第85話 これから(も)よろしく

「最初はぁ……なにも気付かなかったなぁ。髪の毛の色とか、一番近いとこだと髪型か」

 優芽は「これ」と自分のショートカットの毛先を指先に摘まむ。

「芽衣から聞いたんだよね。あの子たまに、やっぱまだ小っちゃいから? かな? 何が好きー? とかどれが好きー? とかめちゃくちゃ直球で訊いてたりしてるみたい。琴樹にね。ま、それをいいことに利用してる私も私なんだけど」

「意外と図太ぇ……」

 希美が呆れるやら感心するやら漏らす本音に優芽は苦笑する。自分だって自分のそんな逞しさは知らなかった。

「でもでもあれだよ? 私からは訊いたりするのはあれだよ、恥じらいだよ? 恥ずかしくって訊けない」

 語尾をきゅるんと上げながら言ったところで説得力はない。

「いや……図が太いどころか大木じゃん。丸太じゃん。まるまる太りきってるじゃん」

「誰がデブじゃっ」

「言っとらんわぁそんなこと」

 だがしかし、たしかに胸部なんかはみっちりお太り申しているなぁ、と。そんな希美の焦点は優芽にも伝わるから「バカ」「アホ」と脊髄反射が飛び交う。

 喧嘩をしたいような、仲良くしたいような、どっちつかずの妙な気分の二人だった。

「あと、うん、私って紅茶好きじゃん? でもなんだかコーヒー勧めてくんの、あいつ。飲めるよ? 飲めるけどさぁ」

「あぁあー、そういうのは、たしかに……やっぱクソボケだなあいつ」

「あとこないだのデート! はっきりとは言わなかったけど、あれ絶対、舞さんとの思い出の場所!」

「うわマジか。いっぺん……一発張り倒してもいいんじゃないすか?」

「いつかは絶対はっ倒すよ。任せて」

 とりあえず琴樹の未来に『頬に紅葉』が確定し、その後も優芽は自身が感じた違和感を並べ立てる。

「そう、デートで言ったら、服もそう。見せたよね? あの日のコーデ。写真で」

「見た見た。ちゃんと気合い入れててグッド! でしたぜ。大人な魅力が……がぁ、おう、そういうことか」

「そういうことっ。めっっっちゃ刺さった、たぶん、間違いなく」

「舞さんみたいで」

「舞さんみたいで。……あのやろぉ……」

 希美は小声で「スイッチ入っちゃったか」と、心の中で手を合わせた。琴樹と、あと自分に対して。

「勉強さぁ、勉強会してるじゃん? テスト前に。まぁそれ以外でもちょいちょい教えてくれるんだけど、それもやっぱ私のためだけじゃない感じなんだよね。たまに聞く話だけでも頭よかったっぽいもん、舞さん」

 とか。

「そもそも自分で言ってるもんね、琴樹さ、勉強にしろスポーツにしろ、昔頑張ってたからって、それさぁ、いいけどさぁ」

 とか。

「あれも……これはちょっと考えすぎかもだけど、私のこと『お姉ちゃん』……『芽衣のお姉ちゃん』してて偉いみたいな感じで言ってくれるの、あれももしかしたら、『琴樹のおねえちゃん』を思い出してるんじゃないかって、思っちゃったり」

 そういう積み重ねが、優芽の中に確信めいたものとして形を成している。

「今にして思えばっていうのも結構あるけど……なにより……たまに私のこと、見てないもん。目は口ほどに物を言う、ってあれ、ほんとだったんだね」

「優芽……」

「ごめん、希美に言うことじゃ……」

 ない。かつ、希美にこそ言うべきことだという気もする。

「なんか……大変だね、私たち」

「……わたしは、降りたんだってば」

 抱えていたものを吐き出した優芽は今ようやく少し楽になった。

 知る由もなかったことを知ったから、希美は大事なものを間違えずに済んだ。

「正直に言っちゃってい?」

 優芽の「うん」を受けて希美が吐露するのは心境の変化と、変わらないことだ。

「ども。なんていうのでしょうかねぇ、百年の恋も冷める気分でもある、わけ。まぁ実際のとこは、こう、自分でもコントロールできないようなとこで、やっぱまだ幕張のことは、全然好きだけど……。頭ん中って言うのかな? ちゃんと考えてるわたしは、わたしと、冷静な感じの部分はさ、思ってるのよ。……幕張、くそめんどくせぇぇぇ……って」

「めっちゃわかるっ。ほんとめんどくさい奴だよ。私が保証する」

「……そう言われるとちょっとムッとすんだよね。いちお、まだわたしワンチャンあったら乗っからないとは言わないから」

「ありませーん。あげませーん。ワンチャンなんて絶対あげない」

「言うねぇ。わたしだけじゃないかもよ? ワンチャン狙い」

「いいよ、負けないし」

「急に頼もしくなっちゃって」

 希美は、でも、を言葉にはしなかった。

 優芽が、優芽の気持ちが強くって安心する。腑に落ちる。そういったことを言ってやるのはなんだか癪だ。

 だってライバルだったから。お互いにまるきり幼稚で、どっちがとか勝ち負けだとか、そんな話にも及ばないような稚拙な戦争だったのかもしれないけれど。

 優芽で良かった。は言ってやらない。

 もし、でも、を続けるなら。

「でも……大丈夫? そんなだから、つまり、優芽が、優芽は大丈夫?」

「大丈夫じゃないよ」

 優芽は「でも」と続けた。

「大丈夫。めんどくさくって、はっきりしなくて、昔のことばっか想ってて今だって無理してるっぽいけど、でも大丈夫。琴樹は大丈夫だって、きっとちゃんと、私のこと見てくれる日が来るって、そう信じてるから、だから大丈夫」

「それは、ほんとに大丈夫なの?」

「うん。だって私、ただ待ってやるつもりはないもん」

「そっか。がんばれ」

 一応、付け加えた。「わたしの分も」

「任せて」

「……大丈夫じゃなくなったら……大丈夫が大変になったら、わたしんとこ来ていいよ。いっぱいよしよししたる」

「ありがと。……来年、同じクラスになれたらいいね」

「そうだね、来年度ね。ちなみに、幕張とクラス別になったらどうする?」

「……よしよし一回目、いい?」

「ま、わたしは懐が深いからね」

 そうして手を伸ばしたコップが空だったから、希美は同じものをもう一杯頼んだ。

 ミルクティーでもコーヒーでもない、レモンスカッシュ。


 よしよし、は、することになった。



「おーよしよし。残念だったねぇ」

「うぅー。休み時間とか、話しに行きたかった。一緒に授業受けたい。球技大会とか体育祭とか、応援したかった。文化祭、一緒に準備したかったぁ」

「よしよし、よしよし。出来ないことの分、出来ることいっぱいやりな。放課後に空いてる時だってあるだろうし、夏休みにはいっぱい色んなとこ行けばいい。クリスマスには、今年は一緒に過ごせるかも。ほらしゃきっとしぃ」

「希美も一緒に来る?」

「張り倒すぞー? にしてもバラけちゃったねぇ」

 二学年の最初の登校日に、優芽と希美は新しい教室で引っ付き合っている。珍しく優芽からである。

 周り、近いところには誰もいない。

 涼も文も小夜もいない。男子なら仁も。

「幕張と文は一組。涼は三組で小夜が四組。で、わたしたちが六組かぁ」

 なお、希美が脳内に浮かべる中にはいないが、仁は四組である。

「白木さん、篠原さん。よろしくね。それで早速なんだけど、なにしてる感じ?」

 新しいクラス、新しい級友。

 高二の春が始まる。

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