第43話 幼女とていつも元気ではいられない
翌日に、起きだしてきた芽衣と朝の挨拶を交わした優芽は、まずは確認しなければいけなくなったことを優しく言った。
「お熱、測ろっか」
「やだ、です……」
「芽衣」
優芽は諭すように名前を呼ぶ。
芽衣が自分で自分の体調をわかっていること、その結果どうなるのかもわかっていること。それらを優芽も理解し、だからこそ言い聞かせる。
「こときおにいちゃんも、芽衣が大丈夫なふりしてたら悲しいよ?」
「めい、だいじょうぶだもん……げんきですっ」
言いながらも、優芽の手が額に触れることに抵抗もしない。する元気すらない、というのが実情だった。
「うん、熱い。芽衣」
妹の体を抱きよせて、優芽はぽんぽんと小さな背中を触れるような優しさで叩く。
「また今度ね。大丈夫。また一緒に遊べるから」
「……おねえちゃん、おねつ、うつう……」
身動ぎして離れようとする芽衣に微笑みを浮かべて、優芽は救急箱を取りに行った。
〇
「だから、ごめんね、今日はなしで。また空いてる日でも……通話でもいいし、また今度お願いしていいかな」
『ああ。もういつでも、いつでもいいから。全部そっちの、芽衣ちゃんに合わせるから。それで、熱以外は大丈夫なのか? 体調、吐き気とか、そういうのは』
「ん。そういうのは大丈夫みたい。気持ち悪いとか頭痛いとかはないって。ぼーっとした感じなのと熱以外は、けっこう普通にしてる。眠くもないらしくって寝ないから、そこはちょっと困ってるけどね」
『そうか……よかった。あ、いや、全然いいことじゃないんだけどな! そういうことじゃなくて!』
「あはは、わかってるって。慌てすぎぃ。変なとこ気にするんだから」
母が看病ということで芽衣の傍に付いている間、優芽は自室で琴樹と通話をしていた。芽衣の体調のことを伝え、今日の約束をキャンセルすれば、当たり前に琴樹が心配性を発揮する。
『そ、や、うん。まぁ。……薬とか、食べ物』
「も、大丈夫ですよーって。もうほんと、琴樹はさぁ。たまにあるんだ、やっぱり、体調崩す時。私の時より全然元気なくらいだし夜か明日の朝には治ってるんじゃないかな、いつもと一緒なら」
『そんな楽観してていいのかよ。病院は? 近くに大きめの病院もあるだろ、そことか』
「ね、琴樹、琴樹が心配してくれるのは……心配するのは、わかるけど、大丈夫だよ。顔色も、熱で少し赤いけど悪くは、ない。土気色してるみたいな、そんなこともないし。言ったでしょ、たまにはあるって。空いてる病院も見つけてある。電話相談も知ってる。午後になって悪化するようなら病院行くって話もお母さんとしてる。ねぇ琴樹、心配してくれるのはありがとうだけど、大丈夫だから。ね?」
『み、見舞いとかは』
「駄目に決まってるでしょ。琴樹に移ったら悪いとかもあるけど、芽衣が琴樹に会ったら絶対テンション上がっちゃうんだから。いいわけないってわかるよね?」
『……わるかったよ。わかってる。そうだよな』
「うんうん。安心してなんて言わないけど、ほんとに大丈夫だから。だから琴樹も、芽衣のことばっか考えてないでいいからね?」
『……ああ……』
琴樹の声が小さいのは自省もあるが、優芽の語り口が子供をあやすような柔らかさだったせいもある。改まると、気恥ずかしさで口を開きにくい琴樹だった。
「それじゃあ、とりあえずそんな感じだから」
『ああ、またな。……夜に……また夜に、時間があればでいい、電話してもらえないか? 出来ればでいいから』
「うん。する。絶対する」
『……』
「……」
『じゃあ、夜に』
「う、うん。また夜に」
通話を切って、優芽はベッドに座ったままスマホをしばし見詰める。そうして一分ほどは余韻に浸るのが、このごろの優芽の癖だった。
リビングに戻れば母に声を掛けられる。「幕張に約束はキャンセルでって連絡してくる」と言って出て行っていた。
「別にあんただけでも行ってくればいいのに」
「行かないってば。芽衣が行けないのにそんな、行けないよ」
「折角なんだし、二人でデートしてくればいいのにねぇ」
「でーとぉ」
「で、デートとか、そんなわけないじゃん。琴樹とデートとか。それに芽衣がいないんじゃ会う意味ないし」
「あら?」
「三人でケーキ食べに行く約束だったんだから」
母は少し首を傾げた。
〇
結局、芽衣の体調は夕ご飯の後しばらくして良くなった。熱もほぼ下がり、夕飯時には手をつけなかったおかずの残りを今になって摘まんでいる。
そういうことを、優芽は琴樹との通話に笑い声と一緒に乗せた。
「この調子なら明日もフツーに通園していいかもねって、そんな話してる。芽衣も明日は絶対に行き……たいって、そのくらい元気だから」
『そうかぁ。よかったぁ。よかったよ、ほんと。ほんっとよかった。白木さんとか、お母さんも元気? 移っちゃってそうみたいなことはない?』
「いまんとこはね。ま、大丈夫だと思う」
『今日は早めに寝ろよ?』
「はいはい。わかってますぅ」
なんならこのまま寝てもいいくらいだと優芽は思う。そんな時間ではないけれど、寝られる状況ではあるから。ベッドに寝転がって、スマホを顔の横に置いて。
『温かくしてな。芽衣ちゃんは、どうなんだ、体の強さというか、風邪とかけっこうひいちゃう方なのか?』
「そんな、病気に罹りやすいってことはないはず。普通くらいじゃないかな。普通にたまに風邪ひくくらい」
以前には優芽が体調不良で寝込んでいて、それが切っ掛けで始まったような関係である。琴樹としては芽衣の発熱を聞いて以降、気に掛かっていたことだった。
『そうか』
とはいえあまりに気にしすぎても仕方ないし、過剰な心配は相手を不快にさせかねないとも理解している。
『そうだ、あとで芽衣ちゃんに伝えておいてもらえるか? 「元気になってよかった。また一緒に遊ぼうな」って』
「おっけー。琴樹おにいちゃんが芽衣と遊びたがってるって伝えとく」
『まぁ、間違っちゃいねぇけど……』
「でしょー。ふふ」
『……都合はまたチャットか、学校ででも話そう』
「うん、そだね。学校って言えば、火曜には校外学習だね。よろしくね、班長さん」
『おう、押し付けられたからってテキトーはしないからな。白木さんも仁も、班の全員、俺の命令で馬車馬の如く働いてもらうわ』
「ははぁー、班長様のご命令とあらばー。……あはは、根に持ってる?」
『あんな結託されたのはなんか釈然としないところある』
「あはははは」
それは校外学習の班決めの後に行われた役割分担の話し合いの中でのことだ。
から成るグループにおいて、班長は他四人の共謀により琴樹に決定したのだった。
「楽しみだなー。琴樹とこういう、イベントでグループ組むのはじめてだから、すごく楽しみ」
『山登ってカレー作って食ってだからな。俺も結構好きだ、そういうの。すげー爽快なんだよな景色なんかも綺麗だし』
優芽はスマホに表示された名前を指先で軽く突いておいた。
「今ってどうなの? 紅葉ってもう過ぎてない?」
『それはまぁ……もうちょい時期考えて欲しいよな、やるならさ』
「ふふ、ね。どうせなら紅葉真っ盛りの時にすればいいのに」
『要望出しとくか、生徒会に』
「班のみんなで連名しとこっか」
『んじゃ、折角だし一年一組一同にしちまうか』
「いちいちいちだね」
琴樹が「しょうもな」と笑い、優芽も一緒になって声を出す。
(ほんとに楽しみ)
だから、それは勝手に口をついて飛び出したことだった。
「ねぇ、琴樹は、今は、私が体調悪くなったら、心配してくれる?」
『当たり前だろ。めちゃくちゃ心配するっつーの』
「うん……」
(……うん? !?!?!?)
急に部屋が真昼の砂漠みたいに暑い。わけもなく、優芽が自分で勝手に熱くなっているだけだが。
「あ、わ……い、今のは、その……べべ別に、心配して欲しいとかじゃなくって、一般的に言って知り合いが体調を崩した時には心配するのが普通だからそういう普遍的価値観に基づいた? 人間心理が? 心配? みたいな、アレ、アレだから。アレが……」
『急にどうした? びっくりして聞き取りきれなかったんだが』
「な……な、なんでもない……です」
『なんでもないなら、まぁいいけど。体調悪くなったら、すぐ言えよ? 体調だけじゃなくっても。何かあれば、手を貸すから。力になるから。絶対に』
「う、うん……べ、別にそんな、決意表明していただかなくっても、わ、わかってるし?」
『ならいいけどな。め……いや。……ちなみに白木さんって、料理の方は、どうなんだ? カレーだし問題ないと思ってるけど』
「こほん。バカにしないでくれる? こう見えて私、家事全般一通り出来るから」
気を取り直して、見えやしないけれど、優芽は胸を張る。料理をはじめ掃除洗濯、言われてやる程度ではなくどうやればいいか自分で考えて実施できるくらいには鍛えられている。
『おお……すまんかった』
声にも自信が溢れているから、琴樹も感嘆した。
くだらない、他愛ない、取り留めない会話はそうして、二時間ほども続いた。
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