第39話 供述:誓って私はコイしていません。

 困った。困っている。

 白木優芽はほとほと困り果て、本当に困り尽くして、いると自分では思っている。

 それは事実の一端ではあったが、他人の目に触れるかといえばそんなことはない。


 体育の授業中に、床にお尻をつけるには寒い日だから壁に背を凭れて、優芽はひらひらと手を振った。

 同じ格好で休憩タイムに息を落ち着かせる涼の隣で、いまから試合をはじめるためにコートに入る琴樹に向かって。

「優芽……」

 さしもの涼も継ぐ言葉が出てこない。

 瞠目し、茶化し、少しくらいは心配もし、午前中にあれこれ友人一同で正気を試した末、優芽は完全完璧に夢の中、という結論に至っている。

 優芽だけに。by篠原希美。というのは文の「もう一回言ってくれる?」に封殺されていたが。


 親友たちから『処置なし』のレッテルを張られているとは露知らず、優芽はただじっと奥のコートを見ていた。手前でバスケをしている女子たちがまるで目に入らないくらい真剣に、バレーコートに躍動する姿を見詰めていた。

(なんだやっぱり、上手いんじゃん)

 ここ数回の体育に見ていたものとは違う琴樹の活躍についつい口元が緩む。

「ぇへへ」

 声が漏れているとまでは本人は気付いていないから、ただ並んで休んでいる涼が目を細めるだけだ。


「またかよっ!」

 琴樹とはネットを挟んだチームに回ったクラスメイト、その中でも運動に優秀な男子が、自身が敵陣に打ち込んだボールの行方に悲嘆を叫ぶ。

 コートに跳ねることなく、弾かれどこか彼方に飛んでいくこともなく、ふわりと緩やかな放物線でネット際に返されたボールに呻くのだった。

 琴樹がレシーブし、セッター役がトスを上げ、跳びつくのは琴樹だ。


「幕張こらぁ! ちったぁ手加減しろ!」

「わるいわるい。今日はなんか……調子が良すぎてな」

 得点で試合が止まったから、ネット越しに軽口を交わす。琴樹は肩を回して好調をアピールしておく。実際、心身の調子はすこぶる良かった。

「良すぎだろ。ちくしょうが。ほれボール」

 投げ寄越されたバレーボールを受け取って、自チームのサーバーに向かって放る。

「ま……いいことだけどよ」

 そう言って守備位置につくクラスメイトはたぶん何か勘違いをしている、と琴樹は思う。ネットから離れる前に彼が見た方向に、琴樹も良く知る女子が手を振っていた。

 ちなみにもちろん振り返した。


「よっしゃ幕張ぶっ倒すぞぉー!」

「「「おぉーゃー!!!」」」「ぶち殺す!」

 相手チームの団結をダイアモンドにする結果を招いた。



 そういう風聞は、早くも別クラスにまで届いていたらしい。というのを、優芽は部活に汗を流す途中に聞かされた。

「ねね、白木さん、とうとう付き合いだしたってほんと!?」

 バドミントンのラケットを胸に抱えて好奇心を目一杯に顔に出した部活仲間に、優芽は上体を仰け反らせる。

「つ、付き合いだした? どういう話?」

「またまたぁ、とぼけちゃってさぁ。聞いたよ? なんか一組の男子と付き合いはじめたって」

「男子と!? え、ないない! なんでそんな話になってるの!?」

「え、違うの?」

「違う! ぜんぜん違う! こ……ぉ幕張とは、別に。そういうのじゃないからっ」

「あ……そですかー。失礼しましたー。……ごちそうさまですー」

 すーっと退いていく友人を、その後にも違う違うと追い回したが、優芽の頑張りが届くことはなかった。



「ていうことがね、あってね。ずっとにやにや笑ってて。ひどくない? ほんとにそんなんじゃないのに。ね? 涼もそう思うよね?」

『優芽と部活のご友人のことですから私からはなんとも。ですが誤解というならなんとしても解かないといけませんね。幕張君とは全然全く、これっぽっちも付き合う気などないと』

「そこまでは、言ってないじゃん?」

『えぇ、言ってませんね』

「ばーかばーか。涼のばーか」

『子供ですか』

「子供ですぅ」

 夕食の後、母と芽衣がお風呂に入っている間、優芽は自室のベッドでスマホを手にゴロゴロとしていた。明日は優芽が芽衣のお風呂当番である。

 先に入浴も済まさせてもらったから、お腹いっぱいで体もぽかぽかで、難しい事考える気分ではない。難しく考える気分では。

「ねぇ、涼は……彼氏できて、その、ど、どう? どんな感じ?」

『あら、はじめてですね、優芽がそこを訊いてくるなんて。どういった心境の変化なのでしょう』

「……いじわる。涼はばかな上にいじわるなんだ」

『ふふ……そうですよ。よく知っているでしょう?』

「いじわるなのは、けっこう。ばかとは思わないよ?」

『ふふ……ふふ』

「ねぇぇぇ、笑ってないでさぁ。どうなの? てば。ねぇねぇ」

『今日はまた随分と甘えん坊ですね』

「んー……ちょっと眠いかも」

『赤ちゃんですか』

「ばぶー」

 声を上げて笑い出したのはほとんど同時にだった。しばらくは優芽と涼の笑い声だけが通話を占領した。


『ふぅ。それで、どんな感じ、ですか。抽象的過ぎて答えにくいですね』

「うぅんじゃあ……涼は今、幸せ?」

『……幸せですよ?』

「あっ。ずるいんだ。いま私とか希美とか、思い浮かべて言ったでしょ」

『も、です。優芽、希美、文……クラスの人たち、友人たち……そこに恋人という存在が加わるだけです。二人きりで幸せになる必要は、ないでしょう?』

「ん? ……んん?」

『幕張君と付き合ったとして』

「つ、付き合いたいわけじゃっ」

『ちょっと黙っていてください』

「はい」

『仮に優芽が誰かとお付き合いをはじめて、その彼との関係に満たされていたとしても……芽衣ちゃんが悲しんでいれば、優芽は幸せなどとは口が裂けても言えないでしょう? ということです』

「それはそうだけど……うむむむむ」

『それよりいいんですか? そろそろ20時になりますけど』

「え、あ、ほんとだ。じゃあね涼。また明日、かはわかんないけど。うん、また」

『ええ。おやすみなさい』

「おやすみっ。ばいばい」

 涼に指摘されて、優芽は急いで通話を打ち切る。

 大切な親友との大事にしたい会話だけれど、今はちょっと、それどころではないのだった。

(芽衣がね。芽衣が楽しみにしてるから)

 だから琴樹との通話を優先するのは仕方ない、と優芽は思うのだ。

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