第42話 幼女と秘密の買い物
優芽と芽衣が待ち合わせ場所に着いたのは約束の時刻の五分も前で、けれど待ち合わせの相手は既にそこに居た。まだ朝と呼べる時間帯に、改札前に人通りは少ない、芽衣が優芽の手を離れて駆けたとしても誰の迷惑にもならないくらいには。
「こときおにいちゃん! おはよおございますっ!」
「おはよう芽衣ちゃん。今日はポニーテールだね。可愛いよ」
「えへ~。おにいちゃんはねぇ、きょうもかっこいいよ?」
「ありがとう」
少し冷える日だから芽衣は白いもこもこと化している。髪は低めの位置に結ってあって、こちらは姉妹でお揃いだ。
「おねえちゃんもぽにーてーう」
「そうだね」
琴樹が芽衣の細い指に沿って姉の方にも「可愛いね」なんて言って目線はすぐに手を繋いだ幼女に戻す。
「お揃いだ」
「おそおいー」
「おはよう白木さん」
で、また優芽に目を向ける琴樹だったが、当の優芽はそっぽを向いてしまっていた。言葉の方も「おはよ」と素っ気ないから、琴樹と芽衣で目を見合わせて首を傾げた。
「とりま、ほら、ホーム行こうよ。電車来ちゃう」
すたすたと改札へと向かう優芽の背を追うように琴樹と芽衣も続く。
今日この日、三人は近くのショッピングモールにお出掛けする約束をしていた。
電車が来るのは、たっぷり九分後。
〇
四駅を揺られる間、芽衣はおにいちゃんとおねえちゃんに挟まれて御機嫌にお喋りする。
「きょうはねー、ママがねー、なんでもひとっつ買っていーわよーって言ってたからねー。なに買おうかなーって、めいなんか買うの!」
「私がいいよって言ったら、だからね。芽衣、ちゃんと覚えてるでしょうね」
「おねえちゃんはね、ちょっとケチなんだよ。こじゅーとーなの」
「こじゅ……ああ、小姑」
「あ、ちょっと!? なにその目! なんか納得してない!?」
「とんでもない。意外ときっちりしてるよなって思っただけだよ」
「……意外とってなによ。てかきっちりとか……いいように言い換えてない?」
優芽の目が眇められるから、琴樹は手前の子の相手をしてやり過ごすことにする。
「お姉ちゃんが頼りになって芽衣ちゃんも嬉しいよな?」
「たよりぃ?」
「お姉ちゃんと一緒だと安心で嬉しいってこと」
「うんっ。めいはおねえちゃんと一緒がいっぱいうれしい!」
「だよな。……いいお姉ちゃんしてると思うよ、白木さん」
「……そ」
(誤魔化されてあげるけどさっ)
〇
「よしじゃあまずは」
どこ行こうか、とモールの入り口に琴樹が訊ねる前に、芽衣が「こっち!」と手を引く。
力強く連れてこられた先は、案内センターだ。
「ええと?」
カウンターの真ん前で立ち止まらせられ琴樹が困惑していると、芽衣がカウンターを指差す。カウンターなのか、カウンター内の女性をなのか。琴樹としては、完全にこちらの様子に気付いて見守っている女性をこそ気になる。
芽衣が大きな声で言う
「まいごになったらね、ここで「しらきめい、さんさいです」ってゆーんだよ! おにいちゃんはねぇ、えっとねぇ、「まくはいことき、さんさいです」ってゆってね」
「そっかそっか。うん、わかった。覚えておくね。……お邪魔しました」
「いいえ。よい時間を過ごされますように。めいちゃん、ばいばーい」
「ばいばーい! ……こときおにいちゃんもばいばいすうの!」
「いや俺は」
「あー! ばいばいしないのはねぇ、わるいこなんだよ? だめなの!」
「ば……ばいばーい」
「ふふ、ええ、ばいばい、こときお兄ちゃん」
(綺麗なお姉さんってやばいなぁ)
「なに鼻の下伸ばしてんのよ。……別にばいばいしなくても、普通に失礼しますとか言っとけば芽衣も納得するんだから」
「……早く言ってくれ。あと、鼻の下は伸ばしてない」
「伸ばしてた」
「伸ばしてない」
「伸びてた!」
「伸びてない!」
「おお……いいぞぉ、けんか、やえやえー!」
「……君んちの教育どうなってんの?」
「女子たるものきちんと意見を持って強く意思を示して見せなさいって家訓なの」
「そりゃ……逞しいことで」
〇
芽衣のセンサーが反応するに従ってモールを歩いていく。
お洋服に興味があるのは女の子らしい。装飾が多く施されたものを好むのも幼さ故にわかりやすい可愛さを求めてだ。優芽も昔はそうだった。
今は、どちらかというと動きやすさ重視で購入している。今日の服装も、芽衣と一緒の外出というのも大きいが、パンツスタイルに足元もしっかり歩ける、走って支障のないスニーカーだ。
(可愛い……か)
店の外の通路を楽し気に歩く同年代っぽい男女の二人組を見やる。可愛いがそこにある。可愛くして、可愛くあるということ。翻って、自分はどうか、考えるまでもない。
(芽衣がいるから)
可愛い、という評価の重さは、あそこで傍目にも緊張している感のある男の子と、ここで児童用の服を真剣に選ぼうとしている男の子では、全然違っているのだろうと優芽はため息を吐き出した。
芽衣がいるから、可愛いだけじゃいられない。芽衣がいるから、可愛いと言ってくれる。
(それも今日だけだけど)
「おねえちゃん、つかえたのー?」
「ううん。疲れてないよ。芽衣は疲れてない?」
「うんっ、めい、げんき!」
「これだな。芽衣ちゃん、と白木さんも。これとかどうだ?」
琴樹が一着の服をかざす。
「……おにいちゃん。めいはしつぼーしました。こときおにいちゃんとはやっていけません」
芽衣はツンとそっぽを向いた。
「失望!?」
慌ててお嬢さまのご機嫌取りに右往左往する琴樹に溜飲を下げる思いで、優芽は口元に笑みを乗せた。
(芽衣のおかげ、だね)
芽衣がいるから、芽衣のせい、芽衣に。
結局全部ひっくるめて、この時間は、芽衣のおかげ、なのだと、優芽は一歩、ファッション指導中の二人に踏み出す。
〇
琴樹が疲れたからとフードコードに席を占める。昼にはまだ早いけれど、混む前に済ませてしまおうという話になってついでに昼食も摂った。
芽衣はセットメニューのおまけの玩具に夢中になっている。その隣に琴樹がいて、琴樹の正面に優芽が座っている。
「もう少し見て回ったら出ようか、ここ」
ここ、はフードコートではなくショッピングモールを、だ。
「そうだね。いまから戻って……30分くらいだよね? 公園で遊べるのは」
「そのくらいだろうな」
午後には、琴樹はバイトが入っている。それに間に合うようにしつつ、芽衣の希望は出来る範囲ですべて叶える。琴樹自身が望んだことだった。
「大丈夫? 疲れちゃうでしょ、バイト前に。この前もだけどさ」
「そん時も大丈夫だったから、今日もいけると踏んだわけなんすよ」
「ならいいけど」
ドリンクをストローに通して優芽は続ける。
「バイト、なにやってるの?」
「本屋のバイト。場所は秘密な。仁にも訊かれたけど、教えてないし」
「……別に? 教えてなんて言ってないけど?」
「ハハ、ごめん。けっこうしつこく訊かれたから、先手打っとこうかなって思っちゃってな」
「……別に? 教えてなんて言わないけどね? 全然」
ちゅーと吸い上げたミルクティーは甘いだけではなかった。
他愛もない話をして、芽衣がおトイレと訴えたのに合わせてフードコートを出て、他の人たちが昼ご飯を食べ終える頃には芽衣たちはモールの外にいた。
「たのしかったねー! めいこれだいじにするー!」
芽衣が握りしめたクマのマスコットのハンカチを琴樹に突き出すようにして見せる。ついさきほど、買ってすぐに開封した今日の『ひとつだけ』だが、軽くなったのは琴樹の財布だ。折角だからということでプレゼントにさせてもらったのだった。
「ありがとう。でもちゃんといっぱい使ってあげてね」
「まかせてください!」
「ああ、まかせた」
「まかさえました!」
駅までの道のりを軽やかに、芽衣はずっとはしゃいで歩く。
だからというわけじゃないが、ハンカチの出番はすぐにやってきた。
小さな段差に躓いて道路に両手をついた芽衣に、琴樹が「大丈夫!?」と声を掛ける。芽衣は全然、大丈夫だった。
「えへへ、めい、だいじょーぶ。……お手手よごえちゃった……」
「……洗いに行こっか」
泣くどころか逆に笑ってみせる芽衣の頭を撫でてやりながら駅のトイレを借りて一緒に手を洗った。ので、ハンカチも早速の一仕事となったのだ。それさえ芽衣の笑顔の素だった。
「クマさんはつよいからなかないんだよ」
ということらしかった。
それから、自宅の最寄り駅まで戻って、いつもの公園で軽く遊んでから解散となったのだが、芽衣は何も疑いのない眼差しで琴樹を見詰める。がっしりと、琴樹の脚を全身で捕まえながら。
「あしたー。あしたはなにしますか? めいはねー、ケーキたべたい!」
今。だが、まぁ、たぶん明日も食べたい。
琴樹は迷わなかった。「うん」と答えて屈む。
「明日はケーキ食べに行こうか」
「ケーキ!」
「だから今日はケーキ食べちゃだめだぞ?」
「……おねえちゃん、ケーキ」
「明日まで我慢しなさいねー」
「けち」
「芽衣?」
「おねえちゃんがおこったー! あはははは!」
琴樹の後ろに回って、芽衣は大きく笑い声を上げる。
「まったく。……琴樹、その……大丈夫なの? 明日も」
「ああ。駄目でも大丈夫にするよ」
「え?」
「いやほんとに大丈夫なんだけどな」
ちょっとした冗句みたいなものだったのだろうと優芽は少しだけ唇を尖らせた。
約束をまた一つして、琴樹は家まで送るつもりだったが優芽と、芽衣ちゃんにまで「ううん、またねーするの! またねー!」と言われてしまったから、公園に二人を残して一人バイトに向かう琴樹だった。
その背中がビルの角に消えてから、優芽は芽衣の髪を一撫でした。
「じゃ、買いに行こっか」
「はーい! どえがいいかなー」
琴樹が去ったのとはまた別の出入り口を目指して公園内に歩を進める。
「おはなあさーん!」
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