2020-21 アメリカン・スピリットと溺れる人の藁

 十九歳の春。初めて煙草を吸ってから幾日後。どうにもならない窮状を嘆いたら、そのツイートがバズってしまった。そのままなんやかんやとクラウドファンディングでまとまった金が集まってしまった。奇跡に近い幸運がいきなり降って湧いた。私は「実家の都合で」と言い訳をでっちあげて、つらかった深夜バイトを一カ月も経たず辞めた。

 そのまま奨学金も授業料免除も通ってしまった。

 学校生活になんの不自由も心配もなくなって、私はクソ親父に中指を立てた。ざまあみろ。「大学をやめさせてやる」なんて脅しは文字通りのだった。私はこのまま大学卒業まで生き抜いてやる。

 なるほど、この宣言は確かに実行できた。、私は十分に生き抜けたのだから。


 大学二年生になり、三年生になった。三年生からは給付型の奨学金も受けることができた。

 授業は大変なこともあったけれど、家を出てからは当てつけのように好成績をキープしていた。一年生の時から入っていた軽音サークルも、帰りの時間を気にしなくてよくなったおかげで、のびのびと楽しむことができた。家を出た行動力が好きだと言ってくれる人が現れて、彼氏もできた。詐欺まがいの広告かってくらいすべてがうまくいっていた。

 時々、父親の出てくる夢を見た。たいがいが、殴られたり、怒鳴られたり、首を絞められたりする夢だった。悪夢も含めて、精神的な不調に陥ることはあったが、客観的に見れば楽しい大学生ライフだったと思う。


 たびたびツイートの大拡散は訪れた。毒親がらみのツイートが拡散され、毒親持ちという共通の痛みを抱えるフォロワーが増えていった。すると毒親がらみのツイートはますます拡散されやすくなった。承認欲求の上限を超える拡散に、私の脳は陶酔していた。拡散されればされるほど、私の正当性が強調され、父親が社会的に非難されている気がして嬉しかった。

 でも一つ億劫なことがあった。なまじっか私がしてしまったために、たくさんの「お悩み相談」が寄せられたことだ。同じような環境にある人から、藁をもつかむ気持ちで送信されるたくさんのメッセージたち。彼らは言う。


「私は(僕は)こんなにつらいです。ひどい環境にいます。家を出るにはどうすればいいですか。学費はどうされましたか」


 それぞれに同情はするけれど、そのうち、腹の底に溜まっていく澱のようなものが、無視できないほどに大きくなっていった。ひとつひとつの悲鳴に対処するのに、精神的な限界が来ていた。私に聞かないでくれよ。私はカウンセラーでも社会福祉の専門家でも学校関係者でもないんだから。私ひとりの力だけであなたを救ってあげることなんてできないんだから。

 そんな気持ちで「未成年・学生のための家出マニュアル」を書いた。知っていることを一から説明することに私は疲れ切っていた。私の動機は「これで多くの人を救いたい」なんて高尚なものではなく、「これでいちいち説明をしなくて済むようになりたい」というごく自分勝手なものだった。

 が悪くないことはわかっている。はただ必死だっただけで、怒りをぶつけるのは筋違いなのだろうということも。だから私は、上っ面だけは丁寧に対処して、殊勝な人間に見えるように努めた。

 そのうちネット上での「私」は、手に余るほど大きな存在と化していった。半ばヒーロー扱いされることすらあった。


 だけど現実の私は、とてもヒーローなんかになれる器じゃなかった。


 三年生の秋から就活を始めた。

 まずエントリーシートを埋めるのに苦労した。「食い扶持さえ稼げればどうでもいい」と思っていた私には、勤めたい業界も志望同機もなかった。生きて学生生活をすることそのものに必死だったから、学生生活で力を入れたことガクチカもそれしかない。自己アピール? 自分の長所なんてこっちが訊きたい。

 一事が万事そんな調子だった。まず「仕事で自己実現!社会貢献!」といったキラキラした就活イデオロギーに適合できなかった。就活が大嫌いだったので、始めたのも遅かったし、応募した企業も少なかった。それでも嫌な気持ちに鞭打って、胸中で「やだやだ」と駄々をこねる子供をなだめて、なんとかエントリーシートを書いた。面接をした。八割はエントリーシートで落ち、残りはだいたい一次面接で落ちた。

 そもそも私のコミュニケーション能力が低すぎるのがいけなかった。聞かれたことに咄嗟にうまく答えられない。長い質問になると何を聞かれているのかわからなくなってしまう。「面接のときは笑顔を忘れずに! 」とどこかの記事に書かれていたから(暗い人間に人権はないのかよ、と唾を吐きたくなった)、笑顔だけはどうにか取り繕っていたけれど、やたらへらへらしているだけでコミュ障なのには変わらなかった。

 あっという間に持ち駒がなくなった。気づくと四年生になっていた。それでも遮二無二やろうとしていたら、耳の聞こえ方がおかしくなった。メニエール病。原因はストレスと疲れだと耳鼻科医は言った。

 それで公務員試験に逃げた。ペーパーテストは受かったが、やっぱり面接で落ちた。

 藁だとわかっていても就活エージェントとやらに縋った。日程はみるみるうちに埋まり、受けたくもない企業の志望動機を延々考え続けた。同時に卒論もあった。授業もあった。

 

 ストレスに比例して煙草の本数は増えていった。この頃には深く吸うことも覚えていた。肺が黒々と汚れていくのを想像すると、なぜだか気分がよかった。

 酒量も増えた。「素面で面接なんてやってられるか」と、オンライン面接の前には決まって酒を飲んだ。それでも面接はうまくいかなかった。何が駄目だったのか明確なものは当たり前に落ちたし、うまくいった気がしたものでもあっさりと落ちた。お祈りメールだけが受信ボックスに溜まっていった。


「お前みたいなクズが社会でやっていけるわけがない」


 父親の言葉が脳裏を掠めた。それをかき消すようにベランダで煙草を吸った。途中から精神科のお世話になり始め、薬の関係で酒は控えるようになったが、ニコチンへの依存度はますます増していった。


 この時よく吸っていたのは、アメリカン・スピリットの黄色い箱。アメスピは燃える時間が長いので、コスパがいい気がして好きだった。

 今では煙草の箱は半分以上が「喫煙はあなたの健康寿命を縮めます」だの「喫煙は様々な疾病にかかるリスクを高めます」だの小うるさい注意書きで埋まっている。うっせえわ。知ってんだよそんなの。吸ってるんだろ。世の中のすべてを鼻で笑うような気持ちで、次の一本に火をつける。視界が紫煙でけぶっていく。

 

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