第48話 /じゃない二人

 黒浜くろはまりょう白木しらき早智子さちこから受け取ったメッセージは2つで、どちらも短い文言だった。

『優芽のが相対するからフォローしてあげてくれない?』

『早退 芽衣がいなくなってしまったから』

 一通目には、少し笑みを浮かべた。親子揃って誤字するなんてと、そんな小さな可笑しさから。


 二通目に一瞬、息が止まった。


 平静の裏で心臓の鼓動が早くなるのを自覚しつつ、優芽が鞄を持って教室を出て行ったことには適当な嘘をついた。

 こんな時に口から出まかせが得意な自分に自信と嫌悪が一緒くたに襲ってくる。

 そんな場合じゃない。


 数回、あるいは数十、見たのか読んだのか理解したのか、わからないままに二通のメッセージに繰り返し目を走らせ、返したのは短文だった。

『わかりました。私に出来ることはなんでも言ってください』

 既読はつかない。


 こんな時に。

 こんな時だから。

 突き付けられた気がした。


 黒浜涼は白木優芽と親友だ。

 黒浜涼は白木芽衣と友達だ。

 黒浜涼は、白木家の人たちと親しい付き合いをしている。


 だけの、他人だ。


 握る端末を潰しそうなほど、いっそ潰してやろうという気すら抱いて、力を込めて気が付いた。

 涼は優芽が一度、教室に戻るのを彼女が入り口を潜る瞬間から見ていた。それは、そこに優芽より先に居た人物に、目が留まっていたからだ。

 優芽とぶつかって、いつもみたいに話すこともなく、先にドアの向こうに去っていった人。

 涼は我知らず歩き出していた。



 廊下の隅で、涼は琴樹を見上げている。近い距離がそのまま涼の焦りで、期待で、祈りだった。

「優芽が……早退しました。今。鞄も持って」

「早退……?」

 琴樹は顔いっぱいに疑問を滲ませ、先程の優芽の様子を思い出す。平常ではなかったが、体調が悪そうには見えなかった。むしろ元気というか、なにかこう、エネルギー的なものは充溢しているというか、そういう風に見えたけどなと思う。

 言ってくれればいいのにとも考えそうになるが、急いでいたなら仕方ない、と自分の中に押し込めた。

「じゃあ……あとで連絡でも、してみるか?」

 優芽の方に危ぶむべきところを見つけられなかった琴樹はむしろ、目の前のどう見たって焦燥と憔悴に蝕まれつつある少女の方をこそ、気掛かりだった。

「いえ……いえ。その……」

「……いいぞ、下向いて。俺はたまたまここにいるだけだ。勝手に涼の独り言を聞いてる、そういうたまたまだから」

 それは涼にとって最後の一押しになった。


 自分が勝手に言ってしまっていいのか。他の人に話してしまって。

 優芽が伝えなかったのに?

 それを自分などが、白木家の人間じゃない自分などが、他人に明けてしまうことはしてはいけないことなのではないかと。

 そんな葛藤と罪悪感が、棚上げされた。


「ど、どうしましょう。芽衣ちゃんが、いなくなったって言っていて。それで優芽も、早退して……探しに行ったのだと……でも今の時間なら芽衣ちゃんは園にいるはずで……。わ、私はフォローしないといけないから……フォローって、なに? なにをすればいいの? 一緒に探しに行っちゃいけないの?」

 混乱というよりは、ただ思ったことを垂れ流した。

「いえでも、私一人行ったところで……。あぁ、先生に伝えに行かなければ。……体調不良でいいのでしょうか……。でも早智子さんなら、学校に一報入れるくらいは……」

 そしてなにより。

「芽衣ちゃん、大丈夫でしょうか……」

 胸部の布地が皺になるのも構わず握り目を瞑る。

 以前も、つい最近、芽衣はいなくなったことがある。でもそれは自分や、優芽や早智子すら認知しないままに解決していて、後から『危なかったね』と言い合っただけのことだ。

 今この瞬間に『いない』、という事実がこんなに苦しいなんて思っていなかった。

 何も出来ないことが。何もさせてもらえないことが。

 こんなに心締め付けるだなんて。

「涼」

 名前を呼ばれて顔を上げる。降った声は何の感情も持っていなかった。

「早退は、二人分、伝えてくれるか」

 涼が「え」しか言えない内に、琴樹は背中を向けていた。

「俺は、ただの体調不良だから」

 琴樹が二歩、走りだしかけて、立ち止まって振り返った。

「ありがとな。……でも、俺が勝手に聞いただけだから。わるい! よろしく!」

 今度こそ走り去っていく背中を見詰めながら、涼は届かない「ありがとうございます」を呟いた。

 胸はずっと、締め付けられるように痛かった。

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