第41話 幼女からの報告は以上です

 白木芽衣にとって夜の通話というのは、報告の場、という感覚が強い。

 週に二回か三回、パパとお話しして、前回の通話からの間にあった出来事を教えてあげる。それは芽衣に起きた事はもちろん、姉や母に関することについても。

 パパに『ごほうこく』するのが、芽衣の『やくめ』なのだ。

「ママはね、かみきったんだよ。けさき? を? とーのえたの!」

 それは先の祝日のこと。

『そっか。綺麗なママは芽衣ちゃんの自慢なんだね』

「じまん! めい、じまんするよ! せんせーにもねー、ママきれいでしょーって。せんせーもきれいってゆってたから、めいもきれいでしょーって」

『ママ綺麗でしょーって自慢するの?』

「そー」

 ということらしい。それは芽衣以外の白木家の人間にとってははじめて知ることで、綺麗なママは上の子の視線から顔を背けて逃げている。

「おねえちゃんもねー、きれいーって! みんなゆってる!」

 芽衣が思い切り腕を伸ばして『みんな』を表現するから、当の本人は少し窮屈そうに上半身を仰け反らせた。ついでに母からのしっぺ返しの目線も背中にシャットアウトだ。


 そんな歓談の流れの中で。

「あ!」

 芽衣が声を上げた時、優芽は特段気にしたりはしなかった。ここまでの間にも脈絡なく話題は変遷に次ぐ変遷で、芽衣の気ままに色んなことが通話に乗せられていたから。

 それはまさに油断だった。

「おねえちゃんねー、ひみつになったんだよー」

『ひみつ?』

 琴樹が疑問に思い、優芽の体は固まった。

「おねえちゃんのたいじゅうねー、ひみつになったの。ひみつになったぁね、だいえっとがはじまるんだよ」

『芽衣ちゃん、それはもしかして』

 琴樹が察し良く話を切ろうとするものの、芽衣が止まることはない。止めるべき優芽は今、フリーズしている。なお母に止める気はない。

「でもね! もしかしたあ、おっぱいおっきくなったのかもって! おねえちゃん、おっぱい!」


「芽ーーーぇ衣!!!」

「わあぁぁぁっぶ!?」


 琴樹から見える絵面は、非常によろしくない。幼女を背後から羽交い絞めにし口を手で覆って喋らせないようにしている。なんていうのは、お目にかかりたくないというか発生して欲しくない状況すぎる。

「ほぐげがご!? んーーー!!!」(おねえちゃん!? やーーー!!!)

「芽衣、あんた、それ以上は絶対だめだからねっ!?」

「ふがーーー!!!」(やだーーー!!!)

「あぁ!? ちょっと待って、て、あ、暴れるな! 大人しくしてなさいよ!」

 短い格闘戦の末、姉の拘束を解くことに成功した芽衣は母に助けを求めて駆け寄っていった。

「ママぁ! おねえちゃんが! おねえちゃんがね! めいをね!」

「はいはい。見てたからわかってるわよー。ほらいらっしゃい。よしよし」

「めいわるいことしてないのにっ!」

「したでしょうがぁぁぁ」

 優芽の地の底を這うような声にも芽衣は怖気づいたりはしない。

「べーっ」

「めぇいぃぃぃ」

 じゃれ合いのレベルではある。優芽もちょっと妹の口を塞ぎたいだけで本気で怒っているわけではないし、芽衣も芽衣でそれを感じ取っての、姉妹喧嘩じゃれあいである。

「優芽ー、とりあえず自分の格好、どうにかしなさいねー」

 そういう時、仲裁するのが母の務めだし、年頃の娘のはしたなさを窘めるのはそこそこ本気だ。


 琴樹から見える絵面は、非常によろしくない。ソファ上に行われたひと悶着の末、緩く履きこなされていたズボンが半分ずり下がった同級生女子のお尻が今、画面の九割を埋めている。なんていうのは、健全な男子高校生が目を離せる光景ではなさすぎる。

(水色……すまん……ありがとうございます)

 琴樹は瞑目し手を合わせて頭を下げた。

 バドミントンで培った瞬発力を遺憾なく発揮して体勢を変えた優芽が叫ぶ。

「な、な、なに拝んでんの!? はっ倒すよ!?」

『や、ごめん。思わず。考えるより先に、体が勝手に動いてました』

「なにを感動風に言ってんの!? ば、あ、バカっ!!!」

 そのあともしばらくは優芽の罵倒と琴樹の謝罪が続いたのだった。

「おねえちゃん……こわい……」

「よしよし。大丈夫だからねー。あれはね、自爆って言うのよ」

「じばく?」

「そ。でもママとおねえちゃん以外に言っちゃだめだからね? 自爆」

「うん。めい、じばくしない」

「くっ……そ、そうね……芽衣は、自爆しないもんね」

「うん」

 なぜ母が震えているのかわからないが、自爆はいけないことなのだなと、芽衣は思いました。まる。



 元々、十五分程度という約束だった通話は少し、だいぶ、かなり押して、開始から三十分経ってから「またねー」と『また明日』が交わされることになった。

 優芽の羞恥心がひとまずの収束をみた後も、芽衣の『ごほうこく』は続いたのだった。

 ただし、優芽から姉の話は禁止されたし、厳重な監視の下ではあったが。

「おはなしおわりましたー」

 通話を切った後、芽衣がタブレットに声を掛けながらその天辺を撫でる。優芽は飲み物を取りに向かう。

「……なに、お母さん」

「別にー。何も言ってないでしょ」

 テーブルの椅子に座る母からの視線に耐えかねて問うもすかされる。追っても良いことはないとわかっているから、優芽も深く追求することはしなかった。

「ママー、タブレットさん」

 端末とスタンドとを芽衣が差し出す。

 後片付けなんていうのは、それらを仕舞って終了だ。


「芽衣、楽しかった?」

「うんっ。めい、いっぱいごほうこくしました。えらい?」

「えらいわよぉ。ちゃんとお仕事できて偉いわね」


「いらないことまでしてくれちゃったけど」

 とは優芽だ。

「あんたはいつまで膨れてんの。自分でやったことでしょ」

「でも秘密って言ったのに」

 お姉ちゃんまで小さな子供に戻っちゃったのかしらね、と母が内心に苦笑していると、芽衣が優芽に近づき姉の服の裾を引っ張った。

「おねえちゃん、めい、だめなことしたからね、ごめんなさい。ひみつ、ゆっちゃったからね、ごめんなさいする」

「ぐ……いいんだよ、芽衣。その、お姉ちゃんも怒ったりしてごめんね? そんなに気にしなくっていいからね?」

「ありがとー! じゃあめい、きにしないね!」

 手打ちである。芽衣は元気にソファに戻っていく。当然、残された側としては「いやちょっとは気にしろい」という気持ちもあったりなかったり。

 一つ嘆息して、それから優芽は考える。

(明日、なに着てこっかな)


 元気すぎる妹が取り付けてくれた約束のことを考えて。

「……なに、お母さん。なに?」

「だから何も言ってないでしょ。……ま、後悔はないようにね」

 母に一瞥とずいぶんと大雑把な忠告を貰うことになった。

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