第40話 見ている人を見ている人を見ている人

 ソファに座って、膝の上に芽衣を乗せる。それはいつもは母の早智子がしている体勢だ。優芽は基本的にカメラに映り込まず、というかわざわざリビングに居ることもない。たまにちらっと顔を出すだけ。

 それが、長期出張中の父とのコミュニケーションスタイルである。


「こら芽衣、跳びはねないの」

 痛いから、という理由までは語らず、優芽は自分の膝の上で小さなお尻を忙しなく跳ねさせる妹を窘める。

「まだぁ? ですか? おはなし~」

 芽衣が姉のお小言を聞き流しながら「まだ? まだ?」と言い募る先は、テーブルの上に作業する母だった。タブレットをスタンドに固定し、カメラの角度を調整している。

「大丈夫よね?」

 という言葉に優芽も後ろを振り返って確認する。

「大丈夫でしょ。特に変なものないと思うよ?」

 というのも、白木家の一員である父と行っているから気にしていないことも、相手が他人となれば話は変わるわけで、カメラの画角に収まる範囲には注意が必要だ。

 リビングであるし、元々そんなプライベートなものを置いてはいないから、さっと見て大丈夫と判断する。

「そういえば幕張君は一度、うちに上がってるものね。なら今更かしらね」

「……もうすぐだからねー」

 今度は優芽が母の言を受け流して、芽衣に囁く。

「いまぁ?」

「もうすぐ。すぐだから」

 準備万端。壁掛け時計の長針が真上を指すのを待つばかり。



『うお、映った……か?』

 第一声は琴樹の情けない声、それと画面に額から上だけのどちら様だか。優芽は微笑み、芽衣は声を上げる。

「おにいちゃんですか~?」

『おお芽衣ちゃん……の声はするけど……てか、あー、芽衣ちゃん、白木さん、こんばんは……えー……こんばんは』

 なんて頼りない声音なんだろう。芽衣が「おにいちゃん?」と首を傾げるのも仕方ないくらい、琴樹の声から伝わる戸惑いは大きい。優芽はとうとう小さく声を出して肩を震わせる。

「こんばんは、琴樹。ほら芽衣も、大丈夫ほんものだよ。こときおにいちゃん」

 丁度良く向こうの映りぶりが適当な具合になったから、芽衣もぱっと表情を明るくさせた。

「こときおにいちゃん! こんばんは」

 お膝にくっつくくらいに頭を下げて挨拶した芽衣の様子を、琴樹はちゃんと見ていただろうか。バストアップだけでもわかるくらいにスマホ操作に苦闘している琴樹に優芽は口を出してやることにする。

「琴樹。左下の四角から画面選べるよ」

『ひだり……お……おお! おー、ごほん。こんばんは芽衣ちゃん、白木さん』

 それはさっきやった。とは優芽は言わないでおいた。


 琴樹が、こういうのはじめてだから、と言い訳するのを優芽が揶揄い、芽衣は「めいはね、できゅぅよ! たーべっとでねぇ、こうしてね、こうするの」と上半身をテーブルに乗り出してタブレットをタッチする。もちろん、何をしてどうなったか琴樹に伝わることはない。そしておかしな事になることもない。言う通りに琴樹よりもよほど通話アプリに精通している芽衣だった。

『そっかそっか。芽衣ちゃんはすごいな。スマホもタブレットも使えるのか。ちなみにどう? 俺はちゃんと映ってる?』

「うつってます! めいは? めいはー?」

『ばっちり見えてるぞー。今日もかわいいね。そのお洋服ははじめて見るなぁ。ふりふりしてて可愛いね』

「こえねぇ、こえね? このまえママとおかいもの行ったときにかったの!」


 優芽の予想を超えて、琴樹も芽衣も普通だった。普通に画面越しに話し合って、楽しそうにしている。芽衣が父との交流で慣れているとはいえ、少しくらいはやりにくさを覚えるかもと思っていたから意外だった。

(なぁにが、もう会わないよ)

 あんな勝手な約束をしたくせに、あんなに辛そうな顔をしていたのに、今の琴樹は、琴樹の笑顔は、優芽にはただただ穏やかで優しいものにしか見えないのだ。

(芽衣も……ふふ、約束なんて忘れちゃったのかな? うんうん。それでいいそれでいい)

「こうしてね!? そえでばーんてするの!」

 たしか日曜朝のアニメに見た気がする動作を真似ている芽衣の頭を、優芽はそっと撫でた。

「んん? おねえちゃん?」

「なんでもないよ。琴樹おにいちゃんとお話ししてていいからね」

「うん」

 優芽には、そういえばと思い出すことがあった。母もよく、父と話す芽衣の頭をゆっくりと、ゆっくりと撫でている。大体そうして母はあまり喋らないのを、優芽は不思議に思っていたのだが。

(こんな気持ちだったのかな)

 優芽は芽衣を見る。琴樹を見る。二人があれこれ、九割は芽衣の話だが、会話しているのを見ていた。聞いていた。

 それで充分だった。


 そんな娘の様子を、早智子はカメラの外、優芽と芽衣の視界の外、椅子に座って眺めていた。

 口を付けるコーヒーは温かく、心はもっと温かい。

 ただちょっと、娘の穏やかすぎる笑みには思うところもある。

 その年齢としでそんな落ち着いた顔するにはまだ早いんじゃない? と。

 あんた幕張君とは全然そんなんじゃないって言ってたじゃない、と。

 もしかしたら前途多難かもしれない娘の往く路に苦笑いを浮かべたのだった。

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