芽ち、なにしてんの~? 優芽ちもカラオケ行く?」

「いいな! 行こうぜ優芽!」

 男女のグループに遊びに誘われたりもするけれど「ごめん、人待ち。今日は用があるから。楽しんできてね」応じる事は出来ない。男子の方はなおも食い下がるが優芽が首を縦に振ることはなく、グループの雰囲気が濁る前には引いていった。そのあたりの機微も、強く誘ってくる下心も、優芽は察してしまう。それを悪いとは思わないし、慣れたものでもあるが。

「カラオケ、行っても良かったぞ」

 友人たちを見送った後ろから届いた言葉は、断じて悪い。

「ふーんそう。じゃ行っちゃおうかなーぁあって……なんで明歩ちゃんも一緒なの?」

「やっぱ知り合いかぁ」

 振り返る前に不満を声にも顔にも出したのは相手が一人だと思ったからで、優芽は思わぬ連れ合いに首を傾げることとなった。

「どうも。こんにちは白木先輩」

「うんこんにちは」

「このあいだはありがとうございました。また是非、誘ってください」

「うん……それは全然いいけど……」

 なんで隣で、何の話だ、って顔してる琴樹と、二人でご登場? さきほどのおふざけの不満じゃない本気の不満があるんですけど? 優芽は「なんで?」と琴樹と明歩の顔を交互に見遣った。

 なんで? が伝染して今度は明歩が目を瞬かせる。よくしてくれる尊敬する先輩が、こんなに不機嫌そうなのははじめてのことだ。

「とりあえずバス停行こうか」

「……このばか。なに初日から後輩女子ひっかけてるの? はっ倒すよ?」

「理不尽すぎませんそれ」

「ふんっ。せっかく、待ち合わせしたのにっ」

「そこはごめんって。お、明歩ちゃん、どうしたの行くよ? あいたぁっ!?」

 男子に気安く触れる先輩も、はじめて見た。触れるというか抓るだけど、わき腹。



 市橋明歩は雲だ。雲だ、と自分を評する。

 これといった明確な形もなく、ただ風に流されるだけ。

「明歩も頑張りたいわよね?」

 勉強なんて好きじゃなかったけど、そう言われたから小学校受験なんてして。

「市橋さんでよくない?」

 誰かが言ったから六年生ではクラス委員になって。

「わたしは普通に区立のとこ行く」

 友達がそうだし自分も中学校は公立の普通の学校を選んだ。

 部活にバスケットボールを選んだのもどこかしら入部する必要があったから。

「好きです。付き合ってください」

 に付き合ってみたことだって三回あるけどどれも一か月持たなかった。

 高校は近いところにしただけ。バスケ部に入ったのは惰性。勉学も友人関係も当たり障りなく。

 そうして、ゴールデンウィークに、烈風に四散した。


「つまりあのライブで、涼に惹かれちゃったってことだね。まぁ涼はたしかに私から見てもなんていうか、魅力というか魔力というか……ちょっと魔性の女感あるしね」

「たし……たし」

 琴樹が危うくわき腹を抑える横に、笑みの深い優芽が座っている。対面に市橋明歩が、頬に両手を添えて顔を赤くしている。

「はい。ほんと、衝撃的で……すっっっごくカッコよくて、素敵で……あぁ、涼先輩」

「珍百景?」

「ううん。明歩ちゃんは違うよ」

「え、マジか」

 夢心地といった少女が違うなら他にまだ何があるのかと琴樹は戦々恐々といった気分である。カプチーノの味も遠く感じる。

 三人は喫茶店のテーブルに飲み物一つずつを置いている。支払いはバイトに精を出し過ぎた琴樹が見栄を張った。隣の少女のご機嫌を取り戻すためという思惑も無きにしも非ず。

「見てのとおり、明歩ちゃんは涼のファンなの。今日は涼、来られなくって残念だったね」

「仕方ありません。涼先輩の睡眠時間は始業式なんかより百倍大事ですから」

 琴樹の知らない情報だった。睡眠時間云々じゃなく涼が今日休みだったという部分が。ちなみにただの寝坊だがそこまでは考え至らなかった。

「ファンやってる……てことは、涼は、続けてるんだな、バンド」

「ええとね、それはちょっと違くて」

「バンドではありません。たしかに涼先輩はバンドのボーカルとして、はじめ、表舞台に立ちました。ですが。それはすぐに、ゴールデンウィークのライブ一回きりですぐに解散し、そして涼先輩は一人の素晴らしい歌手として輝かしい道のりを歩き始めたんです」

 結構、衝撃的だったんだけどなぁ。と琴樹が思うくらいに熱が込められた口調だった。仁が誘っていたバンドが、仁と涼が組んだバンドが、あのゴールデンウィークのライブのあとにあっさり解散していたというのは衝撃の事実ではある。

 とはいえ仁のことだから琴樹が受ける衝撃というのは事実に対してのみで、だから両手を組んで涼語りが止まらない後輩の方が気になる。

「路上ライブでは道行く人々を笑顔にし、テレビの取材に堂々と応え、そしてあのゲリラライブ……はぁ……素敵ですぅ」

 琴樹は優芽に顔を寄せる。

「テレビって?」

「ローカルのやつ。でもネットでちょっと有名になってるのはほんと」

「ゲリラってのは?」

「ん。これ」

 優芽がスマホの画面に表示させたのはネットの記事。

「うわ、ほんとに涼だ」

 短い記事ではある。それでもそこに映っているのは間違いなく同級生の女子生徒で、無機質な施設の前で歌っている。ように見える。空は星、服は長袖、記事の日付は昨年末だった。

 とんでもない変化もあったものだ。

 琴樹はため息に近いものを吐き出してソファ席の背凭れに身を預ける。

「すげぇことやってんなぁ……」

「いちお、これが一番大きな、変わったこと、かな」

「それは助かる。これ以上があったらさすがにビビるとこだった」

「ビビるって、なんでよ」

「いやぁ、なぁ、自分のちっぽけさに情けなくなりそうだよ、こんなの」

「琴樹ぃ~? そういうのよくないってば」

「違う違う。そういうこともなんていうか、普通に考えられるようになったってことだよ。心配すんなって」

「ほんとに?」

「ほんとほんと」

「信じるよ?」

「おう信じろ。ポジティブにネガティブ思考できるようになったわけ、俺も」

「なにそれ」

 優芽が小さく吹き出す。

 琴樹も優芽も、忘れていた。

「あの、ところで白木先輩と幕張……先輩は一体どういう関係なんですか? すごく……信頼してるように見えますけど」

 明歩が伺う先は優芽だ。琴樹のことなぞ何も知らず、ただ敬愛する先輩が「幕張君とかですかね?」と言っていた、という風の噂を聞いただけ。肝心の本人が不在だった上に、涼には問う言葉を躱されていたから。

 琴樹も涼も、答えを持っていない。

「友達?」

「やだ」

「親友」

「や、だ」

「元クラスメイト、うそうそうそ冗談だって」

 琴樹が提示するものを全て拒否する優芽がとてもとても不満そうで。

 同年代の異性に触れるのに、戸惑いも気負いもない姿が楽しそうで。

「あ、承知しました。はい」

 明歩は二度三度と頷いた。たぶんきっと、他人の自分が首を突っ込んでも無駄に疲弊するだけだと悟った。

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