第95話 1>246

「お待たせ。……なにその顔」

「いつもこんな顔だよ」

「そんなことないじゃん。なんでそんな……そんな変な顔してんの?」

「さぁな。したくてしてるわけじゃないんだよなこっちも」

「意味わかんなー。まいいや、じゃあ行こっか」

「……どこへ?」

「どこでもいいよ?」

「なんか新しいレストラン、出来てたよな。そこでいいか? てかついでに飯済ませるけど、大丈夫か?」

「おっけー。ふふ、結局カップ麺は明日だね」

「そうだな」

「家、連れてって……教えてくれてもいいんだよ?」

「……まぁ、気が向いたらな」

「向け」

「向かん」

 他愛ないことを話している内に白木家はずっと後ろに流れる。

 遠くになったのはただ家だけではなく、白木家の長女もだ。

「ねぇ」

 優芽は立ち止まり、立ち止まらせる。知らない私服の裾を掴んで、見上げるのは少し知らない顔。日焼けの名残りが色濃い琴樹を優芽は今日この日にはじめて見たのだ。

 冬の夕空は短く、ほんの僅かな時間でもう夜の気配が漂っている。

「ほんとに……待ったんだから。待って……たんだから」

 だから、芽衣のように何事もなかったような顔で納得できない、せめて、芽衣と同じにしてくれないと満足できない。

「優芽……」

 嘘だ。名前を呼んでくれるおなじだけじゃ満足できない。

「……もうちょっとだけ、このまま……琴樹……」

 見上げるだけじゃなくて、呼ばれて、呼ぶ、だけじゃなくて。

 抱き締め返しては言わないから。


 葛藤であり煩悶であり懊悩であり躊躇であり意気地のなさだった。

 自分の胸に頭を寄せ、人目憚りなく密着してくる相手を、琴樹だってそれはもちろん抱き締め返したい。

 だけじゃないから、困りものなのである。

 先に果たすべきことは多い。身辺の諸々、学校の色々、家族、友人、クラスメイト。先生に先生たちにお世話になっている人たちに。

 感謝を伝えて、そのあとにあるべき事柄のはずなのだ。

 自分の心情などというものは。


 それはそれとして抱き締め返せない理由もある。

 例えば一人暮らしの部屋に優芽を招くなど、出来ようはずもないのである。

 そういうわけで男子高校生は言われたとおり、ちょっとだけの時間を辛抱しきった。



「と、ま、ね、うん、あはは……うん……今のはその……べ、別にあれだから、なんでもないからっ」

「お、おう。あーまぁじゃあ、とりあえず行こうか」

「そ、そうだね、そうしよ! そうしよう、行こう行こう」

 ギクシャクと並んで歩みを再開する。

「あぁー……やべぇ……」

「うん? なにがやばいの?」

「……ちょっと精神力の鍛え方が足りなかったかもって話」

「……修行でもしてたの?」

「滝行はした」

「え、マジ? 滝行って、あれだよね、滝に打たれて心頭滅却! するやつ」

「ちなみに12月にやった」

「さっむ。夏にやんなよ、風邪ひいちゃうよ?」

「修行だからな。夏にやったら気持ちいいだろいやよくはないだろうけど、あれは」

「ふぅん? もしかして結構、面白いことたくさんしてきてたりする?」

「お、聞く? 片手の指よりはあるぞ、おもしろエピソード」

「あはっ、なにそれ、なにしに行ってたの、もう。でもじゃあ、全部聞かせて」

 琴樹は「言っちゃったから滝行から」話し出す。

 話は膨らむし脱線するから到底、数時間に語り尽くせるものではなかった。

 喋って、笑って、ツッコミを入れたり、時には食べて。

 ファミリーレストランに二人、どこにでもいるような高校生の男女がただ駄弁っただけ。

 遅くなりすぎる前には店を出て、琴樹の二度目の送りを優芽はありがたく受け入れることにした。

「じゃあまた明日、学校で」

「うん。学校……かぁ」

「なにかあったか?」

 なにもなかったなどとは思っていない琴樹だが、優芽が曇りがちに眉を寄せるのは気になった。

「あ、ったは、あったけど……琴樹ってこの……半年くらいってあんまりテレビ見たりしてないんだよね?」

「テレビは」

「ネットのニュースとかは?」

「ほぼ見てないな」

「なら、明日わかるしいいかな、いいと思う。琴樹が自分で見た方が早いし」

「一応、そうわるい感じじゃないってことで、いいんだよな? それだけちょい不安なんだが」

「それは大丈夫。なんかわるいとかひどいとかそういうんじゃないから。……珍百景? みたいな?」

「なんじゃそりゃ」

「明日のお楽しみ~ってことで。じゃあね、またね……おやすみ琴樹」

「おやすみ優芽」

 ドアが二人を区切り、息を吐き出したのはほとんど同時だった。互いにそれを知る術はないが。


 優芽はその場に蹲る。急に会って、普通に話して、普通じゃない距離も感じて。

 泣く理由は見当たらないのに、涙が出るのは当たり前と思った。


 琴樹は門に触れドアを見詰めた。なぜだか今すぐにこの目の前の家に、玄関なんか蹴飛ばしてでも踏み入りたい衝動がある。

 そんなこと出来るわけないから、今の今で名残惜しみすぎだろと自嘲した。

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