第37話 それはちょっと恥ずかしい一言

 温かな手だった。それはコートのおかげかもしれないし、ミルクティーからのお裾分けなのかもしれなかったし、優芽自身の温かさ故なのかもしれないと琴樹は思う。

 どれでもいいなと思う。

「ありがとう。白木さんには助けられてばっかりだ」

「いやぁ、そんなことは、あはは……そんなことないよぉ」

 身動ぎしたいし微動だにしたくない優芽は、気もそぞろに返すのが精いっぱいだ。温かいを通り越して熱かった。

(どどどどうしよっ!? どうする? どうする私!?)

 葛藤はそう長いものではなく、優芽が選択して終わらせたのでもなかった。琴樹が手を引き、重なりはそれだけであっさりとなくなる。

「あるよ。あるんだ。……俺が勝手に救われてんのかな」

 空気が変わったというのを優芽は敏感に察した。琴樹の纏う気配がいつもの柔らかな、なんだか少し気に食わないような、さきほどまでとはまた別の意味で遠いようないつもどおりに戻ったのだと、優芽にはもうはっきりと感じ取れるようになっていた。

「ちょ、ちょっと……一人で納得してないでよ」

「はは、わるい」


 痛みはない。


「白木さんたちに会って……話してな……なんか……なぁ、世界が色づいて見えるようになったって言ったら笑うか?」

「……だから、わかんないんだってば」

 優芽が不満を顔にも出すというのに、琴樹は真っ直ぐ前を向いて肩を震わせるばかりだ。

(気に食わない……よかった)

 どっちも優芽の本音で、だから言葉にはならなかった。

「今日は、今日も、ありがとう。遅くにごめんな。こんな時間に付き合ってくれて、しょうもない話聞いてくれて、ありがとな」

 立ち上がった琴樹が「送るよ」と手を差し出すから、優芽はそれを取るのに躊躇いはない。


 公園を出てから優芽は口を開いた。

「ねぇ……また教えてね、琴樹が今まで、どうしてきたのか」

「どうしてきたか?」

「そ。……中学の時の話なんかもね」

 眉に皺を寄せて考える。

「うんうん。うん。琴樹の中学時代とか……謎だし」

「謎て。特に何もないけどな。ごくフツーに男子中学生だったぞ」

「じゃ、ごくフツーの男子中学生について教えてね」

「……まぁ、そのうち」

「照れてんだ?」

「照れてねぇって。ただほんと、大したことは何もないから」

「ふふーん。なにかあると見たね」


 白木家の門前には三度目の来訪になる。琴樹は明かりの漏れる窓、赤茶の屋根、白地の壁、そういったただの外観をなんとなく目に焼き付けるように見回した。

「じゃあ、ここまでだな」

「うん。ごめん、芽衣はもう寝る前だから……琴樹と今会っちゃうとたぶん、テンション上がっちゃうから、さ」

「わかってる。また……あれだ、ビデオ通話、しようか。てか、していいか? 明日にでも」

「あは、素直ー。いいよ。またあとで連絡するね」

「ああ。……またな、白木さん」

 きっとすぐ、一時間もしない内にメッセージを飛ばし合う。けれど顔を見るのは、今日はこれで最後だから。

「また明日、学校で」

「うん。また明日。琴樹、また明日ね」

 琴樹は優芽が玄関ドアを閉めるまで待って。待っていたら、閉じかけたドアが少し開き直された。優芽の横顔だけが覗く。

「世界が色づいて見える、とかは、ちょぉっとクサくない?」

「ばっ……うるせぇよ、早く入れ、家戻れ」

「あはははは、じゃあまたあとでねー」

「ああ! あとでな!」



 ドアを閉めて鍵をかけて、優芽はまずリビングに足を運んだ。

「ただいまー」

 を母に伝えるためで、大事な人の顔を見ておきたかったというのもある。

「おかえり。冷えたでしょ。ご飯とお風呂どっちにする?」

「んー……お風呂。芽衣は? もう寝たの?」

「いいえ、おと」

「おねえちゃん、おかえんなさい」

「いれ、から戻ってきたわね」

 元気溌剌、ではない声は優芽の背後からだった。見るからに眠気と格闘中の芽衣がゆるゆるとした笑みで優芽を見上げていた。

「ただいま芽衣。おねむちゃんならお布団入っていいんだよー?」

「ん、でもめい。おーすみなさい……ゆって、なかああぁあ」

 欠伸に乗っ取られた語尾をそのままに芽衣が目を擦る。

「おやすみ芽衣。お布団行こっか」

「いきまぅ」

 気が抜けたのかぼんやりとしはじめた芽衣の背中を押して、寝室に連れていく。

(ほんとは先に手ぇ洗いたかったけど……ま、しょうがないよね)

 出来るだけ接触は避けつつ、芽衣が自分の布団に潜るのを見届けて、優芽はもう一度母に声を掛けて洗面所に向かった。

 考えたいこと、振り返りたいことが多くある。

(ゆっくり浸かろ)

 長風呂になる予感と共に優芽は浴室のドアを開いた。

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