第84話 喫茶『bloom』

 くるくると掻き混ぜるのはミルクティー。優芽は飲み物ならミルクティーが一番好きだ。強いてよりは抜きんでて、でも他がいらないほどに突出しているわけでもない。フツーに一番好き。

 喫茶店に希美と向かい合っていると一か月前のことを思い出す。相手が違うけど、状況は似ている。お店もそうだし、学校帰りというのもそう。

 バレンタインデーとホワイトデーだなんてそれこそワンセットだろう。

「前に言ったけど、小夜とはバレンタインの日に話したんだよね」

 今となってもいい思い出ではない。優芽はあと一年は恨んでやるつもりでいる。つまり今日という日も、一年根に持ってやるのは確定している。

「びっくりしたよねー。私ほんと、小夜の想いとかその時まで知りもしなくって……自分のこと……自分と『先輩』だけの間のことってそう思ってた。だからもうほんとびっくり」

 希美は何も言わないが、委縮しているわけでもなかった。優芽の目にもわかるくらい、色んなこと頭の中に考え巡っているんだろうなと、そんな顔をしている。

「でもそうだよね、二人だけで終わる関係なんてないよね。私のことも『先輩』のことも、きっと小夜や、希美のことだって色んな風に思ってる人がいるんだよね」

 ミルクティーは今日も甘かった。

「私もそうだし。もしかしたら希美からしたら、何もわかってないのかもだけど、これでも一年、友達やってきて、親友だってそう思ってる。そうだなぁ、もし二年に進級しあがって別のクラスになっても……ゴールデンウィークでしょ、夏休みでしょ、他の休みもそうだし、土日とか、一緒に遊びに行きたいなぁってそう思ってるよ」

「……わたしだって、優芽とずっと……遊び呆けたい」

「え、待って、遊び呆けるのはちょっと」

「やーだー。一緒に馬鹿みたいに遊んでくれ! 遊びでいいからっ!」

「それはちょっと意味違くない!?」

 それになんだかとても下手くそな会話だ。優芽はそう思うし、希美もそう思っているはずだと、そう思う。

「まぁいいけど、いっぱい遊んだりしよう来年も」

「え、来年なん?」

「え? ……あ、来年度、来年度ね」

 優芽が訂正しても間の抜けた空気は消えない。二人の少女の笑い声が響くまでは消えなかった。

「いや、うん、来年度……って希美笑いすぎっ」

「あーびっくりした。あと九か月は遊んでくれないのかと」

「そんなわけないじゃん」

「まったく優芽はわたしのこと大好きだからなぁ」

「はいはい……けっこうまぁ、好きだよ」

「いやん」

「希美」

 流石に弛緩しすぎだと優芽は少しの真剣さを持たせて名前を呼んだ。

 お互いのコップの中身が半分を切る。

「優芽は……琴樹のこと、大好きだもんなぁ」

「そうだよ」

 優芽は穏やかに笑みを作る。希美の笑顔は優芽のようにはならない。

「わたしも」

 ただ同じだけの美しさを持っているだけだ。


「ごめん。そんなつもり……こんなことになるつもりはなかったんだけど……気が付いたら……好きになってた、ごめん」

「はぁ……謝ることじゃ、ないじゃん?」

「さすが暫定彼女さんは余裕がありますなぁ」

 希美の冗句を優芽は責めない。おちゃらけようと揶揄われようと受け入れる腹積もりでいる。余裕ではなく、また気付けなかった自分に希美をどうこう言う資格がないと考えるからだ。

「もしかしたら、くらいだったんだよね。希美も琴樹のこと好きな、好きになったとか、可能性としてはあるかもというか……誰が誰を好きになる可能性もあるくらいのすっごい浅い考えの、その程度の可能性としてさ」

「可能性ねぇ……涼とか、あとありそうなとこだと小夜とか?」

「そうそう。まぁ小夜はもう絶対違うって今は思うけどね」

「涼についてはどうお考えで?」

「……涼は……涼には非常に強い危機感を抱いております」

 インタビューみたいにマイクに見立てた拳が突き出されたから、優芽はテーブルに肘をついて必要以上に重々しく言ってみた。ただし内容は丸っと本音だ。

「だよねー。たはー。ぶっちゃけ涼がライバルになったら……優芽もやばいと思うよわたしは」

「怖いこと言わないでよ。ちなみに、希美のことも二度と琴樹に近づかないで欲しいくらいは思ってるんだけど」

「こわ」

 これは半分くらい本音。趣味や興味が合うかどうかなら希美の方に分があるのは間違いなく、優芽からしても全くもって油断ならない相手である。

「ま、わたしの方も……わたしのことももう、気にしなくって大丈夫だけどね」

「それは……」

 どういう意味なのかと言外に滲ませる優芽に対し、希美は沈黙を保った。

 静寂は長くなってしまった。無駄にと言っていい。必要以上に長引いてしまった間がそのまま二人の溝になりかけ、そこに若い店員が水を注ぎ足しにやってくる。

「お水のおかわりはいかがですか?」

 そういう当たり障りない気配りからではない。

 優芽が「あ、じゃあ」と差し出すグラスに水が満たされていく間、気安い声が掛かる。

「この前のようなことはやめてくださいねー」

 一か月前に会計に立っていた女性であり、あれから謝意も兼ねて何度か足を運んだ優芽は今では顔見知りであった。

「だ、大丈夫ですよぉ。もうしませんってばぁ」

「そうですかー」

 牽制、それと、場を和ませるお節介ではあった。女性店員からすると五つも年下の女の子たちがあんまり眩しかったから。

「話せることは、めいっぱい話し合ってね。ごゆっくりどうぞ」

 ついつい口を出してしまう。ぱちくりと瞬きする可愛い顔二つに満足してテーブルを離れる。


「求められてない時は首突っ込むなっていつも言ってるだろ」

「ごめんなさい。でもなんだか放っておけなくって」

「トラブルになったら給料から差っ引くからな」

「うふふ。はーい。気を付けてアドバイスするようにしますね」

「やめろと言ってる」

「評判良いんですよ? 私の恋愛相談。色んなこと知ってるって。経験の賜物ですね。それを、人生の先輩として後輩の子たちには伝えてあげなくては、と思いません?」

「大して違わないだろうが、年齢は」

「嬉しいことを言ってくれますね。私もまだピチピチですか」

「おばあちゃんか。死語なんだよ」

「一緒に膨らませてくれてもいいんですよ? 知恵袋」

「くだらんこと言ってないで皿でも洗っとけ」

 複数の高校の最寄りになっている駅の、そのほど近くに看板を据える個人経営の小さな喫茶店には、少女たちの秘密と友情と、恋の話が舞い込みがちなのだった。



「知り合いなん?」

「そこまでじゃないかな。お店に居たら、少し話したりはする感じ。けっこう色んな子と話してるよ。あ、私じゃなくてあの店員さんがね」

「ほへー」

 希美は改めてカウンターを見る。超が付く美人のおねえさんとくたびれた男の人が談笑している。

「店長さんなんだって、あの男の人」

 それにしては若いなというのが希美の感想だった。あといい加減なお店だなと思う。そんな空気がむしろ居心地良いとも。

「や、それはどうでもよくって」

 気を取り直して優芽と向かい合う。一度余計なことを考えたおかげか、気分はむしろすっきりとしている。いつの間にか気負いがなくなっていた。

「わたしが幕張のこと好きなのは、それは今もそう。好き、だよ。でもたぶん、同じくらい、嫌いにもなった。嫌い。好きじゃないとかじゃなくって、嫌いだあんな奴」

「そ、そんなに……ていうか、それがだから、なんで? えと、えー、と」

「なにさ、言えよ。you言っちゃいなよ」

「嫌いというのはつまり、ですね……」

「幕張が優芽のこと好きだから、じゃないけどね、嫌いになった理由は」

「ぉ……ぐ……あ……そ……そう、ですかぁ。それはぁ、あー、よかった? です?」

「……遠慮されても嫌味なんだけどもですけどぉお?」

 はいはい両想い両想い。ご馳走様です。ご愁傷さまです、わたし。

 希美は二回、両手で両膝を打つ。気分転換。

「だから早く付き合ってって言ってたのになー。もたもたしてるからわたしまで巻き込み事故じゃん。ぶーぶー」

「ひぃんごめんー」

「まぁ、いいよ。優芽がちゃんとわかってるなら……いいや、それは」

 想いの向き先をわかっていないならともかく、歩き方まで文句を言うのは筋が違うと希美は思う。その考え方ももしかしたら、諦念と嫌悪のおかげで踏み止まれた一線なのかもしれないけれど。

「それで……二人のことだし、言おうか迷ったけど、ていうか、たぶんそういう迷ってるのが、優芽に気付かれて変に思われてたんだよね、きっと」

 目を見て言う勇気はなかった。希美の目線はどうしたって自分のすぐ前にあるテーブルの縁に落とされる。

「優芽はさぁ、舞さんの写真とか、見たことある?」

「……あぁ」

 だから優芽の顔を見てはいなかった。

「ないよ、見たことは」

 声からはただ事実を語る以上の感情は読み取れなかった。

 だから、その先の言葉は希美の視線を跳ね上げさせた。

「もしかして、琴樹が私に舞さんを見てるって話だったりする?」

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