第96話 なるほどわからん

 三学期の始業式より前に、琴樹は二年一組の一同を前に頭を下げた。

「そういうわけで、これからまた……よろしくお願いします」

 パチパチとおざなりの拍手が響く中「ども」と会釈して席に戻る。

「なぁなぁ、どこ行ってたん? マジで。てか久しぶりだな~……」

「ほんと久しぶりだよな。またよろしく」

「おうよろしく。そんで? と、また後でな」

 隣の席の男子が気安く声をかけてくれることがありがたい。心から。担任に軽く睨まれてしまう羽目にならせて申し訳なくもあるが。

 数十人の生徒たちと同じ向きに座りながら、琴樹は懐かしさを覚えて目を細めた。それは同時に246日という日数の長さの実感で、少し、けれど確実に変わったクラスメイト達の雰囲気に身動ぎしたくなりもする。

 反対側の席からも声がかかる。

「おかえり。って、もう言ったって言ってたから言うけど、私も」

 文がスマホを揺らしながら潜めた声に伝えたように、女子たちの網は健在である。

「あー……ただいま、でいいのか?」

「あ、ごめん。特別だったよね」

 そう言ってにやりと笑う文も、少し変わったなと琴樹は思った。


 張り巡らされた網に含まれない存在もいる。

「うわ、お化け?」

「誰がお化けだ誰が」

「幽霊ゴースト悪霊退散っ」

「祓うな祓うな。……よ、久しぶり」

「だっはっは……おっけぇおっけぇ! とりま元気そうでなによりだよ」

「ん、ま、な」

 或いは同性同士の方が、緊張や不安は大きかったかもしれない。うまく言葉が出ない琴樹は今更そんなことを考える。

 始業式からの引き上げ際に顔を合わせた友人に、いまいちどう接していいかわからない。

「いつからこっち戻ってきてたんだ?」

「昨日の昼すぎ」

「なるほどな」

 仁が廊下に顔を見回す。探し人はそれなりに遠くにいたが、目が合ったから確信は得られた。こちらに気付いた彼女が平静なのがなによりの証拠だ。

「ま、おいおい話聞かせろよ」

 トン、と琴樹が仁に胸を叩かれるのはこれで二度目になる。

「あぁそうそう……覚悟しとけよ」

 仁が自分の教室へ戻る間際に、両手の指差しと共に残した言葉だけちょっと気になるところだった。

「なんのだよ……」


 これのか。というのは帰り支度を終えてすぐに理解した。

 そしておそらくはクラスメイトの多くも知っていたんだなと。

 明らかに遠巻きに囲まれた輪の中心にあって、琴樹はまったく面識のない人物と対峙している。

 上履きの色は一年生。女子生徒。知っているわけがない。

「俺に用が?」

 キリっと釣り目なのが元の目鼻立ちなのかそういう表情なのかは不明だが、中性寄りの美人には違いない。黒い髪はショートで、身長も高め。制服でなくパンツルックなら一瞬は性別判断に迷ったろうなと感じるのは、纏う雰囲気が剣呑なせいもあろうか。

「幕張……先輩ですよね?」

「たぶん」

 女子生徒の目尻が一段上がった。

 琴樹はさらりと周囲の様子を探ってみる。こちらを見る目、様子、仕草。不安や緊迫はない。いよいよ意味が分からない。

「あなたが」

 に続いた名前に本当にもう何もわからない。

「涼先輩の……」

「……いや。の、なに、なんなんですか」

 琴樹はひとまず鞄を肩にひっかけた。

「とりあえず場所変えようか」

「へ? え、は、うん、じゃなくて」

「話があるんですよね?」

「そう、ですっ。てどこへ行くんですか。あ、ちょ、ま、待ってくださいよっ」

 女子生徒もまたロッカーに置いておいた自分の荷物をひっつかんで琴樹の後を追う。

「あ、すみません、お邪魔しました。さようなら」

 ぺこりと先輩たちに頭を下げてからだが。

「待ってくださいよぉっ。置いて行かないでください!」

 誰かが「いい子なんだけどなぁ」と呟いたから、それで二年一組の居残り組も解散するきっかけになったのだった。


 場所を変えるといっても腰を落ち着けようというのではない。下駄箱までのルートをほんの少し外れて自販機に指を伸ばす程度である。

「知ってるみたいだけど、俺は幕張琴樹、二年です。で、君は?」

「……市橋明歩です。一年です。バスケ部に所属してます」

 なんとなくでしかないが似合いな気はする。バスケットボール部と言われて琴樹が思い浮かべる人物像にたしかにほど近い。

「なんですか、変なとこ見ないでください」

 謝罪はするが手足を見たくらいで変なとこは心外だなと琴樹は思った。

「俺の方からは君……市橋さんのことは知らないんだけど。あと知ってるか知らないけど、今日が久しぶりの登校だから最近の涼のことも知らない。もちろん市橋さんと涼のこと、二人がどんな関係かもです。ついでに、あんまり長引くなら明日にしてください。マジで」

 言いながら若干、苛立ちが漏れたなと反省する。

「うっ、そ、そんなに怒らなくても……」

「あぁごめん、別に怒っちゃいないんだけど。一応、このあとに予定もあるからさ」

「それは……すみません。あとその……態度、悪かったのも……ごめんなさい」

 不本意ではないが気恥ずかしさはあるから、市橋明歩の視線は琴樹の随分と横に逸れている。

 謝るほど悪くはなかったですよ、と言ってもあまり意味はなさそうだと思った琴樹は、代わりに話を促すことにする。そちらの方が自分にも都合がいい。

「とりあえず市橋さんは、市橋さんと涼はどういう知り合いなんですか?」

「それは、ですね……涼先輩は、私の憧れなんです。綺麗でカッコよくて」

 わからなくもない。琴樹が思い浮かべる涼の姿は、今日は更新できていないからゴールデンウィークまで遡るが。

「テレビでだって堂々としてて」

「うん?」

 テレビ?

「そんな人がお付き合いしてもいいと言う……幕張先輩は何者ですか?」


 ???


「ごめんやっぱ、時間取らせてくれ」

 あと誰か頭痛薬くれ。

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